「home」という歌が気づかせてくれる子どもの大切さ
私は木山裕策さんの歌う「home」という歌が大好きだ。
木山裕策さんは、会社の人間ドックの検診で喉にしこりがあると言われ、組織検査をした結果、甲状腺の癌(乳頭癌)であることが発覚した。36歳の時である。腫瘍の大きさは、2cm×3cmもあった。血液検査が毎年オールA判定だった木山さんにとっては、まったく自覚症状もなく、まさに青天の霹靂だった。歌手、脚本家の夢もいつしかあきらめ、3人の男の子のパパとして、普通のサラリーマン生活を送っていた36歳の木山さんに、悪性の甲状腺腫瘍が発覚という悪夢が襲う。
木山さんの落ち込んでいる姿を見て、奥様は「何とかなるから、今は心配しないで。もし大変なことになったとしても、その時に一緒に考えらればいいから」といつも前向きな言葉をかけてくれた。子どもたちもまだ幼かったため、病気の詳細については告げていなかったのだが、子どもたちの笑顔には随分支えられた。まだまだ頑張らなきゃっていつも元気をもらっていたそうだ。
「2度と声が出なくなるかもしれない」と医者からそう告知されたとき、「もし手術が成功したら子どもたちのために、自分の声をCDに残しておきたい」…そう思うようになったという。手術は左側の甲状腺を摘出して、無事成功したものの、元のような歌声は出なくなっていた。歌うことが生きがいだった木山さんは失意の底に落ち、手術後まったく歌を歌わなくなった。しかし、半年後、意を決して再び歌の練習を始めたのだ。
それから半年。4人目の子どもを授かった木山さんは、それを機に自分の歌をCDに録音し始める。そして、5枚目のCDができあがったころ、再び夢がもたげ始める。「歌手になりたい・・・」。4人目の子どもができたのは、「夢をあきらめてちゃんと子育てしろということなのか」…そう思った木山さんだったが、ついに決心する。「君が産まれてきたから夢を諦めるなんて、君に失礼だよね」
以前から知っていた日本テレビの深夜のオーデイション番組『歌スタ!!』にエントリー。プロデューサーの目に留まれば歌手デビューできるという絶好の機会だったが、最終審査で不合格となってしまう。夢が閉ざされた悲しみはもちろん、何より応援に駆けつけてくれた息子が涙を流す婆を見て、木山さんは心底後悔した。夢なんて追いかけなければよかった。脚本家の夢を追いかけた時に懲りているはずなのに、また追いかけて、今度は自分だけでなく、自分の子どもまで傷つけてしまったと…。
悲嘆と後悔で押し潰されそうになっていたその時、予期せぬ報せが舞い込んだ。「home」をプロデュースしてくださった作曲家の多胡邦夫さんがテレビ局に掛け合ってくださり、番組史上例のないリベンジ企画が立ち上がったのだ。幸運にも、木山さんはもう一度歌手としてデビューするチャンスを得たのだった。
木山さんはリベンジ企画の収録には子どもは連れていかないと決めていた。また失敗して子ども泣くようなことがあれば、辛くてとても見ていられないと思ったからだ。しかしそんな木山さんに、多胡さんはこう声をかけたのだった。
「木山さん、どうしてお子さんを連れてこないんですか? 世の中ってね、確かにどんなに頑張ったってダメな時はありますよ。でも本当に子どもたちに見せないといけないのは、勝つ姿じゃないでしょう?」との声掛けに木山さんは戸惑った。
「この流動的な世の中で勝ち続けることなんて難しい。顔張ったけど失敗して、倒れちゃったお父さんがいるとします。本当に見せなきゃいけないのは、そこからどう立ち上がって、前に進んでいくかという姿ではないですか?」
木山さんは多胡さんのその言葉に発奮し、覚悟を決めた。そうしてリベンジ企画に合格すると、晴れて「home」で歌手デビューを果たしたのだった。
木山さんの歩みを振り返れば、木山さんの人生は転んでばかりだったのかもしれない。夢を追うことには常に困難がつき纏ったが、それでも人目を気にして挑戦せずに諦めることは楽だが、一つだけ間違いないのは、諦めれば絶対に夢は叶わないということだと木山さんは語る。
歌手への挑戦を決意して、1次審査、2次審査、3次審査、そして、最終プレゼン、リベンジ・・・歌手の夢への闘いは、熾烈を極めた・・・。しかしながら、木山さんの子どもたちの応援、落選の悔し涙、再挑戦、そして歓喜の瞬間・・・。名曲『home』が誕生したのだ。
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