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浮世絵ってなんだろう? ~憂き世、辛い世、切ない世、いっそ浮かれて夢見る世~

 浮世絵…今までそんなに関心を持ったことはなかったが、歳を重ねたせいだろうか。なぜ浮世絵が江戸時代にこんなに愛され、後には日本固有の芸術文化として外国人からも一目置かれるようになったのか。浮世絵についての記事を書いてみたくなった。

 まずは基礎から学び直す意味で「浮世絵」とは何かについて書いてみる。

 「浮世絵」とは、主に江戸時代に日本で盛んだった木版画や絵画の一種で、当時の日常生活を描いた芸術作品だ。これらの作品は、日常の風俗、美しい風景、有名な歌舞伎役者や美人画といった様々な主題を扱っている。浮世絵はその鮮やかな色彩と独特の構図、そして日本文化の美しさを象徴する表現で、多くの人々に愛されてきた。

 江戸時代初期には、主に役者絵や美人画が人気で、これらは、当時の有名な歌舞伎役者や美しい女性たちを描いたものだ。時が経つにつれて、風景画や武士、民衆の日常生活を描いた作品も登場。特に、歌川広重の「東海道五十三次」や葛飾北斎の「富嶽三十六景」のような風景画は、浮世絵の代表的なジャンルとして世界的に有名になった。

 浮世絵の製作過程は独特で、絵師、彫師、摺師(版を刷る人)、出版業者のような版元が一丸となって作品を生み出し、これにより、非常に細かく、鮮やかな色彩の表現が可能となり、その技術は現代にも受け継がれている。この芸術形式は、当時の日本社会の文化や生活様式を反映しており、今日でもその歴史的価値は非常に高いとされている。また、浮世絵は西洋の印象派の画家たちにも影響を与え、国際的な芸術運動にも影響を及ぼすことになる。

 浮世絵は江戸時代初期から約200年間にわたり日本で町人文化の一環として発展した日本画だ。「浮世」とはもともと「常に変化する現世」を表していたが、平安時代では厭世観(この世は不幸に満ちている)に基づく仏教用語「憂き世」と結びつき、「辛い世」を表す言葉に変わった。江戸時代に入ると「当世が辛いならいっそ浮かれよう」という意味に転じて、当世の娯楽を表現する言葉になった。
 浮世絵が世に広く知れ渡った一説としては木版画を使用していたことで、安価で手に入れることができたことが理由であると言われている。初めは、旅役者や歌舞伎役者の宣伝や庶民の風俗が描かれていたが、浮世絵がブームを巻き起こして以降、美人画や風景画といった多様なジャンルが登場するようになる。しかし、19世紀末になると明治維新の影響もあり、日本国内での浮世絵人気は縮小してしまった。

 19世紀後半、万国博覧会などで日本美術が初めて紹介された西洋において「ジャポニズム(日本趣味)」がおこり、中でも浮世絵は熱狂的な収集家も現れ、大変な人気となった。当時の西洋画にはなかった庶民の生活や風景画などの多様なテーマ、自由な視点と大胆な構図、明るい色使いなどは、多くの芸術家に影響を与えたのだ。特に浮世絵に心酔していたゴッホは、400点以上の浮世絵を所蔵し、浮世絵の展覧会も開いたほどだった。
 1999年のアメリカ誌「LIFE」が選んだ「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物百人」に、日本人で唯一、葛飾北斎が選ばれるなど、その影響力の大きさは世界から認められている。

