京都の水の源 貴船(氣生根)神社
一生に一度は行ってみたいと思っていた貴船神社を妻と一緒に訪れた。貴船は、京都を流れる鴨川の源流であり、「きふね」は古くから気の生ずる根源として「氣生根」と記され、御神気に触れることで気が満ちるとされてきた。この貴船が貴船神社の御鎮座地である。春は風雅な山桜が彩りを添え、初夏は新緑がしたたる瑞々しい御神氣に溢れ、秋はもみじの錦が光り輝き、冬は無垢な雪化粧が水墨画のごとき光景を魅せる。その豊かな自然のなかで、立ち並ぶ朱色の春日灯籠や優雅な御社殿が見事に調和するように美しく、まさに洛北随一の閑雅幽邃の別天地として知られる。
御祭神は高龗神と呼ばれ、伊弉諾尊の御子神で水の供給を司る神である。創建年代は不詳ながら、社伝によると第40代天武天皇白鳳6年(約1300年前)に御社殿御造替とあることから、創建は極めて古いことがわかる。神社の記録に伝わる御創建伝説によると、第18代反正天皇の御代(約1600年前)、初代神武天皇の皇母・玉依姫命が浪花の津(現在の大阪湾)に御出現になり、黄船に召されて水源の地を求めて船を進められた。淀川から鴨川に至り、いよいよ貴船川をさかのぼり、ついに現在の奥宮の地にめでたく上陸された。そこに祠を営み、水神を祀って「黄船の宮」と崇められることになったという。
貴船は古くから「氣生根」とも表記され、氣力の生ずる根源の地、まさに運氣発祥の地として崇敬されてきた。また、平安の女流歌人・和泉式部が夫の心変わりに悩んで参詣し、切ない心情を歌に詠んで祈願したところ、神の感応が示され、ほどなくして見事に復縁成就した逸話が残されている。ゆえに、貴船の神は「えんむすびの神」として現在も絶大な信仰を集めている。私たち夫婦が訪れた際も、本殿にて結婚式が行われていた。空気感が街中と全く異なる神聖な雰囲気の中での結婚式はそれだけで厳かに感じ、結婚式を挙げられたお二人の幸せがより神々しく感じられた。
気枯れ(穢れ)を祓い、心身共に気力を回復してくれる貴船の命の源=水。その聖なる水は、古今東西奇跡を起こす神として崇められてきた。気力の生ずる根源として古くは「氣生根」と言われてきた貴船には、豊富な水脈があることから、水の神を祀った貴船神社。澱みを洗い流し、清らかな心を蘇らせる水は、運気を切り開いていく力があり、心願成就、縁結び、商売繁盛のご利益もある。古の時代には、和泉式部や源義経、徳川家光といった当代の有名人たちからも崇敬を受け、多くの人たちに参詣されている。
1000年の歴史を持つ京都は、風水で言う四神相応の地として優れた地形を有している。平安京は、天皇と共にたくさんの人々が住む都の中心に、良い氣が集まるようにと計画して作られた。鞍馬・貴船が位置する京都北部の山地は、大地のエネルギー「氣」が生ずる根源の地だ。貴船の龍穴(貴船神社奥宮本殿の真下)より生じる「氣」は龍脈を通じて南に流れ、京都盆地に集まるす。風水では「氣」の集まる場所を明堂と呼び、周囲を山に囲まれた京都盆地は良い運気が集まる明堂となっている。
北東の比叡山は鬼門封じとして、悪い運気が入り込まないように都を護っており、さらに京都中心部には、悪い運気・穢れを洗い流す鴨川が流れている。その鴨川の源流・水源地が貴船である。また鞍馬は、いまや世界中に広まりを見せる「レイキ」の発祥地となっている。「レイキ」とは「霊気」を語源とするレイキヒーリングのことで、明治から昭和初期にかけて海外から導入された思想・技術と日本の文化が融合して多種多様な民間療法が生まれた。「霊気」はこの民間療法における霊術・民間精神療法の潮流のひとつでとされている。霊術の世界で「霊気」は、手のひらから発する癒しのエネルギーを指す言葉として一般的に使われていた言葉だ。鞍馬・貴船は「氣=エネルギー」の源であり、また水の力で「悪い運気・穢れ」を洗い流し、私達に癒しと元気を与えてくれる聖地になっている。これが、京都の鞍馬・貴船は日本有数のパワースポットであると言われる所以となっている。
貴船神社の本殿から奥宮に向かう途中に和泉式部の歌碑があった。貴船神社で願掛けをし、離れてしまった夫の心を見事とりもどしたエピソードが残っている。
もの思いをしていると、川の上を飛ぶ蛍が、まるで我が身から抜け出た魂のように見える…という意味だ。すると貴船の社殿の中から、返歌が聞こえてきたという。
奥山の滝の水が飛び散るほどに、深く思いつめたりしなさるな…という意味だ。しばらくして願いが成就し、元通りの夫婦円満になったとのこと。この和歌を詠んだとされる場所に『思ひ川』と書かれた橋が架かっていた。。
初めて訪れた、それも妻と一緒に訪れた貴船で深い学びの機会をいただいた。貴船で夫婦揃って、「レイキ」、ここで言うならば「氣生根」を感じることができた旅となった。時間がなくて「川床」で妻と乾杯することはできなかったが、還暦の年にまた妻と訪れたいと思う。