思考の赴くままに⑤:その時その時の気持ちにしたがって生きる
“No pain, no gain.”という言葉がある。「痛みなくしては何も得られない」という意味だが、この考え方は社会に広く浸透している。なぜだろうか。
過去の自分もそう考えていた。より大きなものを得るには、日々努力して、頑張って生きていかなくてはならない。「努力する」という言葉には、マイナスな響きがある。無理のあることを乗り越えていくことを「努力」や「頑張る」と表現する。
“No pain, no gain.”という考え方を受け入れた状態で生きていると、軽いフットワークで人生を歩んでいくとができない。痛みを伴って得たものに固い執着心が芽生える。過去に得たものを手放し、新しい選択をすることを躊躇してしまう。
人生で本当に大切にするべきもの、幸せや豊かさといったものは人それぞれだが、それを考慮したときに、「痛みなくしては何も得られない」という考え方はどのように捉えられるだろうか。重い痛みを背負った先に得られたものには、本当に価値があるのだろうか。
価値がある場合もあるだろう。しかし、人生は結果よりもプロセスを大切にした方が、豊かさへの視点を失うことなく”今”を生きていける。結果として「得られたもの」とは、多くの場合、社会制度によって成り立っている。社会制度は、人々のものの見方によって支えられているが、それは時代によって簡単に変化し得る。
本質的な人生の豊かさや人生で大切なものとは、時代が変化しようとも決して変わることのない、揺るぎないものであるはずだ。内容は人によって異なるだろうが、前向きな感情がそこに現れていることは共通しているだろう。
“痛み”という言葉は大袈裟に思えるが、”犠牲”という言葉には馴染みがある。何かに時間を割くということは、その時間を別のものに費やした場合に得られるものが犠牲になっているわけだ。いわゆる「機会費用」と同様の考え方だ。
そこでは、自分がどのような優先順位のもと選択をするかという問題に直面する。我々は優先度の高い事柄に時間を割いていく。何を優先度の基準とするかはこれまた多様ではあるが、人生を豊かにするという視点においては、毎瞬行動したいと思う気持ちが一つの指標となる。
その気持ちに従って物事を選択すると、長期的には、やるべきことが優先度の高い順番で成されていることに気づくだろう。「私は、結局はこれに人生を割くことになるんだな」と未来を予感することも、過去を振り返って、そのように思うこともあるだろう。
そこに、"犠牲"という感覚はない。なぜなら、人生で最も価値のあるものとは、やりたいことを行っていた時間であるからだ。
自分が何か行動を起こしているときに、そこに"痛み"や"犠牲"といった感情が生じているのであれば、やがて心身ともに疲労してしまう。社会制度上の目的を達成するためであろうが、そうではなく純粋にプロセスを楽しむためであろうが、行動の源泉が単純で前向きな感情であれば、そこに精神的な疲労感はないはずだ。
毎瞬、"今"を純粋な気持ちで生きていることが、最もラクで楽しい人生なのである。
2022年3月13日