危うし!徒弟社会!【少し無料】

落語界でも、将来、
「年配の人が、新しいことに付いていけない…」
ということが"許されない"
世の中になっていくかもしれません。

当たり前の話ですが、、、
若い噺家が、先輩から、噺家の基本やルールを教えてもらう時に

「着物のたたみ方とか覚えられないです!」
「そんなルールとか覚えられないです!」

などと言えば、「アホか、覚えんかぁ!」みたいな話に当然なります。

一方で、年配の落語家に
「会場の住所をLINEで送るので、Googleで現場に来てください」
と言った時に、年配の落語家が

「そんなん、LINEなんかわからん」
「Googleで調べるとかできない」
「Googleって何?」
「地図を紙に描いて送って欲しい」
「最寄駅に誰か迎えに来て欲しい」

と返しても、「アホか、覚えんかぁ!」とはなりません・・・。
これはなぜでしょうか?

ということで、本日の記事は、

●年配の噺家が新技術を覚えられないと言っても、現状、許される理由

そして、

●この「年配は新しいことを覚えなくてもOK(後輩が何とかする)」という現状の常識は、もうすぐ破綻する(ある程度なくなる)

・・・というお話です。


【年配の第1定理】・【リスペクトの法則】

年配が若者に教える落語の技術や情報の方が多く、
世間の新技術(若者は知ってて年配は知らない技術)のほうが、生活において少ない場合は、年配は新技術を勉強しなくても許されます。
(上記は当たり前の話ですが、以下、説明のため、上記のことを
 ”年配の第1定理”と呼ぶことにします)

いわば、日本社会全体としても、高度経済成長期はこの感覚だと思います。
落語界としては現状もこの感覚ですし、おそらく将来的にも、少なくとも
団塊の世代の師匠までは、この感覚で、確実に許される感じです。

解説すると、
「若者→年配→高齢者」という世代の流れにおいて、
昔の高度成長期は、現役世代=「若者+年配」であり、
若者と年配においては仕事における重要な情報量は
「年下<年上」となります。
そして、その情報量において「年下>年上」のような逆転現象が起きるメインは、「年配>高齢者」になるので、会社が困る前に高齢者が会社から退職していったということでしょう。

この時代は、年齢を重ねることで得られる経験で、「知識量」が増えていく時代なので、仕事の能力は「若者<年配」=「年下<年上」になりやすい状況です。
知識量としては「年配>高齢者」=「年下>年上」になるときには、
「現役>退役」みたいな感覚なので、社会や組織・個人としても気にならなかったんだと思います。

そして、もしも、一部分において、知識量や能力が「若者>年配」になるような状況であっても、大部分が「若者<年配」なら、日ごろの感謝がありますので、当然、若者は年配のためにその作業をします。そして、その一部分だけをもって、若者が「俺は年配より優秀だ!」などとは思わないです。ですから、「若者>年配」の能力分野においては、年配は勉強しなくても許されることになります。←いわば、「リスペクトの法則」みたいなものが成立します。これは「リスペクトしてる相手のことはフォローするorリスペクトしてる相手が間違っていても容認する」という法則です(笑福亭たま命名)。

しかし、今は情報化社会ですので、年齢を重ねることで得られる経験も大事ですが、一定の年齢を重ねている者同士であれば「外界からどれだけ知識を得ているか(別の経験値)」が仕事の能力の優劣を決定づけます。
そうなると、年配と高齢者の境目で知識量や能力の逆転が起きるのではなく、若者と年配の間で知識量や能力の逆転が頻繁に起きます。
そうなった時には、露骨に若者の方が仕事ができ、収入や売上が多くなっていきます。

その意味で、東京の落語界の真打制度というのはよく出来ていると思います。形式上は、芸歴無関係に「真打は同格」ということですから。真打になるのは大体15年ですから、事実上、情報の逆転をだいたい15年と、客観的に認めているとも言えます。

しかし、この知識量や能力の逆転現象が起きたとしても(若者の方が知識量や能力が多くなっても)、現状、年配の噺家が世間的技術を勉強しなくても許されます。
それはなぜでしょうか???


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