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幼い頃から親しんできた大仏さまが映画の主演に抜擢!?
従姉妹が愛知県東海市に住んでいる関係で、幼い頃、名鉄で東海市まで行った際、進行方向左手に大きな大仏さまの姿が視界に入り、なんだか無性に嬉しかった覚えがある。それからは、従姉妹の家を訪れる楽しみの前に、車窓から見える大仏様を拝むのが楽しみになった。この大仏様は、東海市指定の文化財である聚楽園の大仏だ。鎌倉の大仏を模した18.79mの阿弥陀如来坐像は、1927(昭和2)年5月21日に建立され、開眼供養が行われた。あと2年3か月で100歳になる。聚楽園という地名は、名古屋の実業家である山田才吉が、昭和天皇のご成婚記念として発願し、この地に聚楽園大仏を建てたことに由来している。
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知多半島北部、かつては新田と遠浅の海が広がる風光明媚な土地だったそうだ。現在は東海市となっているこの地に、守口漬の考案や名古屋瓦斯 (現在の東邦ガス)などを立ち上げた山田才吉が目を付けた。伊勢外宮にあった宇仁館の建物を移築して、1915年(大正4)に料理旅館「聚楽園」を開園したのだ。料理人から身を起こした才吉は、東陽館(現在の名古屋市中区)、南陽館(同港区)といった巨大料亭を営んでいた。現在も東陽通という地点名として中区に、南陽という小中学校名として港区に残っている。
美濃国厚見郡富茂登村(現在の岐阜県岐阜市)に生まれた山田才吉は、東京へ料理修行に出た後、名古屋で店を構える。その後、現在も名古屋名物として知られている「守口漬を考案し、大きな財を成した。また日本罐詰株式会社を立ち上げて、愛知県下で初めて缶詰製造販売にも参入している。山田才吉が手掛けた事業は、東陽館、南陽館、聚楽園といった料理旅館だけでなく、名古屋教育水族館の建設、名古屋瓦斯(東邦ガスの前身)、愛知電気鉄道(名古屋鉄道の前身)への参画、熱田電気軌道の敷設、中京新報(名古屋新聞の前身のちの中日新聞)の創刊、名古屋の柳橋中央卸売市場の開設など、その活躍は多岐にわたっている。
聚楽園の大仏を調べていて、めちゃくちゃ面白い情報にたどりついた。
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