法律事務所のHRに関する雑感
5大の新人採用推移とその背景
5大法律事務所(以下5大)の新人弁護士の採用数は、司法試験合格者数が2,000人台から1,500人台に減少するのとは反比例に毎年数を増やしている。72期の5大就職者数は214名で、遂に200名を突破。NAとMHMに至っては50名超えだった。
(グラフの凡例をいじると各事務所ごとの推移も分かって面白いのだけど、noteさんInfogram埋め込めるようにしてくれないですかね……)
70期以降は、司法試験合格者約1,500名のうち約200名が5大に就職しているが、新人弁護士のうち法律事務所に就職する人が約1,200名なので、「事務所就職の新人弁護士の約6人に1人が5大に就職している」ということになる。
また、就職地で見ると、東京で事務所就職する新人弁護士は700名強(合格者の約半数)なので、「東京に就職する新人弁護士の3~4人に1人が5大に就職している」とも言える。
5大の新卒採用は、2008年のリーマンショック、2011年の東日本大震災の影響を受け、64期(2011年12月入所)で採用数の底を打ったが、その後、景気回復とともに人数を増やしている。
特にMAや危機管理などがその要因となっているようだが、これらの人手を要する案件は引き続き多く依頼があるようで、5大のパートナーの先生方にお話をお伺いしても「人手不足」というところは変わっていない。
当面、景気が良いうちは5大の新人採用は現状と同等以上の水準で推移するだろう——と思っていたが、昨今のコロナの影響で株価が暴落しており、74期以降はどうなるか先行きが見えない。それどころか、一般企業では内定取消も出てきているようで、現在修習中の73期にも何かしら影響が出てくる可能性も否めなくなってきた。
また、景気動向もさることながら、司法試験の受験者数が減少しており(出願者数が速報値で昨年4,930名に対し、今年は4,226名)、70期以降1,500名程度で推移してきた合格者が維持されるか疑わしい状況だ。
法律事務所の組織設計
「働き方改革」や「人生100年時代」が謳われ、副業や兼業にリモートワークが認められる時代にあって、企業では大企業からスタートアップまで、生産性やエンゲージメントの向上のために施策を打ったり、HR Techを導入したりと、組織設計・人材開発に様々な取り組みが為されている。
人事関連は企業の永遠の課題となっており、最近は経営課題でも特に重要視されるようになってきた。
参照:一般社団法人日本能率協会調査「日本企業の経営課題 2019 調査結果」
他方、法律事務所はというと、良く言えば「OJT」、悪く言えば「先輩の背中を見て勝手に育て」というような職人気質的な世界観を業界全体で引きずっており、人事やオペレーションへの意識は高いとは言えない。
人数ベースで見れば、5大は米国でもTOP100にランクインする規模(*1)だが、米国事務所に比べるとその遅れが際立つ。例えば、とある米国事務所は300人程度の規模で人数ベースだと米国でTOP100にも入っていないが、以下のようなことをしており、法律事務所ではなく企業のような思想と設計になっていて興味深い(*2)。
・X-Tech領域のマーケットやDXにフォーカス
・戦略アドバイザーを雇用
・自身を法的なサービスを提供するコンサル会社と位置づけ、法律事務所のみならずコンサル企業も競合として認知
・COO、CFO、CTO、CIO、CHROを設置
日本にも個人単位では「弁護士=リーガル専門のコンサルタント」と考えている人もいると思うが、組織として「法律事務所=リーガル専門のコンサル企業」と捉えている事務所はどれだけあるだろう(勿論取り扱い分野にもよるが、企業法務系であれば概ね当てはまるように思う)。
「弁護士=法律の職人」と考え、ひたすらサービスの研鑽に明け暮れる——まさに職人で、それ自体は良いことだと思うが、ビジネスマーケットにおいて人事の重要性が増している時代にあっても、事務所のネームバリューと高報酬に頼った採用に、労働集約型のビジネスモデルからの脱却(できるかはさておき)を図らない体制では、エンゲージメントは上がらないだろう。
