”壁”の融解とデザインに関する雑感
2つの”壁”の融解
過日、新国立競技場の設計を手掛けた隈研吾氏の講演で、興味深い話があった。
「アフターコロナの世界はどうなるか?」との問いに、隈さんは「”箱からの脱出”に向かうのではないか」と答え、人類がルネサンス頃から公衆衛生の発展と共に築いてきた”箱”(=住居、学校、会社、交通機関など)が持つ意味が変わる可能性を語った。
思えば、コロナ禍に突入する前から「生産性向上のため」を謳い文句に「兼業・副業・マルチプラクティス」、「複数の部署・業務の兼任」など、組織や部門の"壁"の融解が表れ始めていた。弁護士でも、事務所とインハウスの兼業、法律と法律以外の業種の掛け合わせが増えてきた頃だ。
その後、図らずもコロナの発生・拡大とともに、(全ての人ではないにせよ)人々の仕事場はオフラインからオンラインへ移行していった。
出社、移動が消えたことで住居と職場の"壁”、仕事とプライベートの"壁"が曖昧になり、オンラインMTGは会社や部署の”壁”のみならず、役職や階級の"壁"をも不明瞭にした。
世間を賑わせるハンコ問題のために出社を余儀なくされる場面等、少ないオフラインの場でも、三蜜回避のために扉や窓が開かれっ放しになり、空間を隔てる"壁"が減ったと言える——飛沫を防ぐためのアクリルパーテーションやビニールシートなどの”壁”は設けられたけども。
一部スタートアップなどでは、コロナ禍で業務を完全にオンラインに移行し、”箱”そのものを持つことを辞める企業も出てきて、各所の”壁”が崩れ、隈さんの言う通り、人々は「”箱”から脱出」し始めている。
ビジネスシーンでは様々な情報をクローズドからオープンへ移行することが是とされ、概念的な”壁”の融解が進んでいくのを眺めていたと思ったら、まさかこの短期間に、物質的な”壁”の融解にまで繋がるとは思わなかった。
公衆衛生のために人類が築いてきた”箱”が、公衆衛生のために開かれようとしているというのは、とても長い時間をかけた揺り戻しのようだ。
法律家と建築家の親和性
開かれた”箱”とはどんな建築か?――というところを考えてみるのも面白いが、一旦話を戻して、もうひとつ興味深かった点に触れる。
1.ヒアリング
2.条件の整理
3.アイデア出し
4.コンセプト立案
5.構造・プランニング・基本設計
6.マテリアル選定・ディテール設計
上記は一般的な建築家の業務プロセスとのことだが、弁護士はじめサービス業全般においても同じような構造が見られる。
最近あまり聞かれないが、水野祐先生の「法のデザイン」が刊行された頃は、”リーガルデザイン”という言葉がよく聞かれた(未読の法学部生、ロー生、修習生、若手弁護士がいたら、一読することを強く推奨)。
"リーガルデザイン"はサービスというより、法令や規制の設計・構築に重きが置かれているが、ゴール、ビジョン、あるべき姿を具現化するには、どのようにデザインするのが最適か? という意味では、サービスの設計・構築においても同じような思考プロセスを辿ることができると思う。
弁護士のサービスのデザインも、法律に関する問合せに、ただ条文に基づいて回答をするのではなく、
1.顧客の顕在的・潜在的ニーズを把握し
(1.ヒアリング&2.条件の整理)
2.最適なソリューションを考え
(3.アイデア出し&4.コンセプト立案)
3.解決を図る、提案する
(5.構造・プランニング・基本設計&6.マテリアル選定・ディテール設計)
ことが求められるようになった。
これは昨年の経産省の法務ワーキンググループの報告書でも、ガーディアン、パートナー、ナビゲーターという役割が標榜され、ビジネスのリード、もっと言えば経営へのコミットが明示された。
一般民事はまた色が異なるが、巷に言われる”デザイン思考”に法的な要素を加味する、所謂”リーガルマインド”(これも久しぶりに聞いたな)に弁護士ならではの価値提供のカギがある。
法律と建物の違いはあれど、顧客の個人や法人にサービスやプロダクトを提供しつつ、同時に社会や公共空間との繋がりが強いが故に、社会への影響まで十二分に考慮して構造・プロセスをデザインしなければならない——という特性に、法律家と建築家の高い親和性を感じる。広告業もこれに近い。
(ちなみに、優秀な建築家は本質的な問題及びニーズの把握能力が高く、設計ができたときに「解けた!」と言うらしい笑)
差別化のデザイン
隈さんのウェビナーの数日後、「弁護士×〇〇」というウェビナーに参加した。
かつてエリートの象徴であった(無論、今もその多くはエリートと呼ぶに相応しいと思うが)「大手企業法務系事務所の弁護士」という肩書も、ここまで人数が増えてくると、昔ほどの価値はない、と揶揄されるのも無理からぬことと思う。
先日の日経(下記)で紹介されていたような、所謂「サードウェーブ系」事務所の台頭もあってか、最近は5大の内定を蹴って他所の事務所へ行く、という修習生も散見される。
中小規模の企業法務系事務所でも、報酬面で5大と戦える事務所が増えていおり、また、上位企業法務系事務所に引っ張られる形で、大手一般民事・総合系事務所の給与水準も直近数年は上昇傾向にある(いろんな事務所の話を取りまとめると、3年で50万円程度上昇)。
そんなマーケットなので、日々の激務に加え「約200人いる同期とどのように差別化し、セルフブランディングを図るか?」は目下、5大の若手弁護士の課題となっている。
実際に、所属するチームのプラクティスとは別に、自身の関心のある領域の弁護士会の委員会や有志の研究会等で積極的に活動している弁護士も少なくない。
「何かと何かを掛け合わせる」というのはイノベーションの基本であり、世に言われる「0→1」のアイデア創出も大体はコレなので、差別化を生み出す方法として非常に効果的である。