 ちなみに、代表的な浮世絵のジャンルは主に以下の8種類だ。
■ 美人画 
  美しい女性を描いた作品で、遊女や芸者、町娘などが主な題材で、女性 
 のファッションや流行を反映しており、菱川師堂の「見返り美人図」など 
 が有名。
■ 役者画
  歌舞伎役者を描いた作品で、当時の人気俳優や有名な演技シーンが中心   
 で、役者の個性的な表情や動作が強調されており、今でいうブロマイド 
 のように扱われていた。市川團十郎や松本幸四郎など今でも耳にする役者
 が人気。
■ 武者絵
  歴史上の武将や戦場の場面を描いた作品で、戦国時代や平安時代の英雄
 が主な題材で、勇ましい武士や激しい戦闘シーンが特徴で、歌川国芳が特
 に知られている。
■ 風景画
  名所や自然の風景を描いた作品で、江戸時代の旅行ブームを背景に発展
 し、葛飾北斎や歌川広重が代表的な作家。歌川広重の「東海道五十三次」
 や葛飾北斎の「富嶽三十六景」などが特に有名。
■ 花鳥画
  花や鳥、動物を描いた作品で、四季折々の自然の美しさを表現してい
 る。鳥や植物の細部にわたる描写が特徴で、円山応挙や伊藤若冲が影響を
 受けたジャンル。
■ 春画 
  男女の性愛を描いた作品。風俗画の一部として制作され、エロティシズ
 ムを大胆に表現している。多くの浮世絵師がこのジャンルを手がけたが、
 喜多川歌麿や葛飾北斎などがよく知られている。
■ 風俗画
  江戸時代の人々の日常生活や庶民の暮らしを描いた作品。市場、祭り、
 遊里など、当時の風景がリアルに描かれており、民衆文化を知るうえで貴
 重な資料となっている。
■ 絵本・草子絵 
  物語や伝説、昔話などを絵で表現した作品です。絵本や草子の挿絵とし
 て使われることが多く、物語の場面を豊かに描写している。

 木版画の技術の向上から、同じ絵を大量に制作することが可能となり、廉価で販売できるようになったことと同時に、庶民にとって身近な題材が描かれるようになったことがきっかけで、大衆文化として多くの人々に広まった。いわば情報誌やファッション誌といった雑誌のような役割を果たしており、街・旅の風景、季節の行事、祭り、遊女、役者、力士など庶民の日常や楽しみが描かれていた。ちなみに当時の価格でおよそ二十文前後。蕎麦一杯が十六文ほどだったので、現在の価値をイメージすると、数百円から千円程度で買うことができたようだ。

【歌川広重 代表作】 「東海道五十三次 京師 三條大橋」
 四季折々の日本の風景画で大人気の絵師となり、ゴッホが作品を模写するなど、西洋の画家にも影響を与えたと言われている。広重の風景画の特徴は、四季の移り変わりや天候が織りなす自然美、刻々と変化する時間表現による巧みな演出である。

【葛飾北斎 代表作】 「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」
 初代勝川春章に師事した後、狩野派、住吉派、琳派、さらに中国や洋風の画法も習得し、独自の画法「葛飾派」を確立した。北斎は風景・花鳥・美人・戯画と様々な浮世絵を描き、死の間際まで画技を磨き続け、3万点以上の作品を生み出した。

【喜多川歌麿 代表作】「婦女人相十品 ビードロを吹く娘」
 版元・蔦屋重三郎に見出され活躍する中、美人画に大首絵を取り入れて女性の上半身や顔をいっぱいに構図する新様式を創案した。評判の町娘や遊里の女性たちを魅力的に描き、美人画の第一人者として有名になった。寛政の改革下、表現の規制にも屈せず、常に新しい表現手段を模索し続けたが、文化元年(1804年)に歌麿の錦絵も処罰されその2年後にこの世を去った。。

【東洲斎写楽 代表作】 「三世大谷地次の奴江戸兵衛」
 寛政6年(1794年)、版元・蔦屋重三郎の元で、歌舞伎役者の上半身を描いた「大首絵」を28図も一度に出版し、華々しくデビューした。写楽の役者絵は、美醜問わず役者の個性を大胆にデフォルメして描かれ、独特の身体表現も特徴だ。

 今まであまり興味のなかった浮世絵だが、調べてみたら結構おもしろかった。食わず嫌いを改めて、いろいろな分野に関心を持つことがとても大切だと実感した。

【参考文献】 SORA 1月号

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合同会社Uluru(ウルル) 山田勝己
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