なぜ若者は、政治から離れていったのか
幾度となく議論されているテーマです。
「学校、仕事、恋愛。いろいろあって、忙しいんだよ」
「若者はそういうものだ。しょうがない」
やさしい大人はこんなふうに言ってくれますが、いつの時代も、若者は政治に興味がないかといえば、けっしてそうではないように思います。
このテーマを考えているうちに、いつしか、
「政治家自身が、あえて政治から若者を遠ざけているのではないか?」と思うようになりました。
戦後、長い間政権を握ってきたのは自民党で、自民党が優先しているのは、経済です。
そして戦後、アメリカから持ち込まれた思想は、「個人主義」です。(アメリカの個人主義と日本のそれは、だいぶ違いますが)
経済優先 × (日本人流の)個人主義。
このかけ算の先にあるものは、
「ルールさえ守っていれば、お金儲けだけに邁進していいよ」
「人に迷惑をかけなきゃ、なにをしても自由だよ」
「恋愛。スポーツ。やりたいことを好きなだけやっていいよ」
というメッセージであるような気がしています。
このような状況だと、欲求をおさえ、時間をさき、政治を学ぶ若者は、増えなそうな気がする。
この状況、すなわち、「政治に無関心でいいですよ状態」は自然発生したのではなく、実は政治家自身が待ち望んでいたのではないか、という気さえします。
なぜならば、政治に興味をもたれるより、無関心でいてくれた方がラクだから。
例えば、日本の人口1億人が、つよく政治に興味を持ったなら、反対勢力が簡単に形成されてしまうからです。
若者が政治に興味を持った結果、
国(政府)は手痛い思いをした経験が、(少なくとも)二度あります。
その経験は、「明治維新」と「安保闘争」です。
明治維新では、旧体制の政治に対して、一部の若者がNOを突きつけました。
革命の志士たち。
当時、高杉晋作は27歳、坂本龍馬は31歳、木戸孝允は34歳、大久保利通は37歳、西郷隆盛は39歳……といった調子です。
当時でも80代90代まで生きる人がいるなかで、
20代から30代の若者が、幕府をひっくり返してしまいました。
安保闘争についてはご存知の通り、
大学生を中心とした若者が政府の姿勢に対してNOを突きつけ、機動隊が出撃し、最終的に死人まででた「闘争」です。
こんな調子で、あまりに若者を政治にコミットさせると、
ときには闘争が起こり、国家転覆の危険さえ伴ってしまいます。
とくに日本の場合は、一気に不満が噴出する傾向が強いように思います。
宗教的道徳で、国民意識を連帯していない、すなわち世代を超えて、不文律の思想を共有していないため、変化が起こるまでは時間がかかるが、ひとたび変化がはじまると、その流れはものすごく早いように思います。
そのため、「若者はやりたいことに勤しんで、金儲けに勤しんで、政治のことはあんまり考えないでね」としていた方が、政府、とくに与党にとっては都合がいいのだと思います。
「なぜ若者は政治に興味をもたないのか」と、指摘する政治家は多いですが、「ほんとうは、興味をもたない方が、お国にとっては都合いいんじゃないの?」というのが、ボクの推測です。
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