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江戸時代から学ぶエコな暮らし

 江戸では高度な循環型社会が形成され、現代のようにゴミが発生することはなく、さまざまなリサイクル業が存在した。日本の農村では江戸時代よりずっと以前から排泄物などを肥料に使い、自然に循環型のシステムができていた。江戸の町がすごいのは、循環型の仕組みを支える問屋制度があったことだ。問屋は大名屋敷や長屋と契約し、雇い人たちに排泄物や灰などの現代で言うゴミを回収させ、それを肥料として農村に運んで販売していた。人間の排泄物、馬糞、灰などは肥料となって土の中に戻るというシステムだ。

 ご存じのように江戸時代は鎖国をしていたため、資源の輸出入が無く、人々の暮らしに必要な物資の大半を植物資源に依存していた。また植物は太陽光、CO2、水による光合成で成長するため、必要なエネルギーも太陽光だけでまかなわれていたわけだ。たとえば、江戸時代の照明といえば、小皿に注いだ油に火を灯す行燈が主流となっており、この行灯用の油には、ごま油、えごま油、菜種油、綿実油などの植物油、他にもイワシ、クジラ、サンマなどの「魚油(ぎょゆ)」が利用されていた。江戸時代の稲作では、収穫した藁の約20%を日用品づくりに、約50%を堆肥に、残りの約30%を燃料その他に充てており、収穫した分を100%活用し、少しも廃棄することがなかった。

 また、江戸時代の衣食住に関する日用品や住居を見ても、日除け用の編笠、雨具用の蓑、草履、米俵、鍋つかみ、釜敷き、藁苞、草屋根、畳、土壁の材料などすべて最終的には「土」に返すことができるもので作られていた。
 江戸時代は物資が限られており、人々が所持できる分も少なかったため、衣類も食器も徹底的にリサイクルして使う文化が定着していた。江戸時代は古着屋がかなり多く、市場に出回っている着物の大半は古着だった。古着屋では着物だけでなく端切れなども扱っていたので、それを襟や裏地などに縫い付けて個性を出しておしゃれも楽しんでいたようだ。何度も着回してさすがにほつれや擦り切れが目立つようになってきた着物は、今度はおむつや雑巾としてリサイクルされ、ボロボロになるまで使い切った後はかまどや風呂釜などの燃料にも使われた。さらに、燃やし尽くした後の灰さえも、農業、酒造、陶器づくりに利用された。

 さらに江戸では、壊れたものを自分で直して使う文化があり、どうしても直せないときには専門の修理屋に依頼する仕組みがあった。修理屋にはそれぞれ専門があり、壊れた陶器を修理する焼接ぎ屋、提灯張り替え屋、破損や汚れで見えづらくなった鏡を復活させる鏡研ぎ(かがみとぎ)屋などがいた。そのため、何かが壊れたら専門の修理屋まで持っていき修理してもらい、また使えなくなるまで使い込むというのが江戸時代の常識だった。
このように、「これ以上は修理できないのでは…」というレベルまで使い切ってもなおゴミにしないところが江戸の凄いところだ。

 当時は、無駄をせずに倹約をするという倫理観が行き渡っていた。つまり、意識的に循環型社会を実現したというよりは、あらゆる工夫を凝らして再利用可能な植物資源を最大限活用する中で、自然と独自のリサイクルシステムが構築されていったのだ。「経済」という言葉の元となっている「経世済民=世を経(おさ)め、民を済(すく)う」という考え方が浸透していたということだろうか。

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合同会社Uluru(ウルル) 山田勝己
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