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僕がWEB制作×事業づくり学習サービス「STARTOUT」を始めた理由

WEB制作×事業づくり学習サービスSTARTOUTを始めて2年が経過した。本当に瞬く間のできごとだったが、もう何度アップデートを繰り返したか分からない。それでもまだまだ道半ばだか、今回はSTARTOUTへの想いや発想に至る過程、その狙いも含めて、書いていこうと思う。不思議とエッセイ風になった。

23歳のとき、僕は「やりきった」と不覚にも思っていた。音楽イベントを主催し続け、瞬く間に日本最大級の箱でイベントに参画し、そして夢だったアメリカ・ハリウッドでイベントを開催することが出来た。開催した場所は、まさに最終目標と決めていた場所だった。

なぜ、その場所が最終目標になったのか。

さらに遡ること2年前、21歳の時、ある超有名バンドの初アメリカツアーがあった ( ELLEGARDEN )。ニューヨークでもライブをしたのだが、その時、僕らはロサンゼルスにいて、わざわざニューヨークまでライブを見に行った。まさにその時、ライブハウスの空気に心を打たれ、いつかここで「何かやろう」と心に決めたのだった。

そして2年後、23歳の時、ニューヨークとハリウッドという場所の違いはあったが、正真正銘、同じライブハウスでイベントを開催できたのである。正直、心が震えたし、イベント自体もそれなりに成功して、もうこれで音楽活動はいいやとさえ、心のどこかで思ってしまったのだった。

何をしようかと糸が切れた時に残ったのがWEB制作だった。あとは、自由に生きたいという願望、そして、出来るなら世界を旅しながらストレスフリーで生きていきたい。個人的な範囲で、面白そうな、ワクワクすることを追求していければいい。そんなありふれた欲求だった。

もともとWEB制作を学び始めた理由は「イベントをする時に、WEBがあれば世界のどこにいても仕事が出来る」と思ったこと。そして、リアルタイム中継が出来ると知って「自分たちのやっている活動を、世の中に中継できたら面白いな」と思ったことである。「イベントをもっと面白くする手段」としてWEBを始めたのだった。手段なので、理想が実現できれば他の方法でもいい。だが、WEBしか見当たらなかった。実際、もう1つ理由があるのだが、それはまた別の話だ。

ともかく、WEBだけはすごく面白い「ツール」だと思った。リアルタイム中継も無料でできる。自分がやりたいことを、世界中に即座に知ってもらえる。さらに、会員登録や月額課金ができたり、商品を売ったりもできる。人間をこんなに自由にしてくれるツールは、他にないと感じたのだった。僕にとってWEBは、やりたいことをすべて実現できる自由の象徴だった。

ところが、そもそもイベントというやりたいことが無くなった。あとに残されたのが、単純に技術と、先程も言ったように自由にストレスフリーに生きたいという願望だけだった、というわけだ。なので、必死に働いて、一刻も早く理想の人生を手に入れたいと思った。

やりたいことが無い中、大震災をキッカケにフリーランスになった

イベント活動の目標を達成したあと、僕は制作技術の向上に専念した。しかし、どうも本気になれない。理由は分かっていた。自分は自分がやりたいことを実現するためにWEB制作を習得したのに、どうして受託ばかりやっているのだろうかという「もやもや」があったからだ。しかし、他に頼れるスキルは自分にはないので、やめることも出来ず、そのまま2年がたった。

そして25歳になったころ、大事件がおきる。東日本大震災だ。僕の地元は岩手県の宮古市という場所で、津波が直撃。町は半壊した。その時僕は東京にいて、家族に必死に連絡を続けた。ところが、電波はいつまで立ってもつながらない。東京も震災でそこそこパニックになっていたので、朝までオフィスにいて、最後は結局、家の近くまで電車で行き、歩いて帰宅した。

家に帰ってしばらくして、ようやく家族に連絡がついた。その時は、本当に心の底から安堵し、ひとまず誰も被災していなかったことを喜んだ。僕の実家は幸運にも山側にあった。津波は届かなかったのである。しかし、インフラはほぼすべて断絶され、食料もあるかないか分からない状況だった。そんな状態からでも、数日たてば少しずつ状況は落ち着いてきた。

そんななか、むしろ問題は東京で起きた。

原発からの放射能を恐れた当時の会社が、大阪に移転するか本気で検討をはじめたのである。なので、そのタイミングで僕はフリーランスになった。僕が今、大阪に行く理由がないと思ったのも1つだが、なにより、大震災が起きて、いつ死ぬかもしれないという現実を思い出したことで、とにかく「自分がやりたいことをしよう」と思ったのである。当時、同様の考えで結婚式なども増えたらしい。僕の場合、目の前のやりたいことはフリーランスだった。とにかく自由になりたかったのだ。

