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写文集『いんえいさん』草稿その4: 進化する潤一郎
運動や色など視覚の基本情報の処理については、わたしたちはみな非常に似通った脳のはたらきをもっているのです。(中略)そこにはある程度の普遍性をもつ美があるかもしれないのです。
何千万年も前から、1930年代にとんでみよう。
1933年は、谷崎潤一郎の随筆連載『陰翳礼讃』がはじまった年だ。
『陰翳礼讃』はそのタイトル通り、「陰翳(=暗いところ)」を「礼讃(=褒めまくる)」随筆だ。
いまでも、日本人の美意識や思想を表すうえで、たびたび言及される。
ただ、タイトルは少しだけ、内容と異なっている。
暗いところを褒めまくるというよりは、
「明るさと暗さのバランスが重要だ」
と谷崎は言っているのだから。
『陰翳礼讃』の主旨を抽出するために、この文章はよく引用されている。
美は物体にあるのではなく、物体と物体との作り出す陰翳のあや、明暗にあると考える。
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この文章のすぐあとに、その美が出現する例が書かれている。
夜光の珠も暗中に置けば光彩を放つが、白日の下に曝せば宝石の魅力を失う如く、陰翳の作用を離れて美はないと思う。
「夜光の珠も暗中に置けば光彩を放つ」という状態がよくわからないので、他の文章を探すと、例がたくさんでてくる。その中でも気になった一文はこれだ。
その時私が感じたのは、日本の漆器の美しさは、そう云うぼんやりした薄明りの中に置いてこそ、始めてほんとうに発揮されると云うことであった。
「ほんとうに発揮される」のかどうかは、1933年の時点では、谷崎の主観でしかなかった。
いまはどうだろうか?
1990年代から研究が盛んになった進化心理学では、こういう考え方があるらしい。進化心理学というのは、「人間の心がどのようにして今のような形になったのか」を、進化の観点から考える学問だ。
薄暗がりで人間がもっとも敏感に感知できる光は約500ナノメートルの波長である
(中略)
太陽や、太陽光を反射する月は、たまたま500ナノメートルで輝いているのである。
以上の事実は、次のように説明できる。
人類を含めた動物の多くは、太陽光のもとで生存競争を続けてきたので、太陽光で照らされた物体をよく識別できるほうが生存に有利であった。その結果、「太陽光をもっともよく識別できる目」が進化したのだ。
谷崎潤一郎の
「日本の漆器の美しさは、そう云うぼんやりした薄明りの中に置いてこそ、始めてほんとうに発揮される」
と、
「薄暗がりで人間がもっとも敏感に感知できる光は(中略)約500ナノメートルの波長である」
がここで奇妙な一致を見せる。
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人間にとっては、もちろん、明るいところのほうがモノは見えやすいだろう。けれども、それを薄明りの場所に置くことで、目は必死にモノをとらえようと機能するのかもしれない。
谷崎潤一郎が直観で指摘した美意識が、人類が生存をかけて進化させてきた目の機能とつながる不思議。
そう思いながらこの文章を振り返ると、谷崎潤一郎が進化心理学者にも思えてくる。
美と云うものは常に生活の実際から発達するもので、暗い部屋に住むことを余儀なくされたわれわれの先祖は、いつしか陰影のうちに美を発見し、やがては美の目的に添うように陰影を利用するに至った
ここで言及された「暗い部屋」というのは「古代人が住んでいた洞窟」と言えるかも知れない。このシリーズの最初に書いたことだけれども、古代人にとっては、わずかな光でも視覚が反応して、少しでも早く獲物を狩る必要がある。
そして、何万年もそんな暮らしを続けていれば、光にあふれた環境にいる現代人でも、その名残りが少しは残っているはず。
例えば、小学生の頃の視聴覚室を思いだす。昼間に黒いカーテンで光をさえぎって、わずかな光だけで授業を受けたのは、妙に印象に残っている。
いまだって、映画館や長いトンネルなんかでは、比較的気分が高揚する。あれは暗さというより、視覚がわずかな光を求めて忙しく機能している、という見方もできないか。
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谷崎潤一郎『陰翳礼賛』の最後で、彼は「私は、われわれが既に失いつつある陰翳の世界を、せめて文学の領域へでも呼び返してみたい。」と書いていた。
「陰翳の世界」はまだまだ残っているのではと思う。
必要なことは、とらえ方を変えるだけのことで。
これまでの、写文集『いんえいさん』草稿
参照文献
人間の目が感じる光を「可視光」といいますが、この可視光は、波長400~700ナノメートル前後の光です。しかも、もっとも感度がよいのが500ナノメートル前後だといわれています。これは、人間の目が、太陽光のスペクトルに適応するように進化してきたからだと考えられています。
暗所視下では,507nm の光に対して最も感度がよい.このように,暗所視下では,感度曲 線が短波長側にシフトしている.これをPurkinje Shift と呼ぶ.(中略)暗所視と明所視との 中間(薄明視)状態では,明所視下よりも瞳孔が広がるため杆体細胞の一部が興奮するだけではなく,弱いながらも錐体細胞も興奮することが予測できる