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「健康でいなさい」
中学時代は、良いことも嫌なことも沢山あったと思う。自分の意志なく行動し、行動させられていた。自分で主体的に考えるということが分からず、したがって何が自分にとって最善の選択か、情熱を持って行動するとはどんな感覚なのかが全く分からなかった。
とりあえず高校受験を控えていたので、ほぼ毎日塾に行って勉強していた。それ以外は友達と遊ぶことが楽しく、学校や放課後にスポーツやゲームをして過ごしていた。中学生は勉強をすることが当然と思っていたし、それ以外にやることはないと思っていた。友達との関りも、周囲がそうしていることから「無意識」にそれを楽しいと感じていた。現在のように、個人的に興味のあることに向き合い、選択し、行動する楽しさとは全く異質な楽しさである。
典型的な社会の洗脳を受けていたのだろう。「そういうものだ」と思い込み、勉強に励み、無意識に仲間と戯れていた。中学校の意味不明な校則に従い、成績と言う名の数字をただ追わされていた。人生の意味なんか考えたこともない。逆に何も考えていなかったから、異常なく過ごせていただろう。今思えば、真の楽しさや充実さとはかけ離れた毎日であった。
そんな言われるがまま、皆がやることを選択する毎日だったため、中学時代の記憶はあまりない。しかし、一つだけ鮮明に覚えていることがある。中学2年で転校する際、校長から言われた言葉である。
理由はよくわからないが、その中学校では転校する際、学校に来る最後の日に校長と校長室で話をする機会を設けられる。校長先生とは、それまで言葉を交わしたこともなければ、目にする機会さえほとんどない。毎週月曜日の朝礼で、全校生徒の前で挨拶をする姿を遠目で眺め、早く終わらないものかと毎回思っていた。
だから話すことなど何もなかった。現にその会話以外に何を話したのかは全く覚えていない。しかし、その言葉は、非常に真っ当な内容であったと思う。我々が幸せな生活を育んでいく上で、絶対に必要な条件であるだからだ。
「健康でいなさい」
具体的にどのような話の流れで、その言葉を口にされたかは記憶がない。しかし、身体に気を付けて健康でいることの大切さを話されていたことはしっかりと覚えている。健康でいなければ、何もすることができないことを教わった。
これまでの学校教育で様々なことを教わったが、これ以上の教えがあるだろうか。「健康でいる」ことは純粋に身体を壊さないように生活することと捉えられるが、そこには多様な解釈がある。
身体の不調は何から起こるののだろう。食べるものなのか、睡眠時間なのか、ストレスなのか。身体と精神は常に何かしらのメッセージを発している。その声に耳を傾け、無理をしないことが「健康でいる」ための条件である。
色々あったであろう中学時代、ほとんどの出来事は覚えていないが、この言葉だけはいつまでも心に残るだろう。
2021年8月21日