「もったいない」の精神は江戸後期から?
「もったいない」は、日常生活でよく耳にする言葉である。いろいろな場面で使われているが、特に食べ物に関連した場面で使われることが多いように思う。日本人なら誰もが子どもの頃ご飯を食べ残した際に、この言葉を使って母親から叱られた経験を持っているのではないであろうか。
辞書を引くと、「もったいない」には、「神仏や貴人などに対して不都合、不届きである」「過分のことで畏れ多い」のほかに、「かたじけない」という意味もあるとされる。しかし、今日、「もったいない」をそのような意味で使うことはほとんどない。私たちは「もったいない」という言葉を、「そのものの値打ちが生かされず無駄になるのが惜しい」という意味で使っている。
この「もったいない」という言葉は、広く世界の共通語として使われている英語にはそのニュアンスを正確に翻訳できないと言われる。ためしに、手元にある和英辞典を引いてみると、私たちが日常使っている意味の「もったいない」の訳語として wasteful が挙げられている。wasteful を英和辞典で引いてみると、「無駄遣いする」と出てくる。ただ、「もったいない」を「無駄遣いする」と言い換えると、だいぶニュアンスが違ってくる。われわれは無意識のうちに「無駄遣い」と「もったいない」を使い分けており、「無駄遣い」はお金に関連した場面で、「もったいない」は食べ物や水など自然資源に関連する場面で用いているようだ。このようなことからも、「もったいない」には自然の恵みを大切にしなければいけないと考える、私たち日本人の自然観が込められているとしてよいだろう。
近年、地球環境問題を考えるときに、「もったいない」は日本が世界に誇るべき言葉と言われるが、「もったいない」がただ単にお金に関連して「無駄遣いするな」という意味だけではなく、自然の恵みに対する感謝の念をも含み得るものであるならば、それは世界に誇るべき言葉と言えよう。地球環境問題の深刻化が懸念される現在、ぜひ、世界に広めたいものである。
17世紀に人口が急増した結果、日本人口が世界人口に占める割合は18世紀初頭に4・8パーセントにもなった。つまり、この時代には世界の20人に1人が日本人だったことになる。しかし、それは、食料の生産に適した土地が世界の0・33パーセントしかない日本にとっては、あまりにも大きな負担であった。
18世紀初頭に約3000万人になった日本では、その後約150年にわたって人口が増えることはなかった。江戸後期の文政年間(1818~30年)には、近代につながる人口増加が始まったとされるが)、それは明治以降の増加に比べれば微々たるものと言ってよい。江戸時代の農業技術では、日本列島で3000万人を扶養するのが精一杯であった。この時代に、間引きが行われたのは食料生産の限界域にありながら、飢饉が起きたからだろう。
江戸後期は「もったいない」精神が根づき、強化されていった時代である。当時の人々は、暖房や煮炊きに用いる燃料、衣料品の原料、また明かりを採るための油も生物資源に頼っていたが、その時代に、農地、森林、草地の合計面積が世界の0・33パーセントしかない国に、世界の4・8パーセントもの人々が住むことになったのであるから、食料だけでなく衣料品の原料も燃料にする木材もすべてのものが不足気味になった。
このため、江戸時代後期において「もったいない」精神は、各方面で大活躍することになる。この時代に、日本人は涙ぐましいほどの努力で、食料、衣料品、燃料を再利用することになったのだ。
江戸時代の日本人は、よいものを長く使うという精神を遙かに超えて、資源を大切にしていた。資源をリサイクルするために、労働を惜しむことはなかった。江戸の人々は、なにからなにまで徹底的に大切に扱い、幾度も再利用した。資源の再利用に多くの手間をかけていたのだ。
江戸中期から後期にかけて人口が増えない時代が続いたが、明治になると日本の人口はふたたび増加し始める。これは、西欧との遭遇のショックがもたらしたものと考えてよいと思うが、エネルギーの制約がなくなったことも大きい。
明治以降については別の機会に論じたい。
ちなみに、トップの画像はnoteの画像集から選んだものだが、私も小学生の頃はこれくらいの短さになるまで鉛筆を大事にしていたことを思い出させてくれた。「もったいない、もったいない」
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