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愛知のキリシタン その2

 名古屋市昭和区で見つかるキリシタン関連の遺物

 再び時代は尾張二代藩主徳川光友のころに戻るが、光友は処刑した切支丹の霊を弔うとともに、切支丹に対し寛容であった理由として、誠実、温厚といった精神を大事にしていたといったことがあげられている。尾張初代藩主の義直の奥方は「春姫道中」で有名な春姫で、紀州初代藩主となった浅野幸長の姫である。幸長の父長政はキリシタンだった。また義直の娘のうち、ひとりはキリシタンであったといわれている。切支丹禁令となったとき、その娘の代わりに奥女中が検挙されている。幕府の厳しい禁教令などによって、尾張からもキリシタンの影が消えていく。<字数:2668文字>

 江戸時代、杁中(名古屋市昭和区)が隠棲した壇渓だんけい和尚が隠棲した庵の近くの尚文寺で平成26(2014)年に小さな石仏が見つかり、隠れ切支丹の遺物だとわかった。その寺の近くの民家の庭には高さ約75センチの切支丹灯籠が見つかっている。竿の下部には一見すると慈母観音のように見えるマリア像が彫り込まれていて、江戸時代前期につくられた灯籠だと鑑定されている。杁中のすぐ隣の八事にある興正寺という真言宗のお寺にも切支丹灯籠とされる織部灯籠があり、この近辺ではほかにも隠れキリシタン関連の遺物が見つかっている。

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