見つめ直してみたいこと

 今年最後になるであろう演劇の準備をしています。

 詳細は後ほど出てくるかと思いますが、それまでのように自身の団体で脚本と演出を行うものではなく、他団体で他の作家さんが書いたものを演出することになったのでございます。
 というとずいぶん仰々しく聞こえますが、ずっと同じように演劇を続けてきた仲間と立場を変えて演劇を作るのです。ただ、いかんせん初めてのことが多く、これはこの機会に言語化でもしておいて、これから先の創作を考えるためのきっかけにでもしようではないかと思ってつらつらと書いてみようと思います。

僕が今回期待していることは主に三つです。

 一つ目は演出という役割の再認識。そもそも僕は俳優として小劇場演劇と商業演劇に片手で数えられるか数えられないかくらいの数しか出ずに劇団を立ち上げ、勝手に劇作家だとか演出家だとかを名乗り始めています。別に何か資格をとって名乗るものでもないので気にする必要など全くない! 全くないはずなのに初めて会う人に向かって「演出家です!」「劇作家です!」と自己紹介でもした時には心の奥底でなにかもやもやすることがあって、これって何が原因だろうかと考えると、圧倒的に「仕事感のなさ」なのです。それってお金を稼いでいるかどうかとか、任されている責任の範囲に依存するはずなのだけれど、劇団の主宰、脚本、演出、制作、その他諸々の色々に交わっているとあまりに全てが自分の責任すぎるため【主宰】という一言に集約されてしまって、個々の役割の境界線がとても曖昧なのです。
 僕は今回【演出】という役割で座組に入って、そもそも演出ってどんなことやる人なのか、再認識できるチャンスだと思っていて、とても楽しみなのです。

 二つ目は、東京以外で演劇をするということの検証。僕たちは東京都新宿区で稽古をし、概ねJR中央線沿いで公演をし、下北沢で演劇を見るというびっくりするほどステレオタイプな演劇界隈の人です。中身はそんなことないぞ! と思っていても、他人からみたら大体演劇人なんて同じようなもんで、僕たちもご多分に漏れずに鳥貴族とかで飲んだりしています。
 そんな私たちが鎌倉で公演をする。これは大事件なのです。なぜなら友達がいない。今まで大学時代の友人や飲み屋であったおじさんやバイト先・仕事先の人たち、思い切って家族までを半ば拉致のように連れてきた私たちにとって都内を出るというのはとても勇気のいることです。
 こんな遠くまで誰が来てくれるのだろうか。そして、こんなに遠くまで来てくれる人のための創作せねばならないのか。いや、そもそも鎌倉で上演するのだから、いつまでも東京の人を連れてこようというのもおかしいのではないか。これまでの企画制作から上演までの流れを今一度検証し直す良い機会だと思っています。
 これは完全に余談ですが、僕たちだって、東京がもう終わっているのはなんとなく察しているのです。でも動けなかった。それを動くきっかけを得られたことが今を嬉しく、身震いをしています。

 三つ目は短期集中の泊まり込みの稽古。これまでの僕たちの稽古スタイルは作品にも依りますが中長編で約一ヶ月、短編で約1週間の稽古期間を設けて稽古をしていました。それを都内での数回の稽古と約1週間の稽古で立ち上げようという試みを検証できることです。今まで、なんとなく「演劇って一ヶ月くらい稽古するんだって。長いところだと3ヶ月とか。」なんて言葉を鵜呑みにしながら、何も知らない僕たちは「とりあえず稽古期間一ヶ月とる?」と思考を放棄していました。そしてそれはなんとなく劇団の風習として落ち着き、おそらくこれは壊れなかったのではないかと思います。
 稽古という、作品をより良いものに仕上げていく過程の中で本当に必要なのはおそらく時間ではなさそうなことはなんとなく察しがついていたのに、僕たちはそれを時間という枠組みでしか捉えられていませんでした。だって、作品の質を高めていくのに時間はあればあっただけ良いとも思う反面、料理のように完成したあとにやっぱり味が足りないかもといって醤油を足しすぎたり、火を通しすぎたり、そんなことが演劇でありえないなんて絶対にないはずです。もし今回、時間意外に絶対に必要な要素や、必要な段階が短い期間で可視化できたらそれは発明になりうるし、もっと言えば演劇の構造自体も変えられるかもしれないとすら思っています。


 詳細はそのうちお知らせできると思いますが、公演が終わったこの三つが、本当にしっかり検証できたら、僕たちはもっと高みにいけそうだなとほくそ笑んでいます。