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ああなればこうなる世界

 今日は変な出会いで、というか私立学校で働いている友人のお願いで、探究をさらに進めようと学校の中でなっているからプロジェクトチームにしゃべってくれと言われまして、1hほどZoomでしゃべりました。自分としてもさらに考えるきっかけとなったのでここにまとめておきます。しゃべりながら何で自分は探究とか、そういう時間が好きなのかなとさらに考えました。

探究する子どもの姿

 探究やればいきいきするとは思います。なぜかというと、遊びだからです。子どもはとにかく遊びたい。それが自然な姿だと思っています。机について並ばされてる方が動物として不自然ですね、正直。で、本来それでいいと思うんですよ。夜自分が退勤する時間に、これはもちろん自分の価値観なんですけど、学習塾にいく小学生をみてるとなんともいたたまれない気持ちになるんですよね、自分は。ええんかなそれで、って。子どもはもっと遊びたい気持ちへの我慢とか、親への期待とか、そういうのを背負っていってるんかなぁとか思っちゃって。ここに行きたい!(私立中学)とか自分ではなかなか言わないですしね、小学生で。もちろん医者になりたいとか、早く進学校にいかないとやれないこともあると思いますが、じゃあ逆になれない可能性も当然あるわけで、そのとき人生の終わりですか?とも思います。そんな悩むくらいならインドでもいって意味わからん異文化を見たり、アイスランドで中央海嶺の火山の凄まじさを感じた方ががいいです(とかいいながらインド映画で勉強きつくてそれへの警鐘の映画ありましたね。「きっと、うまくいく」)。

 多分そんな悩みとかはなんてちっぽけなことだと思えるんじゃないでしょうか。という感じで、子どもたちが勉強は点を取ることだ!くらいの学習観におさまることのほうが怖いと思います。この道しかないんだ!も然り。子どもは遊んで学んでるくらいが僕は自然なんじゃないかなぁと思っています。その方が子どもの姿として美しい。この美しいってのは小林秀雄さんの「美を求める心」からです。

 最近は学校ってただの統治機構でしょ、くらいに思ってる過激派なのでね...笑。でもそもそも前で先生が教えてるあのシステムは明治の軍隊作りたかった時から変わってないですよ。

探究の評価

 勉強することをただの合格を取るための切符とか、そんな小さい学習観におさまらないようになったらいいなとは思っていますが、ただじゃあ遊ばせとけばいいんかといったらそうでもないし...と悩む部分だと思います。が、軽井沢風越学園でさえこれをやったからこんな力がつきましたと明言してないんじゃないかなとも思います。でも、なんか意外なところの数値が良くなったり、評価項目あがったりすんのかなとも思うんですよね。起業率が高いとか。
 例えばですが、卒業生が子どもをここに入れる率が急上昇するとか。実力もつけてくれたのだけど、それだけじゃなくて自由にもさせてくれたと思えて本当によかったと言ってる人がかなり多い、とか。そんな思いがあってまたそこに通わせるという選択肢をとるのは素晴らしいことかとじゃないですか。一つの評価指標だとは思います。自由にしないからもっていける方向はあるけど(ある程度のテストを解けるとか)、自由をなくすことによる人間性の喪失があっては本末転倒では?とは思います。もちろん、点を取らなくていいとかは思ってません。僕もばちばち問題解けるようにも教えますし。

ああなればこうなる世界、だけではない

 これをしたらこんな力がつくよ、という意識はなんとも難しいところです。ああなればこうなる世界ですね。Aを入力したらBになる、みたいな。養老孟司さんがそんな感じのことを言ってます。

 同じく、努力すれば力がつくよ、もそこまで好きじゃないです。あんまりよくないと感じています。じゃああなたは趣味で何かをやっているところにいきなり他人が、最終的に死ぬのにそんなことして意味あるの?とか言われたら嫌ですよね。ライブみにいって何の意味があんの?とか。楽しいからでいいし、それに尽きるかと思います。正直探究も楽しいから、でいいんじゃないかな。理屈つけようと思えばつけられますけどね。僕は探究について考えるのもやるのも好きですし、そして彼らに自分でやる感覚を持ってもらえる意味はあるとは思いますが...こんな力がつく!と意気込みすぎるとしんどいですよ。つかなかったら責任とってくれる?と言われても、いやぁそれは...です。自由は本来楽しいので、それでいいんじゃないかなと。同時に、自由は大変です。
 ただ一つ、大きなことをいうと、普通の授業はその子に戦略や計画を作るのを伸ばすかと思うんですけど、探究は夢を作ることを伸ばすと思いますよ。やりたいことを潰されて続けた子どもに、高校生くらいになってからやりたいことなに?ってきいても無いよ、って答えるかと。よくわからんことやるなと思ってもその子なりに考えた結果なので、やらせてあげてください。子どもは「未完の姿で完結している」のです。これは伊那小で語り継がれている詩です。

最後はやるだけ

 いい仲間なのだなと思いました。参加された皆さん。皆さんとても誠実な人だと感じました。こんな僕にもとても皆さん丁寧で有り難かったです。答え忘れてましたが自分の学校でそんなにこの探究のことをオープンにしてません。同じ理科の人たちくらいですね。zoom終わった後で、もっとやったほうがいいことだと思いました。むしろ協力できる同僚性があるのだとしたら、あとは小さくていいのでやってみて、それをみんなはどう捉えて、またチームで共有し、いや、チームだけでなく学校全体としてもフィードバックし、さらに勉強し続け、をやるだけだと思います。はじめるとなんか思っていた感じとは違う、となるもんだと思います。会議室で考えたグランドデザインってそんなもんっちゃーそんなもんなんですよ。で、そこからが勝負だとも思います。完璧な案や作戦なんてものはないので。絶対違和感を感じます。そこを気にせずやるなら大したことにならない気もします。そこでさらに変え、その変更について「いや、でもそれは違うんじゃないか」と揉めるくらい意見を出して欲しいなと思います。その方がさらに良くなると思います。

こんな内容を寝かしつけしながら考えてたのでした

 娘が体操教室から帰って昼寝するんですけど、寝かせようと思いつつこのnoteのことを考えてたんですね。でもなかなか歌って(笑)、寝ませんでした。そこでもう寝る時間!と怒って寝させるのも可能。だけど、このまま寝たら夢の中でも歌ってるかもね〜と声かけしたら、まぁ最終的に寝ました。大人がこうしたいからこうする(寝させたいし寝させる方が健康にもなるし無理に寝さす)、はなんともエゴなので、焦らないことが大事かなと思いましたね、自分で笑。すぐ結果を求めないことかなと。ああなればこうなる世界で生き続けるとすぐ結果欲しくなりますし。子どもが産まれて一緒に過ごすとこの世は理屈じゃねぇなぁと思わせてくれるので自分としては非常によかったです。大人1人で暮らしてるとなかなかうまいこといかないって無いと思うんですよね。過去の自分を知っている人はそうだね、となると思うんですが非常に合理的で、それ以外を許せない感じがあったので。子どもに成長させてもらっております。

このへんで。2月15日。

おまけ
結局やりたいと思った時にやればいいと思っています、何でも。トヨタの豊田会長がそんなこと言ってて、当然ながら同意です。なので最近は英語を毎朝勉強しております笑。やりたいときの勉強が一番意味ありますからね。

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