いま耳を傾けるべきガンディーの言葉
ガンディーは、インドの宗主国であったイギリスで法律を学び、南アフリカ(当時のイギリス領)で弁護士をしていた。そのころ、南アフリカは白人優位の人種差別政策下で、ガンディーは鉄道の一等車への乗車を拒否されただけでなく、荷物と一緒に放り出されるという人種差別を経験し、ここから、同地の人種差別政策への反対運動を行うようになった。
インドへの帰国後は、イギリスからの独立運動を指揮した。ガンディーの闘い方は有名な「非暴力・不服従」だ。暴力は一切使わず、しかし言いたいことはハッキリと言う・・・その姿勢を生涯貫いた。
イギリスは18世紀の産業革命以降、機械でつくった大量の綿製品を植民地だったインドに売りつけた。これによりイギリスは栄え、綿織物が盛んだったインドは多くの失業者が生まれた。ガンディーは、第1次世界大戦後は独立運動をするインド国民会議に加わり、イギリス製品の綿製品を着用せず、伝統的な手法によるインドの綿製品を着用することを呼びかけるなど、イギリス製品の不買運動を行った。富める者が貧しい人々から搾取するシステムを、ガンディーは「経済の暴力」と痛烈に批判した。ガンディーは「機械文明が人間を狂わせている」と考え、インドの糸車(チャルカ)で自らの衣服を作るように呼び掛けた。糸車(チャルカ)を回す有名な写真は、この歴史的背景によるものだ。抗議活動の度にガンディーは投獄されたが、出所後も変わらず抗議活動を続け、ついに第2次世界大戦後、インドは独立を勝ち取る。しかしながら、ガンディーは単にイギリスから独立すればいいと思っていたわけではなく、本当の非暴力とは、人間のあるべき姿とは何かを人々に説き続けた。
近代社会においては、経済のために資源があり、教育があり、人間活動がある。しかし、ガンディーが考えたのは、経済は人間活動の助けとしてあるべきだということだった。自給自足や簡素な生活を重んじるガンディーの思想は時に時代錯誤と批判されたが、世界中が経済発展を求めたら、地球はどうなってしまうのかと考えた。
人間活動が環境や生態系にかける負荷を示す「エコロジカル・フットプリント」の指標では、地球上すべての人間が日本人と同じ水準の食生活をした場合、地球1.6個分の資源が必要とされる。ガンディーの思想は現代社会の限界を鋭くついているのだ。物質的な豊かさを求めて、より激しく資源を奪い合うのか、将来の世代のことも考えて、簡素な生活に満足を見出すのか、私たちはまさに岐路に立たされている。
ますます人間の欲望が渦巻くグローバル社会の先にあるのは何だろうか。
最後にガンディーの遺した言葉に耳を傾けたい。
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