自由になりたくて、サービス開発をはじめた

フリーランスになってからは、とにかく「やりたいこと」を考えた。結果、頭に浮かんだのは、WEBが僕にとって自由の象徴だったことだ。WEBはなんでも出来る。なのに、どうして僕は誰かの事業だけを手伝っているんだろう。こうして、僕はサービスづくりを始めた。

もちろん、始めてのWEBサービス開発である。まったくうまく行かない。やり方も何一つとして分からない。数多くの失敗もした。色々な人に出会い、色々な人に助けられることもあれば、足を盛大にひっぱられることもあった。人間関係も、事業の作り方も、全部、手探りだった。失敗の山ばかりが積み上がり10以上のサービスと時間が無駄に消えていった。

ところが、無駄だと思っていたそれらの失敗は、どうやら自分の中に「してはいけないこと」「地雷リスト」を築き上げているようだった。してはいけないことを避けていったら、上手くいったのが「メディア」だった。昔、イベントをやっていた時、イベントと連動して、出演したアーティストを紹介するメディアを作ったのだ。それが、徐々にアクセス数を伸ばし、生活できるくらいの収益を生むようになった。イベントを終えてから、たった1人で運営した期間はおよそ5年である。ようやく何か掴んだ気がした。

結局、色々なことを間に試したが、生き残ったのは「一番継続できたもの」だった。考えてみればWEBもそうだ。WEBもなんだかんだ言って、6年ほど継続している。結局、間に色々あっても「長期間、試行錯誤しながら継続すればなんだって成果が出るんだ」と分かった。成功させるために必要なのは、生かし続けること。生存し続けること。これが僕の戦い方であり、成功の軸だと思った。

成功体験とスキルが人生とマインドを変えた

メディアで副収入が出来て、技術もついて、ある程度お金に余裕が生まれたころ、僕はセブ島に向かった。IT留学というジャンルが生まれたことを聞き、自分もそういう学校を作ろうと考えたためだ。理由は単純で、受託案件も増えすぎて手が回らなくなり、誰かを雇おうと思った。しかし、仕事の仕方が特殊だったのでベストな人材は雇えず、自分で育てたほうがいいと思ったからだった。せっかく育てるなら、学校を作れば事業にもなるし、一石二鳥である。

そして事業は半年程度で収益化に行き着き、不格好だがそれなりに可能性は見えてきた。以前はまともな収益化まで5年かかったのに、今回はたったの半年だ。自分の中に、ある程度「商品を作って売る」「サービスを作って売る」方程式みたいなものが出来上がっているのが分かった。こうして僕は、少しずつ「自分でサービスを作って売る」ということを、身につけていったのである。

しかも、面白いのが、ほぼ1人で作り出せたことだった。事業を企画し、WEBサイトを作り、マーケティングをして集客する。WEBサイト制作に関しては、より自分よりすぐれたデザイナーにデザインをしてもらったものの、その後、売上重視の形に改良していった。広告費と学校の場所代はかかったが、それ以外はすべて、自分のスキルだけで出来たので、コストはほぼ無いも同然である。事業は、お金をかけなくても、人数を集めなくても、スキルがあれば作れることを知った。

しかし、その事業自体は、色々あって1年ほどで離れた。帰国後、運営していたメディアを売り、ある程度お金が出来たのでアメリカに向かい、現地で事業の作り方を学んで回った。こうして、少しずつ自分の中で「事業を作ること×WEB制作 = 絶対的自由でワクワクする仕事の創出」という方程式が出来ていった。もう、どうとでも自分の人生をコントロールできると思った。いつの間にか、ただ「自由になりたい」という気持ちは薄れ、このスキルで何か世の中に役立つことがしたいと思っていた。初期とは比べ物にならないほど、ワクワクする対象と、マインドが変化したのである。

みんなサービスを作り出せてもいなかった

こうして、日本に戻り、僕が最初に感じたのは「違和感」である。圧倒的にWEB制作スキルを持つ人は増えていた。だがどういうわけか、誰一人としてサービスや事業を作ろうとしない。高度なマーケティングスキルを持つ人もいた。なのに、なぜか自分でサービスを作って売ろうとしないのだ。僕なんかより、圧倒的に高いスキルを持つ人は大勢いる。なのに、やらない。

いや、もちろん「自分のスキルを誰かに提供することが好きな人」は良いのだ。充分に自分の人生を楽しんでいて、社会に価値も提供している。ただ、疑問なのが「サービスを作りたい」「いつか受託をやめたい」と思っている人まで、そこから抜け出せない、抜け出そうとしないといことだ。

