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 国民の「知る権利」を守るジャーナリスト

    かつて、戦場カメラマン・広河隆一氏の講演会と写真展に行く機会に恵まれた。広河氏はフォトジャーナリスト…早稲田大学を卒業後、今も悲惨な戦闘の続く中東へ。それ以来、半世紀にわたって、パレスチナをはじめイラク、レバノン、アフガニスタン、コンゴなどを取材し、戦争に翻弄される子どもたちとその命をカメラに収めてきた。さらに原発事故の放射能汚染にさらされたチェルノブイリ、そして、東日本大震災で同様に放射能に汚染された福島や、東北を襲った津波の現場を取材し、被災者たちの置かれた現実をカメラで捉えてきた。しかしながら、過去の性暴力問題により、現在はフォトジャーナリストとしての活動ができない状態にあり、とても残念である。
 

 広河氏にはかつて愛知高校生フェスティバルの平和企画にて、フォトジャーナリストとしてこれまで目にしてきた戦争の悲惨さを高校生向けに語ってもらったことがる。広河氏がそのとき話されたのは以下の通り。
 これらの現場は「人間の生存と尊厳が脅かされ続けている人間の戦場である」として、とりわけ弱者である子どもたちに焦点を向けている。子どもたちは地球の未来を生きるために生まれてきたはずなのに、人間同士の醜い戦争がその権利を無造作に傷つけ、命を奪っているからだと…。
 当時、広河氏の写真展の会場を埋めていたのは、無差別爆撃された街角や難民キャンプ村などで記録したモノクロ写真…。両親が犠牲になった現場で泣きじゃくる子、地面に子どもたちの遺体が転がる現場で号泣する女性たち、子どもの墓の前で立ちすくむ父親、戦車に向かって石を投げる子、「私は『物乞い』をしているのではない」と大きく開いた目で訴える女の子…。     
 原発事故や津波の被災地でも、ジャーナリストである広河氏のまなざしは当時は変わらなかった。また、戦場だけでなく被害の現場では、とかく情報は隠されるものと、私たちの「知る権利」が真に守られているのか疑問視し、次のように語った。
加害者は必ず被害を隠します。爆弾を落とした責任者は、その爆弾で子どもが殺されたことを隠そうとします。原発事故を引き起こした責任者は、事故で出た放射能の影響による病気を隠そうとします。だからこそ、ジャーナリストである私たちは、撮影した真実を守るために、「隠したい人」「加害者」と対峙しなければなりません。なぜならそれは、本当は何が起こっているかを「知る」という、私たちの権利を守ることと重なっているからです。人々が知る権利を持っているのは、すべての人間に「生きる権利」もっと言えば「健康で幸せに生きる権利」が備わっているからです。』

 半世紀以上の経験から広河氏が考える「あるべきジャーナリストの姿」とは何か。ジャーナリストは隠された真実を人々に伝えるのが仕事で、国や政府や権力者の言った言葉をそのまま垂れ流すのはジャーナリズムではない。何が起きているのか知らなければ、自分たちの権利さえ守られない。そんな社会にあって、誰もが「知る権利」を行使できるわけではない。「生きる権利」とともに必要なのが「知る権利」で、その「知る権利」を人々に提供する役割を持っているのがジャーナリスト…これが広河氏のジャーナリズムであったはずだが、広河氏の起こした複数の女性への性暴力事件は残念ながら大きな人権侵害である。

 ベトナム戦争では、アメリカ軍はジャーナリストの取材を自由に認めたため、多くの記者、カメラマンたち(いわゆるフォトジャーナリストや戦場カメラマン)が競って戦闘の最前線へ足を踏み入れていった。血なまぐさい戦場からのリポートは、そのままメディアを通じて世界中に流され、社会に大きな衝撃を与えていた。
 その一方、戦場を取材するジャーナリストの犠牲者も急激に増えていった。第二次世界大戦を記録した、世界でもっとも有名な戦争カメラマンであるロバート・キャパ氏は、ベトナムで地雷を踏んで亡くなった。ピュリツァー賞をはじめ様々な賞を受賞した沢田教一氏はカンボジアで車の移動中に襲撃されて命を落としている。『地雷を踏んだらサヨウナラ』でその人生が映画化された一ノ瀬泰造氏は、アンコールワット遺跡をカメラに収めたいがためにポル・ポト派が支配するアンコールワットに向かい、殺害されている。 ここ最近だと、シリアに取材に入り、過激派組織「イスラム国」(IS)に捕まって処刑された後藤健二氏の死は、イスラム国が映像を公開したことで、私たち日本人は言葉にできないほどの衝撃を受けることとなった。後藤健二氏の事件を受け、当時の自民党副総裁が「蛮勇と言わざるを得ない」と語っている。「使命感はわかるけれども、人質などになれば、自分の責任能力を超えてしまう」「政府や国民に迷惑をかける」「ジャーナリストといえども、そのような取材は行うべきではない」という声も多く聞かれた。
 イスラム国によって人質を処刑されたアメリカやイギリスでは、殺害されたジャーナリストを非難する意見はほとんど出てこない。「彼らがいなければ、そこで何が起きているのか、私たちは知ることができないではありませんか」という認識は、市民の間で広く共有されている。身代金を払わないのは、それがイスラム国の資金源になるからであり、ジャーナリストの行動を責めているのでは決してない。戦場取材が増えれば、必然的に事故も多くなる。どれほど経験を積んだプロでも、戦場取材のリスクをゼロにするわけにはいかない。プロはギリギリまでリスクの軽減を図っているが、ゼロにはできない。それは職業に付随するリスクであり、自衛隊員、警察官や消防士たちのリスクと同じ種類のものではないだろうか。戦争や紛争がある限り、それを伝えるのがフォトジャーナリストや戦場カメラマンの使命なのだから。

 最後に、広河隆一氏から、他国における戦争をテレビ等の映像で視聴した際、私たち日本人は想像しなければならない重要な視点を教わったことを付記しておく。
 「他国から爆撃を受け、建物が炎上・倒壊するシーンを目にした時、その火炎の下には子どもたちをはじめとする多くの無告の民がいるということを想像しなければなりません。」
 この言葉を耳にして以来、北朝鮮がミサイルを発射するたびに想うことがる。弾道ミサイルが日本の領土・領海に落下する可能性、または領土・領海の上空を通過する可能性がある場合にJアラートが鳴動する。領海外に落ちた場合、ニュースキャスターは嬉しそうにミサイルが日本の領域外だったことを報告するが、私はいつも疑問に思うのだ。人間には被害はなかったけど、その海に生息している海洋生物のことは考えなくてよいのか、海に落ちたそのミサイルは誰がどのように撤去するのかと…。

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合同会社Uluru(ウルル) 山田勝己
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