離職の理由
5大に限らず様々な事務所の弁護士からキャリア・転職相談を受けるが、転職を検討する理由の大半は
(1)ボス弁または担当パートナー(のパワハラやモラハラ)
(2)膨大な業務量
のいずれかである。仕事の内容そのものが嫌で辞めたい、という話は少ない。むしろボスやパートナーが変われば残りたい、という声はよく聞かれる。
大半の法律事務所のビジネスモデルが労働集約型であるが故に、(2)はすぐの改善は難しいと思うが、リーガルテック及びその他ワークツールを導入するなど業務効率化を図っていく、という姿勢を見せることが大事だろう。
問題は(1)だ。
現在のような大規模事務所など存在しなかった時代を過ごし、人事制度、組織設計、教育、人材開発に関するマインドが希薄な「職人気質型」の先輩弁護士達の背中を見て育ってきたベテラン弁護士の中に、最近の企業の人事担当者達が悩みに悩んでいる組織設計、エンゲージメントについて意識している人は少ない。
自分は逃げ切り世代と高を括り、定年のない余生を安穏と過ごすとか、あるいは自身の売上にしか興味がない、とかだけならまだマシなのだが、若手を単なる作業屋としか認識せず、本人の確認なくプロジェクトメンバーを組成し、膨大な業務を投げ、挙句は怒号を飛ばし、無自覚に退職に追い込んでいる——などということがあるのならば(実際あるわけだが)、本人は勿論、事務所もその是正に取り組まなければならない。
そういうボス弁やパートナーが野放しにされているのは、往々にして「相当の売上を事務所にもたらしているから」という1点なのだろうが、果たして本当に彼らの売上及び付随する価値は以下を鑑みて尚、上回っていると言えるだろうか。
・辞めた弁護士を採用するまでの金銭的&時間的コスト
・辞めた若手がこれからもたらしたであろう利益
・辞めた若手が外に出た後に広げるパートナー及び事務所の悪評
・悪評を受けて他所の事務所へ入所することを決めた優秀な人材
・これからも退職者を生み続ける可能性
・法曹界や弁護士という職業のイメージを下げている可能性
ボス弁の場合は是正を図るよりも若手が退職して、悪評を広めて潰れてもらうことを願うのが現実的かもしれないが、大規模事務所の場合、言わば「ガン」となっているパートナーを改心できるが課題で、本来、中長期的な目線で見れば一時の売上を捨ててもガンは切るべきである。
しかしながら、企業と違って肩を叩けるのが法律事務所の利点の筈なのに、ガンに顧客がついているが故に(得てしてそういうパートナーほど太客を持ち、事務所に多大な売上をもたらしていたりするからタチが悪い笑)、今の日本の法律事務所はガン手術はできないのが実情だろう。
法律事務所が個人事業主の集団で成り立っているが故に、決定を下す経営陣に、組織のための中長期的利益を選択するメリットが見出しづらいのが、法律事務所ならではの欠点なのかもしれない。
GAFAなどグローバルのトップ企業が、従業員のパフォーマンスを最大化するために従業員の心理的安全性をどのように保つかに気を配っている昨今、法律事務所はせめてホットラインを用意し、ガンに戒告するか、ヘルプを出した若手を他チームに異動させる仕組みくらいは用意すべきだろう。
また、それなりに弁護士の多い事務所の場合、所内の意見収集やエンゲージメントを計測するためのサーベイ機能や公平な評価制度など、HR関連のサービスを導入すれば、だいぶ環境は変わってくるように思う。
「過去に例がないから」「そういう事例を作ってしまうと他の人にも影響が及ぶから」のような、臭い物に蓋をして何も変えない、みたいな話が多い。
辞め"られ"方
最後に、どうしても退職希望者を引き止めることができない場合には、「辞められ方」に気をつけなければならない。
総合商社や外資系コンサルなどの人気の企業も、最近では(特に優秀層ほど)「経験を積む場」と見做されていることも多く、数年後の離職を前提とされていることが企業の悩みの種となっている。5大もそういう見方をされている側面は少なからずある。
