『冷凍食品×アメリカ×D2C』アメリカで働き始めた2024年の振り返りと2025年をどうするか?
前回2024年9月から仕事をはじめた際に、何をやっているのか?の記事を書いてから3ヶ月経ち、2025年になったため、ここまでを振り返り、2025年において考えていることをまとめてみます。
米国ではじめて働いた1年、2024年
実際にアメリカに住んで、生活し、働くとどのような心境になるのか?実体験できた
一番の収穫と気付きだったと思います。実際に実行してみないと一生この体験はできなかったと思っており、このような機会を人生の中で作れた事自体に深く感謝しています。当たり前ですが、旅行するのと、学生として生活するのと、仕事するのでは、その国が全く違った形で見えます。そのすべてをステップ・バイ・ステップで試すことができたのは、米国にいた友人、家族の支援、働く機会を作ってくださった皆様、米国MBAの卒業を支援してくれたクラスメイトなどなくしてありえませんでした。
一昨年はサンフランシスコに住んでいたので、対面で色んな人と会う機会が多かったのですが、昨年は南カリフォルニアの田舎町で生活するようになったので、直接物理的に人に会う機会が減少しました。日本では長崎に生まれ育ち、大学から東京に上京しているため、田舎と都市の違いを明確にどちらもの生活で認識していましたが、米国の田舎と都市の生活の違いも2024年は実体験できたのは、人生の一つの体験としてよかったと思っています。それによって変わったのは、これまで読むことのなかった直接仕事に生きるか?よりも、教養として読んでみる価値のある本を読書する時間を増やしたこと、ジムに行き始めたことの2つです。具体的にどんな本を読んでいるのか?興味をもっていただいた方は、よろしければ以下より見てみてください。X(Twitter)にて、読書録を残しています。
またアメリカ生活において、その時々に感じたことを忘れないように、週1ペースで、仲間と一緒にYoutubeの動画を撮影することを継続しています。実際にいきなりアメリカに行ったり、住んだり、仕事をするのは難しい(円安、ビザの問題、言語の壁)ものの、そのような体験を追体験したい、実際どうなのか?知りたいという方がいらっしゃれば、ぜひ動画を見てみていただければと思います。少しでもお役に立つ部分があれば嬉しいです。
英語で仕事をする環境になんとか順応しはじめた
英語が半分、日本語が半分で日々両方の言語を使いながら、冷凍食品×アメリカ×D2Cの仕事を進めています。MBA生活のときも英語には苦労していましたが、働きはじめるとなんとかせざるを得ない環境が良かったのだと思います。日本で働いていたときには全く想像していなかった両方の言語を使いながら、仕事を進めています。英語学習に関しても、実際に働き始めるまでにやったことをまとめているので、関心のある方はご一読ください。
仕事をはじめてからは、仕事において、伝えたいことを日本語でも英語でも常に言い回しを確認するという習慣を継続しています。独立して英語だけを学習するという時間は、とっていません。自分が日本語で伝えれば良い文章だったとしても、それって英語でいうのであればどのような言い回しになるのか?英語での言い回しも確認し、自分の仕事において関わる分野における言い回しの引き出しを地道に増やす。それらを仕事で説明が求められるので、仕事の場で実際に使うサイクルがあります。このあたりは、AIの力に相当助けられていますし、AIなき時代に比べて相当ラクをさせてもらっていると感じます。
日本にも2024年、年末年始2週間ほど出張していましたが、米国に戻ってからも英語を忘れているということが、今回はそれほど感じずに済みました。これまでは一定期間日本語の会話だけで生活していると、英語をアメリカに戻ったときに忘れてしまっているなぁと感じることが、定性感覚になってしまいますが、割とありました。テキストベースにせよ、日本に限らず、仕事や友人とどこにいても英語で連絡を返すことが毎日ある環境が、このような状態を作り出してくれたのだと思います。
この英語でのやりとりに順応できた(まだまだですが。卑下しすぎてもよいことがないと認識しています)ことは、今の時点でも、また自分自身の今後の長い目でみた活動を考えてみても、すでに活動の幅、やりとりできる相手の広さも変わっているので、一定期間コミットして本当によかったと思っていることの一つです。
健康の大切さを痛感した2024年
日米を横断しながら生活しているので、言語に限らず、国ごとの制度の違いを知り、それに応じた行動をとる必要があります。その中で一番苦労したのが、医療制度の違いです。日米両方の保険に入り、どちらでも医療が受けられるようにしています。ただし、どちらで人間ドック(内視鏡検査なども受けています)を受けるのか?それぞれ日米で診察に行った際に対応が異なるなど、違いを実際に日本でもアメリカでも病院に行く中で、感じます。
歯医者で被せものをすることになることがアメリカでもありましたし、病院のお世話になることがあるものの、日米両方の保険について理解をしながら、病状を英語でも日本語でも説明します。国ごと、日米それぞれで診療履歴が引き継がれるということもないので、このあたりなかなかない人生体験をさせてもらっているなと思いながら、対応していました。
ここに書いたような事情もあり、健康の大切さをこれほど感じたことはない1年、それが2024年だったと言えます。日々の生活習慣、運動、食事の積み上げが大事だと思う日々です。そのため、通勤を自転車移動としていたり、ジムに行き始めたり、アメリカの日系スーパーがないような場所でも、自分が割と美味しく食べることができて、手間を掛けず、バランスのとれた食事をするためにどうしたらいいか?(基本料理をしないので)を、自分のアメリカでの働きながらの生活をデザインする機会に恵まれました。アメリカのスーパーで言えば、ハウス食品さんの豆腐にかなり助けられています。
2025年をどう考えるか?
