日本とケニアのSDGs型蚊取り線香
日本で「金鳥」と言えば、誰もが知っている企業名である。夏には「金鳥」の蚊取り線香や殺虫剤が欠かせない。
夏の季節に日本を代表する防虫対策として長年親しまれてきたのが、緑色の渦巻きでおなじみの蚊取り線香だ。発明したのは「金鳥」の商標で知られる大日本除虫菊の創業者:上山英一郎で、そのルーツは和歌山県有田市にある同社紀州工場が発祥の地だ。名産のミカンが作付けされた段々畑のふもとに紀州工場はあり、敷地内には、上山氏の生家が今も残されている。
ミカン農家の四男として生まれ育った上山は、全国にミカンを広めようと上京し、福沢諭吉の門下生になる。1886(明治19)年、その縁から出会ったアメリカの植物会社社長から、蚊取り線香の原料となる「除虫菊」の種を受け取ったことが、蚊取り線香の歴史の第一歩となった。
殺虫効果が知られていた除虫菊は、乾燥させて「ノミとり粉」として利用されていた。さらなる活用方法を考えていた上山は、旅先で線香商と知り合ったことで、仏壇線香に除虫菊の粉末を混ぜることを考案。90年に、世界初の蚊取り線香を発明、販売した。
ただ、仏壇用と同じく棒状の線香では、約40分しか効き目が持続しない上、殺虫効果を生むには3本ほど同時にたかないといけなかった。そんな中、上山の妻、ゆきが自宅でとぐろを巻いたヘビを見かけたことをヒントに、渦巻き形の線香を1895年に考案。形が複雑で量産が困難とされたが、木製の芯を中心に乾燥前の線香を2本ずつまとめて手巻きで作る方法を確立した。発案から7年後の1902年、1つで約6時間の燃焼効果を持つ、渦巻き形の蚊取り線香が世に送り出された。以降、蚊取り線香は日本だけでなく、世界中で蚊よけの心強いアイテムとなっている。
日本の殺虫剤産業の礎となる同社の蚊取り線香の歴史や技術は各界からも高く評価されており、国立科学博物館の「重要科学技術史資料(未来技術遺産)」や日本化学会の「化学遺産」にも認定されている。
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