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フロアータッチ

フロアータッチ

           神宮 みかん

 ゲームは中断し、中央のチアガールが「ゴーウィングス。ゴーウィングス」と体育館全体に響き渡る声で会場を盛り上げていた。

 子どもが独立し久しぶりに夫と出かけた場所はバレーボール会場だった。

 英語でチャレンジ。フロアータッチという文字がスタンド正面の左側の液晶画面に映し出された。

 わたしは夫に訊ねた。

「チャレンジって何?」

「バレーボールのルールを本当に知らないんだな。審判の判定が誤審ではないかと指摘し、ビデオ判定を要求する行為だよ」

「へえ。そんなルールがあるんだ。なんか本格的」

「当たり前だろ。SVリーグなんだから」

 確かに、とわたしは思った。

 わたしはバレーボールについては無関心だった。でも、最高峰のリーグの応援スタイルは私を魅了していた。

「ウィングスは相変わらず押されっぱなしだな。まだ一勝もしていない。今日も駄目だな」

 相手チームがリードしている展開だけに今回も負け試合が濃厚ということもあるのだろう。夫はやや冷めた表情でコートを眺め言った。

 わたしは夫ほどではないが負け試合になるに違いないと思いながら戦況を見守っていた。

 どこかで群馬グリーンウィングス≒弱い、と応援するチームを見なしているわたしがいることを恥じつつも、ま、これだけ負け続ければ仕方ないと思った。

 わたしは夫に言った。

「判定はどうなるかな?」

「ここで判定が変わったところで何か変わるのかよ。相手が優位なことに全く変化がないよ」

 夫は投げやりに答えた。

「そうね。でも、変わるかもよ。野球と同じで時間でゲームは終わらないんでしょ」

 夫の冷めた表情が朗らかになった。わたしの一言が変えたのかと思った。でも、そうではなかった。

「声援いいな。オール群馬って感じ。しかも、日本人は東洋の魔女と呼ばれたくらいでバレーボールには向いているからな」

 わたしが会場を見わたすとチアガールの「ゴーウィングス。ゴーウィグス」という声援を先頭に会場に招待されたボールを拾う高校生、選手とともに入場した小学生を中心に歓声がわきおこっていた。

 わたしも諦めることが嫌いという性分からなのだろう。頑張れ、負けるな、と「ゴーウィングス」と会場のウィングスファンに配布されたハリセンを叩いて精一杯応援をした。

 日ごろの社会人として大人でなければいけないという抑圧から解放されたような気がした。

 判定結果が出たのだろう。応援が静まった。

 わたしは手を合わせ独りごちた。

「チャレンジ様。成功してください」

「様かよ」

 夫の耳に入ったのだろう。夫は失笑した。わたしは夫に対して言った。

「様よ」

「てか、お前どうしてそんなに応援に熱心になっているの?」

「いいの。あなたには関係ないじゃない」

 わたしが尖った声を出すと夫は口を閉じた。

 液晶画面に【フォルト】と映し出された。ボールが床に着いていたという判定だった。判定は覆らなかったのだ。

 夫はこんなもんだろうという表情に戻った。

 わたしは言った。

「あなたは応援をするのは嫌いなの? 嫌いとは言わせない」

「どうしてさ? なんで俺が応援好きと断定ができるんだよ」

「子どもにもよく言っていたじゃない。弱いから応援しがいがあるんだって。馬鹿だから勉強のしがいがあるんだって」

 子どもが独立し共通の趣味を探す夫はわたしの言葉に自分を見出だしたようだった。

「そっか。そうだよな。生きてりゃ次があるからな」

「そう。次があるの」

 夫はわたしの言葉に笑みを浮かべた。

 ゲーム再会とともに失点を重ねるが諦めずに躍動し続ける緑のユニホームの群馬グリーンウィングス。わたしはそのウィングが開く日はいつなのだろうかと思った。その日を夫と見てみたくなった。

「ゴーウィングス」と叫びながらハリセンを叩くわたしに夫が言った。

「チアガールが見たいからまた来ようぜ」

 死ぬまで終わらない人生の中で二人の共通の趣味を必死に探そうとする夫の優しさにわたしは嬉しくなった。

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