勿論、エンゲージメントを高めてできるだけ長く就労し、パフォーマンスを発揮してもらうことを目指すべきだが、マーケットが終身雇用やメンバーシップ型のシステムから、転職前提の就職やジョブ型のシステムに変化しているのだから、ある程度の離職率の上昇は避けられないと考えるべきだろう。
であれば、優秀な人材が辞めそうなとき、彼らを無理に引き留めるのではなく、後にその事務所・企業のことを「良い事務所だった」「良い経験が積めた」と自律的に広報してくれたり、人材や事業をつないでくれたり、別の形で組織に利益をもたらしてくれるような設計に向かう方が良い筈だ。
喧嘩別れや退職時に皮肉、嫌味を言うのは悪手なのだが、感情的にやらかしてしまっている弁護士や事務所は多い。村社会性が強い弁護士業界は、悪評が広まるのが早く、それを聞きつけたアソや学生はその事務所を避けるようになるので一層気をつけなければならない。
余談:法律事務所のコストについて
と、若手寄り且つやや偏りのある目線でつらつら綴ったが、あえて無理筋に反論してみると、最近の5大は大量に若手を採用しているわけだが、全員が全員パートナーになれるわけではないので、ある種の「ガン」的な機能によって、人材の選別や人員の削減に一役買っている、という見方も法律事務所の組織運営の目線ではありうる(書いておきながら酷い理屈だが笑)。
今回は組織がどうあるべきかの雑感を記したので、次回は個人(弁護士)がどうあるべきかの雑感を記してみたいと思う。
さて、駄文雑文に尚蛇足を加える勇気をもって、ここで5大クラスの事務所のコストについて雑な計算をしてみる。
仮に、パートナー150人、アソ450人、その他パラリーガルや秘書、事務員等900人、総勢1,500名の事務所があったとしよう。
(「あれ?NAじゃね?」という声は一旦無視)
弁護士の報酬は相当バラつきがあるが、パートナークラスの報酬を平均1億円と仮定して150人で約150億円、同様に、アソの報酬を平均2,000万円として450人で約90億円、その他スタッフの報酬が平均500万円として900人で約45億円。人件費だけで年間約285億円となる。
さらに賃料について、丸の内界隈のオフィスビルで坪単価約5万円(*1)、約1,000坪(*2)のフロアを4フロア借りていると仮定すると、月額約2億円、年間約24億円。
ついでに、大阪、名古屋、福岡にも駅近くのオフィスビルに坪単価4万円、約50坪の区画を借りていると仮定すると、賃料月額約200万円、年間約2,400万円が3所で約7,200万円となる。
さらに、バンコク、北京、上海、香港、ドバイ、ハノイ、ホーチミン、ジャカルタ、ニューヨーク、シンガポール、ヤンゴンにも海外オフィスがあり、各事務所とも賃料月額約200万円と仮定すると、年間約2,400万円の11所で計約2.64億円。
(「いや、やっぱりNAじゃね?」という声はやはり無視して)
総計すると、人件費と賃料で年間約312億円かかる。人件費はもっとかかってるかもしれないし、その他諸経費が加わると、ランニングコストは総額で年間400億円を超えていたりするかもしれない。これで新卒を大量採用できるくらいの利益を出しているんだから大手は凄い(ならば売上作ってるガンを手術しても良さそうなものだけど笑)。
日本の事務所も米国事務所みたいに、売上や利益が開示されたら面白いんだけどなあ。
*1 参考:America's 350 Largest Law Firms (2017-2018)(publiclegal)
*2 参考:Manatt, Phelps & Phillips インタビュー記事(LAW.COM)
*3 参考:丸の内のオフィスビル坪単価 [1][2][3]
*4 参考:5大入居ビル基準階プラン [1][2][3][4][5]
*5 参考:Rajanakarn Building(ヨシダ不動産)
*6 参考:北京のオフィスビル平均賃料(AFP BB NEWS)