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『修証義』を読む②

こんにちは!
今月のバーチャル坐禅会のテーマは「『修証義』を読む②」!
前回の続きになります。

第2節

この節では命の尊さについて書かれています。

1.人身得ること難し、仏法値うこと希なり

「人身得ること」というのは人間として生まれること、「仏法値うこと」とは仏教の教えに巡りあうという意味です。

人間に生まれることはなかなかない、さらには仏教の教えに巡り合うこともなかなかない

2.今我等宿善の助くるによりて、

「宿善」とは自分自身が今まで積み重ねて善いおこないのことです。

私たちがいままで行ってきた善行によって

3.已に受け難き人身を受けたるのみに非ず、遇い難き仏法に値い奉れり

この地球上には約137億種類の生命体が存在するといわれていますが、実はその7割は昆虫類らしいです。こうやって考えてみても、人間として生まれるってスーパレアなことだと思います。
もちろん、どの生命体にも等しく尊い命があります。

人間として生まれ、さらには数ある宗教の中で仏教に巡り合えたとこ。

人間として生まれただけではなく、仏教の教えに巡り合えた

現代は多様性の時代ですので、「他のどの宗教よりも、仏教が一番いい!」なんていってはいけません。
他の宗教の教えからも学べることはいっぱいあります。

しかし、仏教の教えが自分にとって一番合う人からしたら、仏教に巡り合えたことはとってもラッキーなことになります。

4.生死の中の善生、最勝の生なるべし

この場合の「生死」は自分の生れてから死ぬまで、つまり人生を表します。
また「最勝」とは最もすぐれているという意味になります。

だからこそ、この人生を最大限に善いものにしないといけない

5.最勝の善身を徒らにして露命を無常の風に任すること勿れ。

「露命」とは露(つゆ)のような命、つまりはかない命ということをといています。

「無常」とは常ならぬ、何事もとどまることはなく流れていきます。だからこそ自分の命、この時間というものを大事にしないといけません。

この一生を虚しく、露のようにはかない命を無常の風にゆだねることなく大事に生きていくべきである。

6.人身得ること難し、仏法値うこと希なり

「人身得ること」というのは人間として生まれること、「仏法値うこと」とは仏教の教えに巡りあうという意味です。

人間に生まれることはなかなかない、さらには仏教の教えに巡り合うこともなかなかない

7.今我等宿善の助くるによりて、

「宿善」とは自分自身が今まで積み重ねて善いおこないのことです。

私たちがいままで行ってきた善行によって

8.已に受け難き人身を受けたるのみに非ず、遇い難き仏法に値い奉れり

この地球上には約137億種類の生命体が存在するといわれていますが、実はその7割は昆虫類らしいです。こうやって考えてみても、人間として生まれるってスーパレアなことだと思います。

もちろん、どの生命体にも等しく尊い命があります。

人間として生まれ、さらには数ある宗教の中で仏教に巡り合えた

現代は多様性の時代です。「他のどの宗教よりも、仏教が一番いい!」なんていってはいけません。

他の宗教の教えからも学べることはいっぱいあります。

しかし、仏教の教えが自分にとって一番合う人からしたら、仏教に巡り合えたことはとってもラッキーなことになります。

9.生死の中の善生、最勝の生なるべし

この場合の「生死」は自分の生れてから死ぬまで、つまり人生そのもになります。

また「最勝」とは最もすぐれているという意味になります。

だからこそ、この人生を最大限に善いものにしないといけない

10.最勝の善身を徒らにして露命を無常の風に任すること勿れ。

「露命」とは露(つゆ)のような命、つまりはかない命のことです。
「無常」とは常なるものは無い。何事も待ってくれることはなく常に変化していきます。だからこそ、自分の命、この時間を大切にしていきましょう。

