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小説でこの町を元気にしよう!NO.5【後編 伝えたいことがあるんだ】


②答え合わせ 西暦2019年(二十五歳)

 帰国後も留学時の仲間との連絡のやり取りは続いた。

 親しくしていた後輩からビザが切れると言ったら、恋人が結婚しようとプロポーズをしてくれた、と連絡がきたのは半年前だった。

 思えば、後輩はキャビンアテンダントという夢をみて留学をしたにもかかわらず、その夢を諦め就労ビザで働き続け恋を実らせた。

 一途な思いを貫いた後輩を羨ましく思う私がつくづく嫌になった。でも、その気持ちに素直になれない私は上から目線で言った。

「そっか。夢は諦めちゃったのか。もったいないな。ま、でも、おめでとう。ところで、あいつはどうしている?」

「あいつって?」

「忘れちゃったの。私の元カレ。最悪な遊び人」

「先輩はどうして遊び人と言うんですか?」

「だって、私が将来的に結婚をしないか? と言ったら、嫉妬か不安か何だか知らないけど、人の気も知らないで他の女と遊んでいる始末。どうしょうもないわ」

「ねえ。先輩っていつまでそんなにバカなのですか。先輩の恋人は嫌われることによって先輩の夢を応援したんです。無骨な上州人ってやつですかね」

 バカだな、私……。涙が出そうになった。

 私は後輩の結婚報告の電話に涙は似合わない、と慌てて後輩の婚約者に水を向けた。

「ねえ。ところで、いつの間にそんな良い人ができたの。お相手はどんな人?」

「群大病院の医療関係者で性格は穏やかです。食事はお肉が好きでデートは気さくで飾らず匠親方、ロム、モア、リバー、等々で庶民的」

「ねえ、今のお店ほとんどわからないや。変わったんだね。行きたいな前橋」

「先輩、来てくださいよ。結婚式の招待状を送らせてください」

 躊躇うことは何もなかった。


 集合場所は後輩のアパートが近隣にあるセブンイレブン前橋広瀬一丁目店だった。相変わらず前橋のコンビニの駐車場に狭苦しくない暮らしやすさを感じた。

私たちは再会を記念して魚伸でお寿司を食べた。その後、大きな日本独特の形状をした松が生い茂る古来の墓である前方後方墳の八幡山古墳の周囲を散策した。

 後輩は広瀬川を見ながらどういう家庭を築き上げたいかを嬉しそうに語った。私は喜ばなくてはいけないけれども、もういいわごちそうさまという気分だった。

 ラーメンというのぼり旗が立っていた。私がのぼり旗を見つめていることに気付いたのだろうか。後輩はとりじと看板が書かれたお店へ向かって歩き始めた。

「はしごしますか?」

 後輩は夜でもないのに言った。

「ねえ。あいつ結婚しているの?」

「さあ。でも、先輩が期待している方だと思います。あの方は常に先輩が好きですから」

 後輩は笑いながら麺をズズズー、とすすった。音を出し、ラーメンをすする日本文化。私はこの文化が大好きだと思った。


 翌日、私は式場であいつと再会した。

 私は情けないと思いながら言った。

「ありがとう。あなたのおかげでパイロットになれたわ」

「その話を聞けて嬉しいよ。おかげ様で俺も教員免許を取れたよ。色々考えて来年から台湾の日本人学校で働くことにした」

 私は言った。

「もう一度付き合えませんか?」

「いや、結婚しよう。もう離れたくない。二人なら幸せになれる」

 披露宴を終え、思い出の商店街を二人で歩いた。百年商店街。温もりのあるお店。所々にある芸術のモニュメント。全てが愛おしく心が満たされた。


③西暦2024年(三十一歳)

 一月一日能登半島地震が発生した。それに対し台湾外務省は4日、能登半島地震の被災地支援するため、台湾内外から義援金を受け付けると発表した。台湾当局も6000万円を寄付する(新聞各社報道)


私は夫になったあいつに言った。

「そもそもどうして私があなたを気に成り始めたかわかる?」

「おじいちゃんの病気を治してくれた羽鳥重郎先生の羽鳥という苗字だったからでしょ」

そう。気づかずに私はあいつにこの話を何度もしているのだ。過去からずっと結ばれていたのかもしれない、運命だと思ったあいつと交わした自己紹介が懐かしくなった。

あいつはクスクス笑いながら言った。

「ところで、コロナも落ち着いたから久々に実家に帰りたいんだけど。実家に一泊、街で遊びながら白井屋ホテルでランチ。そして、ちょっと値段が張るけれども、伊香保温泉で一泊」

「良いね。台湾と前橋の友好関係。ずっと私たちの子孫に伝えていけたらいいわ。何度も、何度も足を運び、日本、群馬、前橋を知ろう」

 私はあいつと何度日本を巡ることができるのだろうと思うと胸が高鳴った。


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