彼らは「サービスを作りたいから技術を習得した」「将来的には受託ではなく、自分のサービスで生きていきたいと思っている」といった。ところが、なかなか動き出せていないのだという。

WEBができて、事業づくりができて、そして売る力があれば、それこそ自由自在だ。WEBサイト制作を始めた当時は、たしかに「WEB制作 = 自由の象徴」のように思えていた。だが、現実は少しだけ違う。WEB制作、そして受託だけでは、よほど上手くやらないと、金銭的、時間的に自由になるのは難しい。お金、時間、仕事、いずれかの自由が奪われる。そしてよほど上手くやれたとして、10年もそれを続けられる人は、ほとんどいない。

少なくとも「サービスを将来作りたい」と考える人にとっては、その技術を使って、サービスを作り、売るからこそ自分の本当に実現したい仕事となり、自由になれるのだ。

しかも、その自由とは、例えば自分だけの、単純にお金もちになりたいとか、ストレスなく生きたいといった願望と、同系列の自由だけではない。たとえ、それまで単純に生活の自由を欲していたとしても、事業を作るスキルセットが、そんな自分さえ変えてしまう。生活に余裕が生まれ、自信が生まれ、サービスを自分で作り出せる力があるなら、それを使って何か「新しい価値を誰かに提供したい」と思いはじめるのだ。

事業を作り、WEBを作り、そして売る力が備われば、そのスキルセットが人間の思考さえ変える。そこで手に入るのは、もはや自分だけの自由ではない。自らの手で理想とする仕事を生み出し「世の中に価値を提供したい」「社会に貢献したい」という意思そのものだ。新たな価値を世界に生み出せるなら、それは天職になる。生きているという実感を感じられる。社会に価値を生み出す自由こそ、本当の自由なんだろうと思った。

実際に、僕自身がそうだった。最初は、ただ自由になりたかった。もちろん「面白いことをしたい」と思っていたが、社会への価値などまったく考えてなかった。そんな人間さえ、事業づくりのスキルは変えてしまう。生活の自由を求めて行き着いた先、それは「価値を自由に生み出す自由」だった。

ただ、そうは言っても、誰もがなかなか一歩が踏み出せるわけじゃない。一体なぜなのだろうと不思議で仕方がなかった。社会はそう、うまくはいかないらしい。誰もがうまいやり方を知っているわけじゃない。

なぜ技術があるのにサービスを生み出せないのか

再度になるが、受託で誰かの役に立つことが好きな人は、もちろんそれでいい。きっと受託であることが天職なのだ。それで社会に価値を生み出せていて、満足する働き方が出来ているのだから、変える必要なんてない。

ところが、いずれサービスを作りたいと思っている人まで、それでもなお受託を続けているのは変えたほうが良いように思える。

「どうしてWEBサイト制作のスキルを覚えたのか」と尋ねると、尋ねた半分の人は「自分でサービスを作りたいと思って」「時間も場所も自由に仕事が出来ると思って」と、以前の僕と似たようなことを話してくれる。なのに、なぜ自分でサービスを作り出そうと行動に移さないのか、不思議で仕方がなかった。なので僕はインタビューを実施した。すると少しずつ分かってきた理由が5つあった。

・何を作ればいいかわからない
・何からはじめて良いのかわからない
・C向けに売り方が分からない
・勇気がなかなか出ない
・忙しすぎて、やろうと思っても手をつけられない

なるほどと思った。やろうと思っても、なかなか踏み出せない環境にいるのだ。何を勉強していいか分からないし、どこから手をつけていいかわからない。挙句の果てに忙殺されていて、手をつける暇がない。そんな中仕事を減らしてサービスを作り始めるのは、相当の勇気がいるだろう。

僕は、そんな彼らがもし、みんな自分で事業を作れるようになったら、世界はもっと面白くなると思った。だって彼らは、何か生み出そうとしているのだから。やり方さえ分かれば、本人の意思はどうあれ、結果的に、数多くのワクワクする何かが世の中に生まれ落ちる。多くの人は僕なんかよりもずっと、クリエイターなんだから。

SATRTOUTやクリエイター村構想がはじまった

こうして僕はSTARTOUTやクリエイター村の構想をはじめた。すぐに、誰もが自由に「WEB制作と事業づくり、そして売る力」を習得できる、すべて揃った、オールインワンのパッケージを作る必要があると思った。しかも格安で誰もがすぐに手に入れられなければならない。なるべく、学ぶ費用が事業の負担になってはいけない。

