君の膵臓をたべたいを読んで

 私はまだ話したことのないあなたのご主人を知りたいと思い本書を読んだ。
 桜が散る背景の中で読書をする男の子、川を見つめる女の子が描かれる単行本のカバー。私はお二人の青春の思い出なのかなと思いページを開いた。
 まず、『君の膵臓をたべたい』という題名を見た時どうして『たべたい』が『食べたい』と書かれていないのだろうと首を傾げた。
 読後、その理由がわかった。そう。食べたいという「食」という漢字がこの話が描こうとしている青春に相応しくないからである。言い換えれば、そのたべたい膵臓が果てしなく切なくもあるが、その忌み嫌う膵臓が大事な人に出会わせてくれた膵臓であるからである。
 何度も作中で繰り返されるが、私たちの一生において選択から運命が成り立つという考えは同感である。選択が正しいかどうかなんて極論すればわからない。わからないから面白い。ただ、わかることは選択した過去は決して変わることはないという事実だけである。
 でも、僕が選択をして読んだ『君の膵臓をたべたい』は私にとって大事なものを大事と言う勇気をくれた。
 再考に値しない最高の選択だった。この本を紹介してくれてありがとう。
 いつか君のご主人と膵臓の話をできればと思う。応援しています。では、
追記
 読むのが遅くなって申し訳ない
 

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