|丙午《ひのえうま》の私が還暦になるとき
日本の人口動態統計のグラフを見ると、1906年生まれと1966年生まれの出生数がガクッと落ち込んでいることがわかる。この出生人口の減少の原因をご存知の方はどれぐらいいるだろうか。おそらく、ここ数年で出産を考えている若いご夫婦やカップルはまったくご存知ないかもしれないが、上記の1906年と1966年は60年に一度の丙午という年にあたり、再来年2026年はその丙午なのだ。
ネズミに始まりイノシシで終わる十二支は誰でもご存知だと思う。「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」の12種類だ。これに十干と呼ばれる「甲(きのえ)・乙(きのと)・丙(ひのえ)・丁(ひのと)・戊(つちのえ)・己(つちのと)・庚(かのえ)・辛(かのと)・壬(みずのえ)・癸(みずのと)」の10種類が組み合わさって干支となる。たとえば、2020年は庚子(かのえ ね)、2021年は辛丑(かのと うし)、2022年は壬寅(みずのえ とら)、2023年は癸卯(みずのと う)、2024年は甲辰(きのえ たつ)、間もなく始まる2025年は乙巳(きのと み)、そして 2026年が丙午(ひのえ うま)となる。この十干と十二支が組み合わさって60種類になるため60年に一度やってくることになり、この干支という考え方は中国で生まれて日本に伝わってきた。私たちがおめでたいとされる還暦とは、60年で再び生まれた年の干支に還ることをいい、長生きしたことを祝うものだ。
丙午には、「丙午生まれの女性は気性が激しく夫を不幸にする」という迷信がある。そもそも、この迷信はどのような流れで生まれたのだろうか。干支が生まれた中国では、丙午・丁巳(ひのとみ)の年には、天災が多いと言われていた。この伝承が日本に渡り、江戸時代になると「丙午の年には火事が多い」という話に変化した。このときはまだ、丙午生まれに関する迷信は生まれていなかったが、その後「気性が激しく夫を不幸にする」と言われるようになった。文献上で丙午生まれに関する記述が見られるようになったのは、1662年(寛文2年)以降のことで、「丙午の男性・女性は配偶者を殺す」「よめ取りむこ取りに丙午生まれの人を避ける」という記述が残っている。この時点では、男女の区別なく丙午生まれに対して良くないイメージを持っていることがわかる。
その後、1726年(享保11年)からは、女性に関する記述が残るようになり、丙午生まれの中でも女性ばかりが悪く書かれるようになる。そのきっかけになったのが以下の事件だ。
1683年(天和3年)のこの日、18歳の八百屋の娘・お七が、放火の罪で3日間の市中引き回しの上、火あぶりの極刑に処せられた。
前年12月28日に江戸で発生した「天和の大火」の際、お七の家は燃えてしまい、親とともに寺に避難した。お七はその寺で寺小姓・生田庄之介と出会い、恋仲になった。やがて店が建て直され、お七一家は寺を引き払ったが、お七は庄之介のことが忘れられなかった。もう一度火事になれば庄之介にまた会えると考えて、3月2日の夜に家の近くで放火に及んだ。近所の人がすぐに気が付き、ぼやで消し止められたが、その場にいたお七は放火の罪で御用となった。当時は放火の罪は火あぶりの極刑に処せられていたが、17歳以下ならば極刑は免れることになっていた。そこで奉行は、お七の刑を軽くするために「おぬしは17だろう」と問うが、その意味が分からなかったお七は正直に18歳だと答えてしまい、極刑に処せられることとなった。
お七が干支の丙午の年の生まれであったことから、丙午生まれの女子が疎まれるようになった。また、丙午生まれの女性は気性が激しく夫の命を縮めるという迷信に変化して広まったとされる。
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