大学時代の自分のブログを振り返ってみた Part.4
英語の復習や社会復帰に向けた各資料の作成、および実家の用事をフルスピードで駆け抜けるように処理をしているので、中々時間を持てないのだけれど…少し余裕ができたので、日本語の思考のプロセスの柔軟体操のために、自分が主に大学時代に書いていたライブドアブログの記事について触れていこうと思う。今回は2007年4月の記事。
まずは、下記の引用をご覧いただきたい。
そういえば、大学2年の時にイギリスへの短期留学を控えていたので、この時は書類だのオリエンテーションだの色々と準備を重ねていたのを思い出す。実際には、この後の留学生活が、自分にとっての大学生活での唯一のハイライトになってしまうのだが、そのことは面白エピソードとして別の機会に触れていこうと思う。しかし、当時のmixiを完全に消去してしまい、しかもイギリス時代の写真を保管していたCDが見つからず、当時の回想が文字以外で伝えることができなくなってしまったのが悲しい。mixiはともかくとしても、イギリスでの思い出の写真が全く見つからないというのは、中々にキツイものがあるが、管理できるほどの精神的余裕もなかった当時を考えれば、致し方がなかったのかもしれない。
ちなみに、先輩方の飲み会というのは全然覚えていないし、そもそも誘われたのかも覚えていない(笑)なんとなく、同じ留学先であった大学の先輩方が色々と説明していたのは覚えているが、この時は留学生活を共にする他の同級生たちとも全く顔見知りでなく、その雰囲気に耐えられずにこっそり抜け出したのかもしれない。いずれにせよ、大学時代の思い出は本当に少ないし、そうした意欲も自身にすでに失われていたのだろうと思うと、随分と暗い学生生活を送っていたなぁと改めて自分を気の毒に思ってしまう。
授業に関する雑記は触れても仕方がないので(笑)でも一応真面目に授業に出てたんだなって、ちょっと嬉しくもなるんだよね…まぁ、前職でも初年度の大晦日前後で腹壊して休んだ以外は皆勤賞だったから、そういう部分への意識は強いんだろうなって思う、結果的に体壊しちゃったけど。
この、学生の雑談がうるさくて話にならないってのは、一浪して大学デビューを果たした地元仲間の話。具体名は言えないけど、一応学生数は凄く多い大学に落ち着いて、よしこれからいよいよ大学生活、という意気込みはあったのだろうけど、初年度はあまりいい大学生活を送れていなかったそうで、実際に授業はうるさいし変な女に勘繰られるしで散々だったそう。
そして、そんな話のどさくさに紛れて、さりげなく自分も大学への不満をあらわにしているのが面白い(笑)確かに、当時の学生の無駄話には本当にイライラさせられていた。時には学級崩壊かってくらいに授業の体をなしてなくって、それがクラスレベルになってくると、本当に暴れてやろうかって位にブチ切れそうになったこともある(笑)それでも、そういう学生たちのほうが社会では内定も取るし、今頃子供も生まれて理想の社会人を歩んでいるんですよね…勉強だけに取り組んでいた故に社会にあぶれてしまうような真面目系クズは、本当に生きづらい。
再び授業については中略して、一通り大学での義務を果たした後に地元仲間の家での話をまとめた箇所について触れていきたい。
まず、「ある光景」ってのが全く思い出せない(笑)記憶にないというより、いったい何を指しているのかも全くわからないので、こんな支離滅裂な文章をよく他人様も閲覧できるmixiやライブドアのブログに記載していたなと、当時の自分の怖いもの知らずに恐れ入ってしまう。
そして、当時は地元仲間でバンドをやりたいという話を高校時代から実現させたいと話している中で、大学生になったら時間も作れるし始めようと理想を語っていたんだけど、結局卒業までに一度も実現することもなく…あの頃はとらぬ狸の皮算用という位に理想だけは一人前だった(笑)ただ、当時はガチで音楽に夢中だったので、そういうバンドの夢を語るだけでも随分盛り上がったし、そういう時間であっても今思えば楽しかったので、それはそれでよかったのかもしれない。
一方で、「仲間同士で気を遣いすぎ」という、微妙に思い出すような感じの誰かの小言が引用されてて、これは多分…今はもうもう付き合いのない人間ではあるけど、なんか自分たちの空気感を微妙に勘ぐられる感じで嫌な思いをしたのは確かなんだよね。あと、その言い出しっぺ自身が俺らの輪の中に微妙に入りにくい感じだったのかな?それに、中学時代の仲間たちの文脈で語られているけど、実を言うと「気を遣いすぎ」問題は大学のクラスメートにも、というより今は飲み仲間で親友の彼(笑)に言われたことがあって、そういう微妙な心境も色々と絡みつつポロっと出てしまった感じなのかもしれない。
そうはいっても、確かに大学内では相当に気を遣っていた気がするから、本当の意味で打ち解けあう仲間というのはごく少数だったと思う。特に、女子に対する人間不信は小中で培われてきたままスライドしてしまったので、本当に当時はまともに話せる人がいなかった(笑)唯一、1歳上で今も飲み仲間として誘ってくれる女友達だけは、この時に絡んでくれていたのだけれど、そんな彼女ですら「(インテリグループに所属する感じで)近寄りがたかった」という位だったから、無意識のうちに壁を構築していたことは間違いない。人間不信は、消極的な無関心に思われるので社会を生きるには困難でしかないし、故に異様なまでに真面目系クズ的に勉強に走ってしまったのだろう。
ということで、流石に暗い内容が続いてしまったので、次は少し明るい話題も取り上げていきたいなと思っている。ただ、そういう記事が見つかるか否か…(苦笑)それならば、留学時代の話を書いていこうかな。そっちは色々思い出もあるし、唯一の大学生活での思い出だから。