ただ、個人的に思うところとしては、「弁護士」に「〇〇」を掛け合わせるよりも、まずベースとして「ビジネスパーソン(社会人としての汎用的知識、スキル、マインドセット)」があって、そこに「弁護士資格(法的素養、法的スキルなど)」や「〇〇(専門性、志向性、趣味など)」を掛け合わせる、という方があるべき姿であり、有意な差別化のデザインだと思う。
また、別の視点として、弁護士マーケットの変遷から差別化を考えてみる。
旧司法試験時代は、人数が少なかったために様々な案件に対応すべくジェネラリスト的であることを求められていた弁護士だったが、司法制度改革により人数が急増したことで、各所で競争が発生した。
競争は取扱分野ごとの細分化を呼び、ジェネラリスト的であるところからスペシャリスト的である方へ向かわせた。その後も弁護士数は増えていき、スペシャリスト間にも競争を生み、法律というスペシャリティを持ったジェネラルなビジネスパーソンであることを求める力が働いた。
結果、業種業界を問わず、どこでも全方位型の経営人材が求められている。弁護士のようなプロフェッショナル性が高い職業を目指す学生は、自身の専門分野である法律に特化してキャリアを考えがちだが、高すぎる専門性は外部環境の変化によってはマーケット価値を失いかねない。ましてや外部環境の激しい現代では一層そのリスクは高まっている。
弁護士の数が増えすぎてコモディティ化してるから差別化を図ろう、みたいな考え方に一種の合理性を感じて、ここ最近まではずっとそんな風にマーケットを見ていたのだけど、最近、実はどの法分野も専門の弁護士が圧倒的に足りていないという説に出くわした。
「ファイナンスと言えば〇〇事務所の△△先生」、「MAなら■■事務所の◎◎先生」というのはよく聞かれるし、イメージも湧く。ただ、どの分野も名前が通っている弁護士の人数は知れているし、業界の案件すべてをその数人で回しているかというと、コンフリクトが各所で発生するため当然そんなことはない。
時が経てば、各分野のスペシャリストとされる先生方も引退するし、弁護士のキャリアの多様化が進む今だからこそ、特にグローバルマーケットでビジネスをする場合には、ある分野の日本法のスペシャリストとなることが差別化につながる、というのは十二分にあり得ることと思う。
やや脱線したが、いずれにせよ、どういう組織で、どういう専門性で、どういうキャリアをデザインしようとも、基本的には年次が進むごとに「経営」に関与することになっていく(筈な)ので、やはりキャリアデザインのベースには「ビジネスパーソン」を据えるのが良いと思われる。
”壁”の融解、という話で言えば、経営層ですらそれは起こっている。
・経営は数字を見られなければならないので当然ファイナンスの知識が必要
(≒CFOの役割)
・これからの時代はテクノロジーやデータについても理解が必要
(≒CTO、CDOの役割)
・そういった人材を採用・育成していくことも組織の成長には欠かせない
(≒CHROの役割)
・社内外に事業価値を発信
(≒CMOの役割)
・危機管理、企業統治、法令遵守、規制対応・ロビイングを通じた事業創出
(≒CLO、CCOの役割)
”移動”の重要性
少し話を戻して、一般的な建築家は上述の設計プロセスの最後の段階で、どんなマテリアル(資材、意匠)を使うかを検討するが、隈さんは途中のコンセプト立案の段階でマテリアルを選定するのが特徴らしい。
「隈研吾」というと、新国立競技場に象徴されるような、木材を使った建築で有名だが、若い頃はバブル期だったのもあってコンクリートを用いた変わった建物も立てている。
その後、バブルが崩壊し、仕事が少なくなったときに、地方にいた知り合いから誘われるまま様々な場所に出向き、様々な仕事を受け、その過程で木材を注目するようになったとのことで、地方の山奥の公衆トイレの設計からその繋がりで近くの宿泊施設の設計依頼を受注したという話もあった。
この話の重要なところは、地方の山奥まで出かけていったことにある。都心で仕事をしていたらこの案件には出会っていなかったし、今日の隈研吾を形作る要素を得られていなかったと思う。
イノベーションの発生率やセレンディピティはオフラインの累積移動距離に比例する、というような話はよく聞かれる。
しかしながら、オフラインだけでなく、オンラインの移動距離(ネットサーフィン)と思考の移動距離(複眼思考やメタファーなど様々な思考法の活用)も伸ばしていくことも意識すべきだと思う。
1.オフラインでの移動距離
2.オンラインでの移動距離
3.思考の移動距離
これらの”移動”は、新しい情報を収集し、偶発的な出来事を呼び、新しい価値を作り出す上で非常に重要である。組織の構築や業界の発展においても、流動性の高さが重要視されるのと本質的には共通していると思う。
この3種類の”移動”に、Connecting the Dots と Planned Happen-stance Theory(計画的偶発瀬理論)の掛け合わせは、キャリアのデザインにおいても有効なのではないか、と最近は頭の中のあちこちに移動している(下記noteご参照)。
取り留めもなく、ざっと書きなぐってしまったが、”壁”の融解の話から随分と遠くまで来てしまった。細かい部分は適宜見返して追記しようと思う。
最後に、隈さんの「住居などの”箱”というOSを作ったのは建築家なので、建築家として、これからの時代の”箱”というOSをアップデートしていかなければならない。それが建築家の責務である」という趣旨の発言がとても印象に残っている。
オフラインの世界では今後、”箱”が開かれるも、”移動”が制限あるい自粛される方へ向かいそうだが、オンラインと思考の”箱”と”移動”をどのようにデザインするか? ということを考えていきたい。