ヴィヨンの妻と緑内障
【掌編小説】ヴィヨンの妻と緑内障
神宮 みかん
カーペンターズが歌う。
Rain days, Mondays always get me down.
傘をさしながら駅へ向かう僕はカーペンターズの歌詞を噛み締めながら歩いていた。
「緑内障ですね。毎朝、点眼をしてください」
緑内障という言葉を聞いた時、僕はその病名を詳しく知らなかった。
医師が無味乾燥に緑内障は病状の進行を遅らせる唯一の治療法が点眼ですという短い説明で、私自身が理解できなかった。ただ、傍にいた看護師さんが深刻そうな顔で言った。
「ショックだと思いますが、元気をだしてください」
心配になり尊敬する大先輩に電話をかけた。病名を告げると、先輩は言った。
「そりゃ大変だよ。緑内障は失明へつながる病気なんだ」
先輩の話から初めてそれほど恐ろしい病気であることを知った。
困ったな、と思いながら点眼を開始した。すると、朝の一時間前後しばらく眼がぼやけた。自由を奪われた気がした。
便利だが凶器でもある車に乗るのは危険と判断し、通勤を電車に変更した。
電車通勤に対して不平不満を言う僕に妻が言った。
「電車で勉強して資格でも取ればいいじゃない。朝、テレビばっかり見ているんだから」
溜飲が下がった。
時間を有効に活用して資格でも取ろう。これで俺もエリートの仲間入りだ。勉強をするぞ、と意気込んだ。
電車に乗ると早速エリートと思しき男が車内のど真ん中で一心不乱に英字新聞を読んでいた。さて、見習うかと思い、バックから参考書をだそうとした時だった。
隣の歳若な乙女の声がかすかに聞こえた。
「なんなのあのオッサン。いつも英字新聞を読んで。時たま新聞が逆さまだったりするよね。本当に英語読めるのかな。見せかけだけじゃない」
僕ははたとその男を見た。確かに、英字新聞を読んでいる男は知的に見える。きっと、本人は自分が知的でありエリートだと自己陶酔しているのだろう。でも、本人の思い込みで【迷惑】の一言で片づけられる。
他人のふり見て我がふり直せ、と僕は電車通勤に慣れるまでは参考書を広げるのは止めよう、と鞄にしまった。
僕は食卓で妻に英字新聞事件について話した。
「英字新聞を広げていた人いたんだ。俺には格好よく見えたけど、周囲に迷惑がられていた。考えてみると、俺も迷惑だと思ったよ」
「じゃ、慣れるまで単行本でも読めば。創作の勉強になるわよ」
「さすが、ヴィヨンの妻」
僕は分厚い本を抱え二日間読んだ。すると、どうだろう三日目に入ると右肩が鬼のように痛くなってきた。
本によって右肩に不可がかかり痛いのだということに気づいた。
あー電車、最悪、と思った。
そんな僕の前に老人と見受けられる方が立った。
僕は良い人を装うために、即座に席を立ち言った。
「どうぞお座りください」
老人はありがたくそそくさと座るだろうと思い込んでいた。しかし、その時だった。老人が僕に対して唐突に言った。
「俺はそんな歳じゃない」
僕はまた座り直すわけにもいかずにその場を離れた。
沿線を歩いていると跨線橋が見えた。嬉しくなった。
他人がわからなくなったからだ。
父が教えてくれたことがある。
『変わっているのは素晴らしい。誰が何トンもある物体が空を飛べると思ったのだろう。でも、その発想が飛行機を作り出した。つまり、物事を空想し、その空想をできると思わなければ、全てが終わってしまう』。
三鷹の跨線橋に自分の目の中にある跨線橋を重ねた。脳裏に曖昧に残る太宰の名文を思い出した。
「愛なんて安っぽい言葉を呟くやつは本当の愛を知らない奴だ」
太宰、心中したお前が書くなよ、と僕は可笑しくなった。
僕が妻に跨線橋について話すとそんな一文、太宰の小説にないわよ、と笑った。
妻は言った。
「これ小説にしてみれば」
僕は失笑しながら頷いた。