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掌編小説【種をまく人】


種をまく人

神宮 みかん

 その年は散々だった。

 子供の中学受験失敗。バリバリ働いていた会社の倒産。自爆事故による車の全損。全く良いことはなかった。

 目標に対する挑戦も相変わらず上手く行かなかった。

 でも、時間は誰に対しても平等にやってくる。時として残酷だけれども、嫌な記憶が薄れるという点ではありがたい。

 私は年末年始決まって山梨県甲府市の実家に帰省する。もちろん、甥っ子や姪っ子へのお年玉、実家へのお産物等々は必須である。

 私は姉妹が三人いて末っ子である。各々が嫁ぎ県外にいる。その為、お年玉は共通だけれども、お土産は異なる。

 二人のお土産は決まっている。神奈川県鎌倉市に住んでいる長女は鳩サブレ、宮城県仙台市に住んでいる次女はかまぼこ。

 では、群馬県前橋市に嫁いだ私のお産物は? と訊かれると、群馬のお土産? 前橋のお土産? 何が有名なのと戸惑ってしまう。

 姉二人のお土産を渡す時のお定まりの言葉。

「代わり映えしないけれども、地元で有名なお土産。どうぞ」

 母は朗らかに言う。私は有名って言葉必要なの、と思いながら耳を澄ます。

「何を言っているの。代わり映えしないから全国的に有名なお菓子じゃない。ありがとう」

 私のお土産に対しても熱い視線が向けられる。

「これ地元のお土産。どうぞ」

「いつも珍しいお土産をありがとう。なんか前橋という場所を想像させるわ。後で頂くわ」

 私が見開いたお産物を一瞥する母。母は例のごとく私のお産物をありきたりのカップラーメンのように壁の傍という定位置に運ぶ。

 姉二人のお土産は大きく胸を張っている。

 何も努力をせず、母が満足するお土産を持ってくる姉二人。しかし、努力に努力をして地元のお土産を探す私。私のお土産に気配りをする母。この違いは一体全体なんなのだろう、と口惜しくなる。

 前橋には牛を主体とした肉匠親方弁当、鳥を主体とした登利平のお弁当。田村屋のみそ漬け、中川漬物のたまり漬け。ローカルフードを範とした焼きまんじゅうマフィン。上州麦豚、及びそのソーセージ等の加工品。自慢したくなる品が沢山ある。

 しかし、前橋市民さえそのお土産を知らない可能性もある。

 そもそもお産物って何? と考える。その品を見れば私たちが住む場所、訪れた場所のイメージがわく商品。極論すれば、その街を布教する経典のようなものだ。

 だって、そのお土産を話の種に贈った側も贈られた側も共通の話題で盛り上がることができるのだから。

 例年のように、姉二人はお土産をネタに母と地元の話をしている。私は蚊帳の外である。そんな私をよそに子ども達の賑わいの中から声がした。

「マラソン大会。一位になったんだぜ」

 たっくんである。母の孫の中でも人一倍元気の良い小学校五年生。

「すごい」

 誇らしげなたっくん。

「毎日、トレーニングしたからな」

 確かに、たっくんは小学校低学年の頃はぶよぶよしていた。でも、日々努力を続けたのだろう。精悍な男子に成長しつつある。

 にわかに近所の美術館にある農民に光を当て描いたフランソワ・ミレー『種をまく人』を思い出した。

 部屋の隅に追いやられた私のお土産。家族の談笑をもたらす私の前にある有名なお土産たち。仮に感情を持っていたならば、既に心が折れているだろう。でも、お土産の作り手は必死に前橋を代表するお土産や手土産を作ろうと折れない心で努力している。

 たかがお土産。されど、その場所を知る大事な品。その品を育てる意義は限りなく大きい。


 私だってそう。私だって……。私の小説で前橋に経済効果をもたらしたい。その為に筆力をあげたい


 除夜の鐘が聞こえ始めた。一年の計は元旦にあり。もう不運な去年は時が連れて行ってくれた。過去は変えられない。でも、未来は作ることができる。

 去年の目標と同じ目標を紙に書きだそう。同じ目標を書き前に進もう。種はきっと育つ。鮮やかな青空の下の地面から顔をだす双葉。想像するだけで、わくわくする。私は自分の胸に手を当てた。

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