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オリンピックの歴史① 古代オリンピック

 古代オリンピックは紀元前8世紀に始まり、約1200年続いたときく。そもそもオリンピックがなぜ、どのように始まったのかを私は知らない。そこで、少しだけ調べてみたことを記事にしてみることにした。

 オリンピックとは神に捧げる祭典
 紀前8世紀頃、古代ギリシャでは都市国家間の争いが続いていた。エリスという国も、約50km離れたオリンピアという領地の所有権をめぐり、隣国のピサと交戦状態だった。そればかりか感染症も流行したので、エリスの王は行き詰まってデルフィにある神殿で祈りをささげた。すると、「争いをやめて、以前行っていた競技会を復活せよ」と神からのお告げがあった。そこで、エリスの王は、ピサと休戦し、紀元前776 年にオリンピアで競技会を行った。これが古代オリンピックの始まりと言われている。
 
 古代オリンピックはゼウス神を祭る聖なる祭典であったため、血を流すことは禁じられていた。そこで、祭典期間の五日間を含め前後3か月間を休戦期間とし、「エケケイリア(聖なる休戦)」と呼んだ。この3か月間は武器を持ってオリンピアのあるエリスに入ることはもちろん、争い事なども禁止されていた。また、遠くから訪れる選手や観客は、3か月という十分な期間を利用し、安全に旅をして、オリンピックを観戦することができた。こうして競技者と旅人の安全が保証されたため、古代オリンピックは約1,200年もの長い間にわたって続けられたのだ。
 
 古代オリンピックが繁栄するもととなった休戦は、近代オリンピックが始められるときに、平和的な考えとして継承された。オリンピックが「平和の祭典」と称されている理由には、古代の休戦の考えをレガシーとして受け継いでいることが挙げられる。しかしながら、ここ数回のオリンピックではロシアがオリンピック期間中に休戦することはなかった。

 その後、ギリシャは国力を増していたローマに征服され、オリンピアの競技大祭にはローマ人たちも参加するようになった。宗教行事だったオリンピアの競技大祭は、ローマが支配する全地域から競技者が集う国際的な発技大会となった。しかしながら、大会規模が大きくなるにつれ、地位や名声を求める人々によって、競技が賭けの対象になったり、八百長が行われたりしたために、大会は神聖さを失い、オリンピアの神域もローマ人の観光地になってしまう。また、ローマ帝国が392年にキリスト教を国教としたため、オリンピア信仰は禁止され、オリンピアの競技大祭も廃止に追い込まれたのだ。記録では393年に開催された第293回オリンピック競技大祭が最後の古代オリンピックになっている。

 426年になると、ローマ皇帝テオドシウス2世がオリンピアに残る神殿を焼き払うように命じ、その後は、二度の大地震と川の氾濫により、オリンピアは砂と泥士の中に埋没し、古代オリンピックはて忘れ去られてしまうのだった。

 「エケケイリア(聖なる休戦)」が近年守られていない。守っていないのはロシアとイスラエルなど…。オリンピックについて再度基礎から学び、その意義をこの記事を読んでくれたすべての人たちと分かち合いたい。おそらく5~6回のシリーズになるので、最後まで読んでいただければとても嬉しい。


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合同会社Uluru(ウルル) 山田勝己
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