学生生活を含めると、アメリカに来てからの生活も1年9ヶ月となりました。あと3ヶ月で2年が経過します。大きな目標も良いですが、環境の変化に適応していく動きもしながら、生活していくことになります。どんな方向性で物事に取り組めばよいのか?が、すでに明確になっているので、このような時期は発散させるよりも、粛々と決めたことに取り組むことが大切であると認識しています。そのため、焦らない、粛々と毎日の習慣を積み上げることを大切に、基本的に以下2つを実行し、粛々と歩む2025年としたいと思っています。
家族、友人、仲間との時間を先抑えでとり、その時間は今ここに集中する
これは渡米後、明確に変えたことになります。大切な人たちとの時間を先抑えしてしまうこと。その時間にスマホを基本的にはいじらず、その場に集中うること。そのうえで、仕事をしていくこと。もちろん事実ベースの目標を達成することは、できなかったことができる自信を与えてくれますし、素敵なことです。ただそれだけ、成功することだけを考えて行動していたとするならば、幸せという解釈がすっぽりと抜け落ちることになりかねないように思います。渡米後、家族、友人、仲間との時間は当たり前ではないということに明確に気付かされました。
現在の状況が、アメリカの田舎町での生活かつ一人暮らしということもあり、東京にいるときはもちろん、サンフランシスコに住んでいたときに比べて、孤独な時間が圧倒的に増えました(ビデオ通話やテキストでのやりとりは、多いですが)。そこで、「孤独」に対する付き合い方について、改めて向き合う機会を得られたと思っています。このあたりの話に興味がある方(特に海外で挑戦されている方は、このような感覚を持っている方が多いと思います)は、以下動画、書籍をよかったら見てみてください。孤独は悪いものではないですし、孤独とどのように付き合うか?を知っておくことは、定年退職(生涯働くが健康にも一番だと個人的には思います)後に、孤独との付き合い方を知らず、そこにうまく対応しきれないということもなくなりますし、早ければ早いほど良いように思います。自分の場合は、長崎から東京に上京してきたばかりのとき、誰も知っている人がおらず、似たような感覚になったことがあり、このときの時間も大変良い経験になっているように思います。
書籍「孤独のチカラ」はおすすめです。
まず今の仕事をやりきる
せっかくの、アメリカで冷凍食品の新規事業開発をする機会です。機会をいただき、このようなバッターボックスに立てている事に感謝しつつ、できるやり方を模索する。そして自分の影響の輪にあること、コントロールできる行動に集中すること。基本中の基本ですが、改めて基本に立ち返り、当たり前のことを粛々とやりたいと思います。
具体的には、デザート、ラーメン、寿司。これらのめちゃくちゃ美味しい食事が、日本、特に素晴らしいミシュラン店が局所的に集中している東京にいると忘れがちになってしまいますが、米国では当たり前ではありません。国土も広く、全米における配送網の質もコストも日本とは全く異なります。そのような中で、そのような素晴らしい食を、自分がやってきたデジタル、ITの力を駆使し、冷凍食品というフォーマットに乗せ、アメリカの個人の生活者にも直接届けられるようにする。
これに今僕はチャレンジしています。もしアメリカにすでに進出しているレストランオーナーの方、このプロジェクトに関わってくださる方がいましたら、ぜひご連絡ください!TwitterのDMを開放しています。2025年も、皆様どうぞよろしくお願いいたします。