なぜ「書く」ことを躊躇してしまうのか
自分は言葉の使い方が下手だと思うことがよくある。
じゃあどうすれば上達するかというと、とにかく読む。とにかく聞く。とにかく話す。とにかく書く。そうすればいい。
使わなきゃ上達しない。
聞くを徹底することは自分にとって簡単だった。自分が聞き上手かどうかは知らない(ただし聞き上手だと思ってくれている友人は何人かいる)が、人の話や想い、考えている事などを聞くのは好きだ。
話すことは嫌いではない。内向的で社交の場が苦手な代わり、サシで飲みに行ったりするのはとても楽しいし、そういった場で言葉遣いに気を使いながら会話を楽しむことはできる。人数が多い状況では黙ってしまう性分なので、とにかく自分が話しやすい環境に身を置いて話す努力をする。
読むことは、楽しいけれど気力がいる。そもそも読むスピードも人より遅いのかもしれない。忙しくなるとすぐに本を読むことを辞めてしまいがち。でも読みたい本は常に手元に置いてあり、内容にハマれば読むことはとても楽しい。オーディオブックも聞くようになったので、読むという行為のハードルは昔よりもさらに下がった。それに、読むことは新しい言葉や表現を覚えるとてもよい機会でもある。
しかし、書くことだけは今も苦手だ。
会社に勤めていた頃も、親戚にメールを送る時も、文面が丁寧だと褒めていただくことが何度かあった(親戚の褒め言葉は自分のことを贔屓目に見ている可能性も大きいが)。トランプが大統領選に当選した翌日に書き上げて、何度も推敲した上でフェイスブックに投稿した文も珍しく150くらいイイねがついた。だから、書く才能が全くない訳ではないとは思う。
それでも書くことが苦手だ。
書きたいことがない訳でもない。
今までも、「これについて書きたい」と思ったテーマをエバーノートに箇条書きにして保存してきた。こんなテーマのブログも案外ウケがいいのでは、と思うネタもいくつかある。
それでも今まで書けなかった。
くだらない完璧主義思考に負けて、せっかく原稿を書いたのに途中でメンタルが疲れてそのまま放置。
やるべきことややりたいことがありすぎて、後回しに次ぐ後回し。
ただの怠情だったのかもしれない。
でもやっと、そんな自分に限界を感じるようになった今日この頃。
書く能力と書く習慣がないと、この先は何も始まらないところまで来たように感じる。
元々自分はそんなに頭が良い人間でもない。そして人に説明しづらい、よく分からない人生を歩んでいる。
そんな自分が今後も成長し続けて行くためには、書くこと、書く能力を身につけること、そして書いていることを公の目に晒すことはとても大事なんじゃないかと思っている。
物書きになろうとしている訳でもない。有料ノートを投稿して云々、なんてことも全く考えていない。
でも書かないだけで、自分の将来の可能性を狭めてしまうリスクはあるし、それが怖い。書かなきゃと思うくらいその恐怖が大きくなった。
ほかの言葉の使い方と同じく、書くことも楽しめるはずだ。書きたいと思ったことは今までもたくさんあったし、これからもたくさん思いつくだろう。
だから書かなきゃソンソン。
言葉の使い方をもっともっと磨きたい。言葉をもっと自由に操りたい。言葉を操ることをもっと楽しみたい。そしてきっとそれは、まだ長い(かもしれない)人生を楽しむために重要な要素の一つだろう。
だから書こう。
(書くことに慣れてないから、ここまで書いて、少し疲れた...