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チョロQワンダフォー「ブルーレイク」に思いを馳せる(※ネタバレ有)

チョロQワンダフォーは、間違いなくシリーズでも五本の指に入るほどの傑作である。レースゲームに冒険の要素のみならず、「物語」が全体的に絡められた画期的な作品となり、今でも多くのファンの皆様に愛される名作なのだが、実を言うと「格差社会」や「分断」といった、対象年齢を考慮すると中々にシビアな社会時事の要素が絶妙に含まれているのも、この作品の底知れぬ魅力でもある。特に青少年たちにとっても、正にトラウマ級のエピソードと言っても過言ではないのが、あの「ブルーレイク」なのである。

※以下よりネタバレになってしまうので、一読の際はご留意頂ければ幸いです。


湖畔に沈む失われた都市のような光景が広がっているが、実は本当に水没した都市が描かれている。ブルーレイクという名称も、そこが「ブルーシティ」という都市であったことの名残であり、この土地に自動車の姿をした住人の営みが、かつて存在していたということでもある。

このブルーレイクが誕生した経緯、それはブルーシティが水没した哀しい歴史でもあるのだが…要するに強欲な住人たちが、都市の守り神である水神様の逆鱗に触れてしまったことに端を発している。こうした経緯は、プレイヤーがタイムトラベル装置を手に入れ、時空を超えることが可能になった際に明らかになるのだが、ブルーレイクはまさに時空を未来方向に飛び越えたその先に到着する、哀しき水没都市の姿なのである。

ブルーレイクの大まかな背景については、下記のリンク先もご参照頂きたい。

ブルーレイクは文字通り、水中の世界である。故に、自動車という機械であれば水没…という野暮なツッコミは脇に置いて、基本的には左右に自由に移動することが出来るだけでなく、ジェット出力機を用いることで高所へも行き来することが可能となっている。何より、所謂「水神様」の不思議な力により、どれほど走行を重ねても、燃料が一切減ることがない。故に、燃料を多量に消費するジェット噴射を無限に享受できるのだが、何しろ住人がほぼほぼ存在しない孤独な空間なので、走れば走るほど虚無に苛まれるようであったのもよく覚えている。

燃料補給やセーブポイントのために存在する「レッカー車君」を除けば、このブルーレイクで出会う住人は、「ブラックバス」という謎の存在のみである。このブラックバス、ブルーシティに搭乗する「金持ちを相手にリサイタルで一儲けを企むピアニスト」という設定のソレ、とも姿は同一なのだが…恐らくそちらではなく、町内を巡回していたソレのようなのだが、実際に同一人物であるかは定かではない。しかし、彼だけがブルーシティの在りし日を知る生き証人であり、何より最も孤独な空間における唯一の慰めでもある。ちなみに、水中のブラックバスというネーミングや絵面だけでも、実は「複数の意味合いを持つダジャレ」であったりするのだが、それを凌駕するほどの孤独感が空間を覆うために、どこまでプレイヤー側に伝わっていたのかは謎である…(笑)

このフィールドでのミッションは、基本的には脱出方法を見つけることであったが、それ自体はそこまで難しいものではない。ただ、神秘的で孤独感漂う空間が、どことなく「(共依存関係のように)朽ち果てたくなるような心境」にもさせてしまうので、小学生ながらに中々「水没都市」から抜け出せなかったことは、今でもよく覚えている。

では、湖畔の底に沈んでしまった幻の年、ブルーシティに話を戻すとしよう。ブルーシティは水神様の恩恵にあやかり、過去のワールド内では恐らく最も経済的に豊かな都市であった。町の住民は利害的な思考が二分しており、利他的で水神様への信仰心に忠実な人物もいれば、自身の欲に只管忠実な邪心の強い住民も存在する。彼らが時を同じくして、残酷にも平等に辿った運命については、直接的な描写こそないものの…

一部は街を去り、移住した住民により、後のゴールドシティにおける「イエロータウン」と「ブラックシティ」という格差分断、に繋がるといった、ゲーム内での示唆的台詞やユーザーに依る考察もある一方、水害に依る悲劇性もどうしたって想像してしまうのである。

これだけでも、いずれは水没してしまう都市の悲哀が感じられて仕方がないのだが、一番悲しいのはブルーレイクという土地から、ブルーシティという過去の先端都市に「逆戻り」できない事実を知ってしまったことだろう。実を言うと、作品に登場する都市はほぼほぼ例外なく、過去と現在の其々の時空間を行き来できるのだが、ブルーレイクに関しては「水中」故に時空間への移動が可能となる速度域に到達できないのである。正に「過去と未来」が繋がらない感じも、また一抹の寂しさを覚えてしまうのだ。

我々の子供の頃は、テレビゲーム全盛期であったために、いわゆる本離れと共に「世間知らず」を量産する云々だの、色々とあることないこと散々叫ばれるような世代でもあったのだろうが、一方でこうした「作家性」や「社会時事」的な要素を多分に含んだゲーム作品も、しれっと我々の元に届き触れられていたことも事実なのである。



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