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小説でこの街を元気にしよう!NO.5【前編 伝えたいことがあるんだ】
1 学生時代(西暦:2013年:二十歳)
あいつとの出会い。それは異国に私という旗を立てたような出会いだった。
世界のホームラン王は台湾人。そのことを知る日本人は少ないかもしれない。でも、私が日本に興味を持ち始めたのは王だった。
私は国際線のパイロットになるという夢を持っていた。その為に英語はもちろんのこと日本語の知識も必要だった。そこで、日本への留学を決めた。
日本の群馬県前橋市への留学の決め手になったのは「おじいちゃんの病気は日本人である羽鳥重郎先生が救ってくれたんだよ」という言葉だった。
西暦2000年、二十歳になった私は群馬大学に二年間の留学を決めた。
日本に着て最も驚いたのは町中華の来々軒で出合ったが焼き餃子だった。
志那(しな)蕎麦(そば)は理解できた。でも、自国では餃子は水餃子で男が家庭で作るというのが定番だけに強いカルチャーショックを覚えた。
あいつは会うやいなやたどたどしい言葉で「你是中国人吗? (中国人ですか?)」 と訊ねた。
私は「不是。我是台湾人。(いいえ台湾人です)」、と焼き餃子と水餃子は全く違うと言わんばかりに答えた。
きっとあいつも中国人と台湾人は違うという強いカルチャーショックを覚えたことだろう。ただ、私はあいつの名前を聞き、挨拶を交わした時、人生において大事な人と出会うことができたと喜んだ。
あいつは私が群馬大学に留学した理由を聞くと、もっと群馬を知ってもらいたい、と伊香保、草津等の温泉地に連れて行ってくれた。伊香保の石段から見る景色、草津の湯畑から立ち上がる湯気。台湾と重なる風景もあり全てが愛おしく思えた。
あいつは地域のお祭りにも参加できるように尽力してくれた。特に「前橋祭り」でだんべー踊りというダンスに参加できたことが新鮮で愉快だった。
〝そうだんべー、そうだんべー〝
叫び、サンバのリズムで激しく鳴子を叩く。ストレスが弾け。あいつが好きだけど留学には期限があるという思いが鳴子の音とともに私の心を叩いた。
寮への帰り道、私はこれ以上優しくされると辛くなるな。でも、これ以上優しくされるとなおさら辛いと思った。
別れ際、あいつは言った。
「良い表情していたね。語彙がないから上手く言えないけど、綺麗だった。もっと君の良い表情がみたい。付き合えないかな?」
嬉しかった。
私はビザが切れたら帰らなくてはいけないことを知りながらも、永遠を誓った。
私たちはあいつが街と呼ぶ前橋中央通り商店街でよく遊んだ。
例えば、地元の豚肉料理のコンペであるT―1グランプリで優勝したお店でのランチ。子供ができたら黒田人形店で知育に良いおもちゃを買って優秀な子どもに育てたいという未来の話。お隣の高崎市と切磋琢磨する話。台湾でも見ることができるスズキストア、モモヤ、ベニフクのレトロな看板の話。
何を話していてもあいつといると自然で不自然なことは一つもなかった。
でも、どうしてだろう帰国の時期が近づくにつれて、夢はあなたのことを好きだという気持ちに勝つことができなくなった。
むしろ、夢を捨て日本に留まりたいと思うようになった。だから、私は言った。
「ねえ。日本で働くから、いつか結婚しない?」
「考えとくよ」
どうしてだろう。中央通りにはテレサ・テンの『♪時の流れに身をまかせ』が流れていた。
翌日だった。あいつがあのポニーテールの目鼻立ちがはっきりした女の子と私が大好きなコムデギャルソンの気高いハートの顔が正面に描かれたペインをマールで歓談しながら選んでいるのを見かけたのは……。
“あの子、誰?“というメールにあいつからの返信はなかった。あいつを許せず信じられなくなった。
ほどなくして私はビザとの兼ね合いもあり帰国を決めた。
帰国前日、私は〝明日、朝五時、アザレア号で前橋を立ちます。最後に会えませんか?“と、メールをうった。
交際が決まったあの日の止むことはないメールの応酬を思い出した。根拠はないが私はあいつが見送りに来てくれると信じていた。
四時半の駅はまだ暗くお産物売り場である前橋物産館のシャッターは降りていた。だが、表に前橋のデパートのスズランで催される大群馬店についてのハガキが置かれていた。
私の大好きな親方焼肉弁当、中川漬物、焼きまんじゅうマフィン等の販売があるとのことだった。
四時五十八分になっていま一度私は周囲をくまなく見まわした。あいつの姿はなかった。
私はまるで前橋駅に永久の別れを言うように呟いた。
「さよなら大好きなみなさん」
たまらなく愛おしい時間があふれ出す涙に変わり嗚咽に変わった。
でも、ここだけは話しておきたい。
日本が大好きだった。前橋が大好きだった。あいつが大好きだった。そのことに決して嘘偽りはない。
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