モンゴル人の話

僕はかなりものが捨てられないタイプの人間だ。ありがちだけど、何かに使う気がしてずっとものが捨てられない。そしてそれを使った試しはない。

ただこの前引っ越しをする機会があったので、かなりのものを捨てた。大学時代に買った本や、勢い余ってドンキで買った鼻毛カッターとか、たまたま充電が切れた時にコンビニで買ってしまったiPhoneのケーブルなんかを全部捨てた。そして捨ててしまってからなんだかとてもすっきりしたのか、捨てることにはまりまくっている。

例えばスマホのアプリ。友人に面白いよと言われてなんとなく入れたゲームから、入ってたほうが良さそうなニュースアプリ、際限なく無駄に見てしまう2ちゃんねるのまとめアプリとかを全部捨てた。

それはラインのトークにも派生して、ただその場の勢いでラインを交換してもう二度と連絡を取らない人や、今の所面白いと思えない人なんかとのトークを全部削除していた。もちろんその人たちと再び繋がることはあるかもしれないけれど、本当に必要ならなんとか繋がれそうな気がするので申し訳ないなあと思いながらかなり削除した。

今日の昼間も仕事の休憩中にタバコを吸いながらラインのトーク削除を続けていると一人のなんとも悩ましい人が出てきた。昔同じバイトをしていたモンゴル人だ。

彼はモンゴルで生まれ、モンゴルに育ち、モンゴル人と結婚してモンゴルで幸せに暮らしていた。結婚した奥さんが税理士をしていて、日本の大学に国費で留学が決定したことがきっかけで彼はモンゴルを出て日本にやってきた。

僕が彼と会ったのは外車ディーラーの下請けをしている洗車の会社だった。出会った当時彼は奥さんの学生ビザで日本に滞在していて、アルバイトとして週6日働きながら、小学3年生の子供と学生の奥さんと暮らしていた。仕事は粗野で、妙な日本語を操りながらスマホのゲームに夢中になっている可愛い33歳の成人男性だ。

彼とのアルバイトはとても楽しかった。スマホゲームをしながら洗車をしていて上長に怒られている彼を見るのが大好きだったし、彼から聞くモンゴルの雄大な自然の話が大好きだった。そしてなにより奥さんとモンゴルのことが大好きな彼は心底愛らしいキャラクターだった。

以下は実際に会った彼との会話である。

モンゴル人「モンゴル残業無いよ。」
僕「マジですか?」
モンゴル人「仕事もない。」

モンゴル人「サオダケヤってなに。」
僕「竿だけ売ってる店だよ。」
モンゴル人「竿だけ誰が買うの・・・」

就業中寝ている彼を起こして
モンゴル人「君!人の昼寝邪魔して、人でなし!」  人でなし!?

なんて愛らしいキャラクターだろうか。会社では嫌われていたが僕は彼が大好きだった。

奥さんの卒業が近づいてきた。彼は馴染みのない日本からモンゴルに帰れる日を心待ちにしていたが、ある日出勤すると彼は普段は絶対に見せないような顔で僕にこう告げた。

「子供できてた。」

奥さんの大学卒業は2ヶ月先だった。

奥さんと相談した結果、子供は日本で生むことが決まり、そのために彼はビザの申請のために正社員にならなければならない話をしてくれた。そこからの彼を僕は見ているのが辛かった。

元々の立ち振る舞いもあり彼は正社員にはなったものの、どう考えても待遇は悲惨だった。当てつけのように遠くの拠点への応援が増え、そういう日は通勤時間は3倍になって、彼は日に日にやつれていった。

久しぶりに会った彼は愛らしいジョークを言うこともなく、ただひたすら愚痴を言うようになってしまっていた。上の子がどうしても日本の小学校を卒業したいと言ったため、日本の滞在が2年延びたことの愚痴に始まり、生まれたばかりの子供の世話について愚痴、仕事についての愚痴。とどまることがなかった。

そこから彼が辞めるのにそう時間はかからなかった。
最終出勤日、僕たちはお酒でも飲もうと約束をしていた。僕は次の仕事の話やこれからのことについて面白おかしく話せるような気がしていた。ただその日、生まれたばかりの赤ん坊が熱を出し、彼は早退した。そこから僕たちは一度も連絡を取っていない。

上の子の卒業まで後1年ある。彼は日本にいるはずだ。
でも、何をどこから切り出せばいいのか、そもそもそんなに飲みたいのか、ていうか何を話すのか、どう考えても捨てていいはずのトークで、多分彼とは今後会う機会ってもうない。執着する必要なんか全然ない。だけど、別れらしい別れがない方が豊かな気がして、なんだかこの宙ぶらりんが心地よくて捨てられなかった。捨てることで僕たちはストレスから解放されたり、身軽になれたり、整理が出来たりする。でも、絶対に要らないものを持つことも豊かさなのかもしれない。

おわり。