また、気軽に順番通り隙間時間を使って学ぶことが出来る必要がある。すでに技術を持った人は、忙しいからだ。だからSTARTOUTでは、起業系のカリキュラムが短くコンテンツを区切って、横スライドで学べるようになっている。音声も用意した。すべては、空き時間にさっと学べるようにするためだ。一方でWEB制作はがっつり机に向き合って学ぶはずで、実際にインターネットで調べる時も、そのほとんどがブログや各種情報媒体の検索であるから、似た形の縦スクロールにした。

ちなみに、なぜ制作から事業づくりまで学べるパッケージかというと、スキルを個別に習得してしまうと、サービスを作るという選択肢に、なかなか行き着けないケースが多いからだ。結局「サービスを作りたいけど、どうすればいいか分からない」という状態に、多くの人が入りこんでしまう。そうなると、もう抜けにくい。実際に抜けて、始めて、成功できる人は、ごくわずかだ。なら、最初から全部をまとめて、社会に踏み込む前に、学習過程からサービスを作り始めれば、手っ取り早いと思った。

学習過程で、すでに自分のサービスを作りながら製作技術を習得するわけだから、スタート地点ですでに一歩、サービス開発に踏み出している。そうなれば、よほど忙しくなってからすべてを研究しはじめるより、圧倒的に早く、自分のサービスに行き着けると思ったのだ。

それに、実践すれば自分のサービスがポートフォリオになる。実践で習得するから、より試行錯誤して考える力を身に着けた上で、技術を習得できる。ビジネスも分かるから、事業の発展に貢献できるクリエイターが数多く生まれるだろう。そして、もしこの仮設が成功すれば、サービスづくりや事業づくりを追求することが、ライフワークとなるだろう。

最高の問題解決方法だと、今、この瞬間も信じている。だから、開発し続けているのだ。ある程度の方向転換はあったとしても軸がぶれることはない。だって、これだけ試行錯誤した上で、なおかつ、僕自身がその手段が最良であると信じ切れている。クリエイター村も一緒だ(詳細は最後に記載する)。なにはともあれ、こうしてSTARTOUTのプロジェクトははじまった。

すべては自分のスキルで変えられる

僕は何も起業の造詣が深い場所で育ったわけでもない。大学も平凡な大学だ。なんとか大学3年の時に留学に行き着けただけで、元々海外となんらかのつながりがあったわけでもない。ごく一般的すぎるキャリアだ。むしろ、中学校から高校、そして大学まで勉強はまったく駄目で、田舎にいて勉強に興味さえなかったものだから、大学の存在がどれほど良いものかなんて、まったく知らなかった。仕事もまったく出来なかったし、そもそもやる気さえなかった。自由に楽しく暮らしたいと思っているだけの人間だった。

だが、そんなすべてを変えてくれたのがスキルだった。WEB制作のスキルそしてマーケティング、さらに事業づくり。それらのスキルセットを学び、知り、使えるようになり、成功体験を得たことで、僕は今の自分になれた。

多くの人はサービスを作るにはWEB制作のスキルがあればいいと思ってはじめる。しかしそうじゃない。事業を作って売るスキルの他、よほど勇気を振り絞らない限り「人生プラン」「人生戦略」がサービスを作れるかどうかに大きく関わってくる。

そして一度人生プランを間違えると、膨大な時間と、なかなか抜け出せない環境に閉じ込められる。僕らがサポートすべきなのは、スキル習得だけじゃなく、WEBクリエイターとして、そしてサービスホルダーとしての「人生の始め方」なのだ。STARTOUTの学び方であれば、自然とスタート地点が理想の位置に補正されるはずだ。結果、たくさんの人生が変わり世界を面白く、自由にしてくれるのではないか。僕はそう信じている。

どんなプロダクトもそうだが、STARTOUTもまだ、これから進化する。たくさんのお叱りを受けることもあれば、まだまだ理想には遠い。だが、開始時より確実に結果は出ているし、絶対的に前に進んでいる。これからずっと継続し、開発し、進化させ続け、なにがなんでも理想とした仮説を実現させられるよう、進んでいく。これまで挑戦したすべてがそうだった。粘り強く、しつこく、仮説を確かめ、改善し続けることこそ、すべての理想を実現できる、唯一の道なのだ。

ぜひ、みなさんも、僕らと一緒に人生を変える旅を始めてほしい。人類全員が人生を変えることを諦めない限り、僕らも全力でSTARTOUTを進化させ続けていく。一緒に、自由を手に入れよう。その先で、僕らの願う理想的な価値の一つが、社会に生み出される瞬間を目撃して頂ければ幸いだ。もし一緒にSTARTOUTを作っていけるなら、これほど嬉しいことはない。

ということで、これからも、よろしくおねがいします!

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