ライナーノーツ〜情報量の海〜
こんにちは、関野です。
文月プロデュース公演 #1 『草の便り』という作品を鎌倉で作りました。
忙しさにかまけて全然noteを書けていませんでしたが、やると言ったのでやりきります。
公演その目論見と過程を明示しておくためのライナーノーツといいながら、すでに公演が終わってしまったので、目論見と過程だけじゃなく、結果も交えながら書いていこうかなと思います。
第5弾です。
前回の稽古から作家であるナカノキョウコと共に台本の修正を何度も行い、完本した状態で臨んだ稽古でした。この時は完本だと思っていましたが、一歩足りずに結果もう一度改稿を行うことになりました。
ただ、そのことを当時の僕らは知る由はなく、完本だああ!と喜んでいたのを覚えています。
まずはみんなで完本した台本を読みながら、戯曲の修正点を確認しながら、それによって起こる時系列の洗い直しから行いました。
前回の記事で書いていた【言語情報と非言語情報で同じ情報を伝えない】ということが前回の稽古とこの回の稽古の間でアップデートされていたので、その話もしました。
つまり、前回は言語情報と非言語情報を乖離させることに焦点が当たっていました。しかし、言語情報と非言語情報は違うことに価値があって、その距離が大事なわけではないということを僕が気がついたのです。
例えるならば、『美味しい』というセリフの最中に『溺れそう』という非言語情報をぶち込もうとしていたのが、前回の稽古です。
しかし、今回の稽古では『美味しい』というセリフの最中に『まずい』という非言語情報を入れましょうというものでした。
結果【サブテキスト】という演劇界で当てこすられた単語に集約されてしまうものでしたが、業界で使われている言葉に体温が宿ったようで、やはり意図をもって稽古に臨むことの価値を感じたりしました。
ちなみに前回の稽古で僕はこんなことを考えていました。
意図的に言葉と身体を乖離させること自体はチェルフィッチュとかマームとジプシーとかがすでにやっていることで、演劇的な新しさは全く無いんだけど、俳優がセリフという呪いから解かれていく様が見られたのでとても良かったと思います。
俳優がセリフにがんじがらめにされていくことって頻発するので、言語化ってやはり意味があるなと強く確信しました。そして同時に、先人のやったことを分解しながらパクることってとても価値があるなとも思えました。
そして今回この作品をつくるにあたり、僕が試してみたかったことのひとつがIPT=Information Per Time(時間に対する情報量)を膨大にしてみようというものでした。
つまり40分(当初の予定ではこれくらいを想定していましたが、結果50分の作品になりました)の中で40分で処理しきれないほどの情報を観客に渡したいなと目論んでいました。
セリフの文字量は決まっているし、ページ数も決まっている。この中でどれだけ多くの情報を凝縮して渡せるのか、それが僕の裏テーマでもありました。
Youtuberとかインスタグラムのストーリー、CMなど、IPTが高いものは数多くあって、音楽も転調が増えている時代に演劇も一度同じ土俵で戦ってみたいと考えていたのです。
ただ、最終的にこのIPTという概念を持ち込んだことがこの後の僕の大きなつまずきとなりました。
次回【イメージを叩く】