見出し画像

人権侵害を重ねる国会議員に政治に関わる資質はあるのか

 現職の国会議員が、アイヌ民族や在日コリアンを誹謗中傷する発言や投稿を行い、公の機関から「人権侵犯」を認定されるという、世にも恥ずかしい事件が報道されている。このnoteにおいて、個人を糾弾するのは良くないのかもしれないが、国民の代表として政治に関わっている議員が「人権侵害発言」を何度も繰り返し、しかも反省のかけらもない姿勢はいかがなものかと思い、あえて書いてみることにした。

 2016年、自民党の杉田水脈衆議院議員がみずからのブログやSNSに国連の会議に参加したときのことについて、「チマチョゴリやアイヌの民族衣装のコスプレおばさんまで登場」「完全に品格に問題あり」「同じ空気を吸っているだけでも気分が悪くなる」などと投稿した。
 先日、札幌法務局は当時のこの投稿について人権侵害にあたると認定し、議員側にアイヌ文化を学び、発言に注意するよう啓発を行った。当時、杉田議員の投稿の対象になった女性は「法務局が人権侵害にあたると認めたことは大きな一歩だ。アイヌ民族や社会的弱者が声を上げやすい社会になってほしい」と話している。NHKの取材に対し、杉田議員の事務所は「法務省から連絡があり、『人権侵犯の事実があった』と説明を受けた」と回答 したが、同議員は雲隠れしている。

 2017年には「シングルマザーになるというのは自己責任。そんな男性を選んだのはあなたでしょ!」という発言も批判を浴びた。
 2018年、「世の中に『待機児童』なんて一人もいない。子どもはみんなお母さんといたいもの。保育所なんか待ってない。待機してるのは預けたい親でしょ」とツイッターで発言。また、同年、月刊紙上に、LGBTと呼ばれる性的マイノリティーの人たちについて「彼ら彼女らは子どもを作らない、つまり『生産性』がない。そこに税金を投入することが果たしていいのか」などという考えを示して物議を醸している。
 2020年には、杉田議員が党内の会議で、性暴力の被害者支援における民間相談窓口について「女性はいくらでも嘘をつくから」と発言している。

 杉田議員は、「『常識』や『普通であること』を見失っていく社会は『秩序』がなくなり、いずれ崩壊していくことにもなりかねません」などと言っているが、誰から見ても、どう冷静に考えても、「常識」を「見失って」いるのは、杉田議員自身の方だろう。やっていることは、弱い者をたたき、異質な者を排除することによって、自分たちが「普通であること」を確かめ、集団としての「秩序」を保とうとすることでしかない。これはまさに、「いじめ」の構造そのものだ。いやしくも「保守」を自称し、日本の伝統だの、日本人としての誇りだのを口にするのであれば、せめて「弱きを助け強きをくじく」といった意気地や誇りや美意識をもう少し大事にしてほしい。そのカケラすらも見られないから、杉田氏の発言はただ「卑劣」で「醜悪」なのだ。

 これだけの騒ぎを起こしていながらも、政府も自民党も杉田議員に対して、表面的な注意はしているものの、離党勧告や議員辞職などの厳罰を与えることはできなかった。いや、しなかったという方が正しいかもしれない。     
 松野官房長官は、「自民党の杉田議員がブログなどでアイヌ民族を侮辱的に表現した件について、札幌法務局が人権侵犯を認定した。差別や権利侵害を禁じるアイヌ施策推進法がある中、現職国会議員がこのような処分を受けたことをどう思うか?」という記者の質問に対して、次のように答えた。
「個別事案については関係者のプライバシーにも関わる事柄であるためお答えは差し控えさせていただきます。一般論として申し上げますと、アイヌの人々に対してアイヌであることを理由として差別することはあってはならず、政府としてはアイヌの人々が民族としての誇りを持って生活することができ、その誇りが尊重される社会の実現に向け、施策を推進することが重要であると考えています。」
 「個別事案」「プライバシー」とは杉田議員のことかと疑いたくなる。被害者に対しての「謝罪」もない。そして「政府としての考え」はまるで試験問題の正答例を読み上げただけのようなもので、心がこもっていない。被害の対象になった方々や国民に対してもどこか冷たさを感じるのだが、みなさんはどう思われるか。
 私には、この日本国の中には「人の命と人権に『国境』が存在する」ように思えてならない。

私の記事を読んでくださり、心から感謝申し上げます。とても励みになります。いただいたサポートは私の創作活動の一助として大切に使わせていただくつもりです。 これからも応援よろしくお願いいたします。