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全ての事象は「象徴」に過ぎない

人生を楽しく生きようと心掛けたとき、出来るだけ自分の好きなものや興味のあるものに接する時間を増やそうとする。しかし、社会で生きていくには興味のないものに関しても考えなくてはならない。無関心なものに対して積極的に考えようと努力することは、なかなかやる気が起こらないだろう。ところが、全ての事象は「象徴(シンボル)」であり、自分の人生を豊かにする選択肢の一つとして捉えることができると、前向きな思考と感情を興味のないことにも積極的に向けられるようになる。

例えば、かつての僕にとって政治について考えることは、興味のないことであった。社会について考え、行動する手段の一つとして、政治への参加があるわけだが、若者の投票率が低いことはしばしば問題視される。国民として政治への参画の機会が与えられており、若者であっても国の行く末に対して主張をすることができる。

そうは言うものの「投票」という行為そのものには面白味がないと思っている人は多いだろう。確かにそれを行うことで、実質的に何かを得られるわけではない。しかし、自分の思考と感情を、より豊かな未来に向けるという点において、投票は良い機会であるように思う。前提として、自分の人生を幸せに、そして社会を豊かにしたいと純粋に思うことができなければ、望む未来は訪れない。投票は、そのような前向きな思考と感情を選択するための「きっかけ」になり得る。

上記における「投票」とは、物理的な投票の側面を含んでいるものの、明るい未来に焦点を当てた自分の選択を表現するもの、すなわち「象徴」であると言える(※この場合は「許可証」という表現が妥当かもしれない)。自分が何かを選択する上で「きっかけ」となるものだ。イメージ(思考と感情)の実現を促進させるためのツールであり、そのような物理的なものを利用することで、実際の行動に結びつく。結果、具現化されるタイミングが早まる。

「象徴」とは自分の思考と感情をのせるもの、物事を実現させるツールとなるもの、すなわち「許可証」としての役割を担う一方で、自分の内面を見つめるきっかけにも成り得る。"内側"から"外側"へ意識を発することに加え、"外側"から"内側"へ意識を向けることの機会や手段となる。

実際には全ての事象は「象徴」である。人はある事象を、あるがままに認識してはいない。それに対して生じた自分の感情を通して、物事を認識する。そのような観点では、この世界で起こる全ての事象は「象徴」であると言える。

人は数多くの「象徴」を通して、自分の思考と感情に気付くことができる。そして、前向きな思考と感情を選択し、意図することができる。外側に広がる世界と内側に広がる世界、その両方を行き来することで、人は永遠に成長することができる。

2022年8月9日

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