露のようにはかない命を無常の風にゆだねることはなく、大切にすべきである。

11.人身得ること難し、仏法値うこと希なり

「人身得ること」というのは人間として生まれること、「仏法値うこと」とは仏教の教えに巡りあうという意味です。

人間に生まれることはなかなかない、さらには仏教の教えに巡り合うこともなかなかない

12.今我等宿善の助くるによりて、

「宿善」とは自分自身が今まで積み重ねて善いおこないのことです。

私たちがいままで行ってきた善行によって

13.已に受け難き人身を受けたるのみに非ず、遇い難き仏法に値い奉れり

この地球上には約137億種類の生命体が存在するといわれていますが、実はその7割は昆虫類らしいです。こうやって考えてみても、人間として生まれるってスーパレアなことだと思います。

もちろん、どの生命体にも等しく尊い命があります。

人間として生まれ、さらには数ある宗教の中で仏教に巡り合えたとこ。

現代は多様性の時代です。「他のどの宗教よりも、仏教が一番いい!」なんていってはいけません。

他の宗教の教えからも学べることはいっぱいあります。

しかし、仏教の教えが自分にとって一番合う人からしたら、仏教に巡り合えたことはとってもラッキーなことになります。

14.生死の中の善生、最勝の生なるべし

この場合の「生死」は自分の生れてから死ぬまで、つまり人生

また「最勝」とは最もすぐれているという意味になります。

だからこそ、この人生を最大限に善いものにしないといけない

15.最勝の善身を徒らにして露命を無常の風に任すること勿れ。

「無常」とは常ということが無い。世の中のものすべては移ろい変化していくという意味です。
ただこの変化していく風にただまかせるのではなく、今という時間に向き合い大切していこうということが大切です。

この一生を虚しく、霧のようにはかない命を無常の風にゆだねてはいけない。

第3節

次の節は命の儚さについてです。

1.無常憑み難し、知らず露命いかなる道の草にか落ちん、

すべてのものは変化していき、頼ることはできない、知らず露命いかなる道の草にか落ちん、このはかない命はいつどこの道の草に落ちないともかぎらない

2.身已に私に非ず、

人間どんなにがんばっても老病死の苦しみからのがれることはできません。自分の体ですら思い通りにはなりません。

自分のこの身さえも思い通りにならない

3.命は光陰に移され暫くも停め難し、

「光陰」とは月日の流れのことです。

時の流れにながされて一時もとどまることはない

「光陰は矢よりも速やかなり、身命は露よりも脆し」という言葉があります。月日がすぎるのは早く、人間の体は露のようにはかないという意味になります。

4.紅顔いずくへか去りにし尋ねんとするに蹤跡なし、

「紅顔」というのは若い頃の生き生きとした顔のことです。そういった活気にあふれた姿もずっと続くのでありません。

若い頃の顔もいつかは面影を失い、いくら探しても跡形もありません

5.熟観ずる所に往事の再び逢うべからざる多し、

「熟観ずる所」とはよく考える、熟考するという意味です。また「往事」とは過ぎ去った(往く)事つまり過去の事という意味になります。

よく考えてみると、過ぎ去った時間は二度と戻ってきません

6.無常忽ちに到るときは国王大臣親暱従僕妻子珍宝たすくる無し、

「無常忽ちに到る」とは実際に死ぬときになります。

国王大臣・・・国王や政治家
親暱・・・親友
従僕・・・自分の部下
妻子・・・妻や子ども
珍宝・・・自分の財産

自分が亡くなるなるときにそういったものは全くたすけてくれません。

死という無常に直面するときは、国王も政治家、親戚友人、部下、妻や子、財宝たすけにならない。

7.唯独り黄泉に趣くのみなり、

「黄泉」というのは亡くなったあとの世界です。

ただ一人で黄泉の国にいくだけです。

8.己に随い行くは只是れ善悪業等のみなり。

何ももついてはきませんが、自分についてくるものは、自分が行ってきた善行と悪行のみになります。

自分についてくるのは善と悪の行為だけなのです。

ご参加ありがとうございました

はたしてこのペースで進めていくと全部終わるのがいつになってしまうのか😅

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