出産録

2024年8月23日

これは忘れられない日。櫂が生まれた日だ。
ヒトの目的とは子孫を残すことである。
そうしてヒトは今まで歴史を継承してきた。

今日は櫂がうまれて四日目である。
備忘録として文字を残そうと思う。

前日にアキが昭和大学病院に入院した。
普段とはちがう日常。少し緊張した気分だった。
案の定寝れずアキと出会ってからの日々を思い出していた。
スマホは便利だね。写真があるなんて当たり前のことを考えていた。

午前三時アキから電話があった。
破水して陣痛がある。今すぐきてくれとのことだ。
いつもより少し早口で笑顔ではないことがわかる。
アキが緊張していることがわかる。

急いで着替えて自動車で向かう。
いつもより焦っていたが、これから子どもが生まれる。
事故ってたまるものか。そんな気分で運転していた。
カーステレオから流れる音はラジオ番組。
何を話していたが覚えていないが、日常を取り戻していた。
妊娠するとき男のすることはなにか。
そんなことを考えていた。
アキが前日に送ってくれていたyoutubeを運転中聞いていた。
腰のさすりかた、妊娠中のNGワードなど。
ラジオよりもこちらのほうが記憶に残っている。
運転している最中に夫のお父さんスイッチが入ったようだ。

昭和大学病院に到着する。
ピンポンをならす。
なんとなくの緊張感。
これから何者かに変わる瞬間の独特の感覚が自分のなかにあった。
これから父になる。
特別な瞬間であり、一生に一度の感覚。
病院の管理人からすると普通のことらしい。

入院棟の5階。
アキに指定された場所だ。
アキは分娩室にいた。
いつものアキとは違い、緊張している。
状況整理のために経緯を詳しく説明してくれている。
すこしずつ陣痛が苦しそう。
腰の揉み方などをyoutubeで予習していて良かった。
最初のほうはなにをすればいいかまったくわからない。
多分妊婦によってまったくちがう。

こういうときには対話が必要。
やっぱり重要なのはコミュニケーションだ。
どうやらいつもしていた腰のマッサージがいいらしい。
やっぱり人生無駄なことはない。

しかし、やはり緊張しているせいかうまくいかなかった。
アキは陣痛に耐えている。
前日に会社の先輩と出産時なんて声がけすればいいかわからないという話をしていた。
がんばれ。
ありきたりで他人本位なことば。
しかしこの言葉しか出てこなかった。
この日は多分一番がんばれと言った日だ。

こういうときは助産師さんの言葉をよく聞き、アキを励ますことが重要だと思った、
それ以外には前々からアキと話していた呼吸法を自分がしてアキがそれを真似するということがよかった。あれはおそらく人生で一番意識的に呼吸を繰り返した日だ。

そうしているとアキの唸り声も変わり長い深呼吸のような声から叫び声に変わってきた。
ますます増えるがんばれという声。
だが、アキはすごかった。
産むぞー。母ちゃんも頑張ってるから櫂もがんばれ。そんなポジティブな言葉が助産師さん達を励まし、お医者さん達を元気づけていたような気がする。
いい女だな。俗的なことばだが、素直にそう思った。
安心できる。

失神しながら陣痛に耐えるアキは間違えなく母親であり、愛に溢れていた。
あぁぁぁぁーーーーーと言っている時もフゥーーーーーというとそれに合わせてくれる。
モニターの見方を少し覚えておくとよい。
陣痛には周期があり、モニターをよく観察しているとわかる。
これを覚えておくと少しあとでほめられて鼻が高い笑

なかなか生まれてこなく、9cmのまましばらくたった。
状況改善のために四つん這いになり、腰を揺らしたり、ふったりすることに。
これが約20分。

13時ごろにようやく診察へ。
20分ぐらいか診察を受け、お産に。

助産師さんや看護師さん、麻酔師、産婦人科医などいろいろなひとが病室に集まり、部屋の温度が2.3度上がった気がした。

さあとうとう産まれるぞ!といった気合いを感じる。
産むぞーーーというアキの言葉に励まされて、チーム一体になった感じがあった。
なんとも男は無力だ。

そして櫂が生まれた。
亜紀の股からでてきたとは思えないほどおっきい。

生まれたあとに女性器の処置等々をする。
これが一番可哀想になった。
とくに低地胎盤だったことから処置が多く、とにかく痛そうだったなあ。

なんとか処置も終わったが、とにかく大変な出産だった。
一生忘れないだろう。


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