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ピクトグラムは万国共通の視覚言語!

 非常口やトイレの案内、オリンピックの競技などにピクトグラムが使われている。ピクトグラム(pictogram)は日本語では「絵文字」、「絵ことば」または「視覚言語」と訳すことが多い。pictureという“図や絵”という意味とgramという“書かれたもの”という意味が組み合わされたものだ。

 公共施設での標識などのサインを管理している国土交通省は、ピクトグラムについてウェブサイトで次のように説明している。

案内用図記号(ピクトグラム)とは、不特定多数の人々が利用する公共交通機関や公共施設、観光施設等において、文字・言語によらず対象物、概念または状態に関する情報を提供する図形です。視力の低下した高齢者や障害のある方、外国人観光客等も理解が容易な情報提供手法として、日本を含め世界中の公共交通機関、観光施設等で広く掲示されています。

 ピクトグラムというのは、少なくとも以下の共通意識が見て取れる。
  ① 図記号を使って意味を表す
  ② 図記号つまり視覚情報である
  ③ 言語の種類に関わらず万人に理解できる
  ④ 年齢、障害のあるないに関わらず、理解しやすい
  ⑤ 公共の場で用いられる
  ⑥ 国際性がある

 あまり知られてないことだが、日本でピクトグラムが広く普及するきっかけとなったのが、1964年に開催された東京オリンピックだ。当時日本は高度経済成長期の真っ只中だったものの、外国からの来訪者はまだまだ国際的に見ても少なかった時期だ。そのため東京をはじめ日本の街中の案内板などは「お手洗い」や「食堂」など日本語で書かれたものが殆どだった。
 当然オリンピックが開催されると、世界90ヶ国以上の国からの来客者が一気に訪れることになる。言語の違う国から多くの外国人が来訪をするということは、表記を英語だけ追加すればよいというものではなかった。様々な国の人が一目でわかるような案内板が必要だった。
 オリンピックまであと4年と迫った1960年、オリンピック組織委員会の中でデザイン懇話会が設けられた。このときに作成されたピクトグラムは、オリンピックの「競技種目」を表すモノから「トイレ」や「公衆電話」など公共施設などで使用されるモノまで含まれていた。またオリンピックの競技種目を表すピクトグラムが体系的に作られたのは、この時が初めてだったためこの広がりを世界も注目した。スイスで発行されたグラフィック・デザイン専門誌『GRAPHIS』は「作成されたシンボルたちが次の大会にも採用されることによって、万国共通の視覚言語として磨き上げられることを望んでいる」と記している。実際にその後からのオリンピックは、競技種目を表すピクトグラムの制作に各開催国が力を入れはじめ、ピクトグラムデザインの国際リレーが続いていくことになる。
 東京オリンピックで生まれたピクトグラムたちは、12人のデザイナーが3ヶ月をかけて制作したものなのだが、ぜひ今後の社会に還元すべきものだとし、自分たちが制作したピクトグラムの著作権を放棄した。ここで生まれた絵文字たちは、著作権が放棄されたことにより、オリンピック以降も多くの施設で案内表示として採用されることになった。このときに作られたピクトグラムは、オリンピック競技などを含めた全39種類。オリンピック期間中に来日した多くの外国人の目に留まったことに加え、デザイナーがピクトグラムの著作権を放棄して誰もが自由に使えるようになったことが、世界中に広まる大きなきっかけとなった。

東京五輪1964 ピクトグラム

 1964年の東京オリンピック以後も、今ではお馴染みになっているピクトグラムが次々と定着する。例えば、トイレを表す青色と赤色の男女のピクトグラムは東京オリンピックに誕生したが、正しく認識されるにはしばらく時間を要し、世界的に定着したのは1970年の大阪万博からと考えられている。また、緑色が印象的な「非常口」のピクトグラムは、1973年に発生した日本最悪の火災時事故「大洋デパート火災(死者104人)」がきっかけで誕生したとされている。炎の中では最も視認性が高い色とされる緑色のピクトグラムは、非常に評価が高く、「JIS規格」と「ISO規格」のどちらにも採用されている。

東京五輪2020 ピクトグラム

https://www.youtube.com/watch?v=RqX51AIQ7bY

 そのピクトグラムが東京2020大会では、時代に合わせてオリンピック・パラリンピック大会史上初のある進化を遂げた。それが「動くスポーツピクトグラム」だ。東京2020オリンピック・パラリンピックのピクトグラムはその1964年のものをさらに進化させ、高い精度でデザインコントロールされた作品として登場した。3Dで動くモーションピクトは色彩パターンとの組み合わせも絶妙で、サインデザインを身近なものにした功績は大きい。1964年に日本から発信されたピクトグラムが、世界を驚かせたが、本大会では時代に沿った世界に誇れるクールで美しいピクトグラムとしてさらなる次のレベルに進化した。このように絶賛された。

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合同会社Uluru(ウルル) 山田勝己
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