見出し画像

多拠点生活の末、東京から奈良・吉野町に移住した話 その1

これは、移住の「い」の字も全く考えずに始めた多拠点生活の末、縁あって空き家を購入し、2022年4月に東京から奈良県・吉野町に地方移住することになった、40代独身男性の私のお話。
 
本稿は、移住後、筆者自身がこの先の人生を考えるにあたって、一旦、ここまでの振り返りをしてみようと思って書き出した記事です。
※なお、後半「その2」では、移住後半年を経ての思うこと考えたことを整理してみたいと思ってます。


はじめに(自己紹介をかねて)

筆者は、移住の前も後も東京のIT系企業勤務で、人財・教育系のビジネスデザイン(事業開発)を生業にしています。2020年のパンデミック騒動の初期、勤務スタイルが在宅フルリモートワークに移行したことがきっかけとなり、結果として2年後の2022年に地方移住に至りました。

現在も、仕事は相変わらず同じ会社で同じ業務。いわゆる「転職せずに移住」のケースですね。幸いにして、全国どこに居住して勤務していてもOKな制度の適用を受けまして、移住先にて引き続き勤務を続けています。最近の調査でも、こうした移住形態は増えているようですね。

移住者の53.4%が転職はしておらず、60%弱が移住に伴う収入変化はなかったと回答
⇒ 従来、移住には転職が伴うと考えられ、地方圏には適した仕事がないことが課題視されてきた感がある。 働き方の選択肢が増える中、 “転職なき移住”が主流となっていることが示唆された

パーソル総合研究所
「就業者の地方移住に関する調査報告書 ~移住意思決定に影響を与える要因構造の可視化の試み~」
https://rc.persol-group.co.jp/thinktank/assets/migration-to-rural-areas.pdf
(最終閲覧日:2022.8.10)


ただ、ま、移住といっても、東京の賃借アパートは契約したままで、実際のところは月の1/4〜1/2は東京に戻るという、いわば2拠点生活をしています(多拠点居住型移住)。

…。
冒頭書いたとおり、本稿は、移住後、筆者自身がこの先の人生を考えるにあたって、一旦、ここまでの2年間の振り返りをしてみようと思って書き出した記事です。
背景には、最近立て続けに、私自身の移住に関するインタビュを受ける機会が何度かあったのですが、考えがあまり整理しきれていなかったというのもあって、改めて一度自身で深掘りして文字に起こしてみようと思った、という理由があります(インタビュ戴いた方々、整理しきれていないにもかかわらず、意を汲んで素敵な記事をまとめていただきありがとうございました🙏)。

そして、同時に密かに、同じ様に独身な方々の今後のライフデザイン、もしくは地方移住を考えている方のご参考になれば嬉しいな、と思っていたりもします(が、私のケースはニッチで特殊な気もするので、参考になる部分は少ないかもしれないなぁ…と思いつつ。まぁ、こんな生き方もあるんだ、という程度に読み物として楽しんでいただければ幸いです)。


今の生活スタイルのご紹介

空き家だった一軒家を購入し、仲間とともにDIYした自室

前項で触れたとおり、現在は東京と吉野町の2拠点生活をしています。割合的には、1対3で、吉野での生活がメインとなっている感じですね。
吉野では、仕事はフルリモートで勤務しており、平日昼間は基本的には自宅の自室で勤務しています。一方、東京に出掛ける際は、たいてい勤め先に用事があるときなので出社したり、東京の自宅でリモート勤務したりする感じです。

なお、吉野町では、この4月にオサレなコワーキング施設がオープンしており、自宅から徒歩数分の距離にあるもんで、自室で集中力が途切れた場合には、こちらに移動して仕事をしたりもしています。オススメ。


…とはいいつつ、2022年4月に移住後、吉野の自宅での生活が本格的にスタートしたのは、実は7月に入ってからだったりします。というのも、実は、購入した一軒家の空き家はそのままでは住めるような状態にはなく、ある程度のリフォームが必要だったのでした…。

室内解体工事前の空き家内部

空き家を購入したのは2022年1月末。その後、2月頃からDIYリフォームに明け暮れる日々を送り、その間は近所のゲストハウスに滞在。住民票を東京から移したのは4月なものの、平日はゲストハウスでリモートワークしつつ、平日夕方や休日にDIYするという生活を送っていたのでした。

そうして7月初旬。ようやくいったん住める程度までのリフォームが終わり、居住を開始できたというわけ。そして、いろいろ生活が落ちついてきたのが、この記事をアップする10月という次第。

なお、詳細はあとで書きますが、この空き家は私名義で購入してはいるものの、私の他に2人の合計3名でDIYしており、現在はシェアハウスとして共同生活しています。


そもそものきっかけは、多拠点生活をはじめたこと

さて、それでは、移住に至る最初のきっかけを振り返ってみる。

2020年の東京の春は、サクラの時期に雪が降っていた…

冒頭で触れましたが、2020年春、パンデミック騒動の直後から、勤め先の勤務制度が変更になり、自宅からのフルリモートワーク形態に移行しました。
もともとは、平日は毎朝5時に起き、座りたいという理由だけで始発に近い普通電車に乗車して、1時間の通勤時間を経て都内の会社に出社していました。帰宅は早くて夜21時頃という毎日(酷いときは終電という日々も有ったなぁ・・・)。外出も多い業務だったので、万歩計は毎日10000歩を下ることはなかったですね。

それが、リモートワークに移行してからというもの、終日自宅に籠もって業務が完結してしまうという毎日
もともとは、チームプレイよりも独りでコツコツ何かに取り組むのが好きなタイプだったので、個人的にリモートワーク形態は万歳三唱なベストワークスタイルでした。なにしろ、通勤時間がなくなるという事実は、それまでの固定観念を覆すような、まるでコロンブスの卵的なワークスタイルの大転換。自炊を始め、毎朝筋トレするようになるなど、生活にかなりの潤いをもたらしました 笑

緊急事態宣言下、リアルなコミュニケーションが取りにくいことから、世間的には精神的に落ち込んでしまうような弊害もメディア上では多く指摘されていましたが、私の場合、長い独身生活ゆえの慣れなのか、返って精神的にも安定した生活を送れていたのでした。

長い独身生活の中で、初めて、きちんとした献立の自炊を始めた

でも、しかし、そんな生活も1年が限界でした 笑
もともと、プライベートでは暇さえ有れば、独りでいろいろな場所に出掛けてしまう性格。1つところにジッとしていられないタイプの人間だったのです。

そんなあるとき、2020年12月末頃。勤め先同僚らとのオンライン飲み会で、多拠点コリビングサービス「ADDress」の存在を知ったのでした。毎月定額で、全国数百箇所の拠点に宿泊できるサブスクサービス。
ちょうどあの頃は、「風の時代」というワードが、俄にビジネスマンの間でもはやり始めていたタイミング。これからの時代は、1つの場所にとどまらず、風のように様々な場所を求め移動していくような生き方が主流になる、といった話題の中で、当該サービスの名前が出てきたのでした。

私は、いわゆるスピリチュアル的な会話も好きなタイプだったので、風の時代の文脈から、「自分もそういうサービス使ってみたいなぁ」と思い始め、色々調べる内に面白そうだと思って使い始めることにしたのでした。
ちょうど、刺激のない単調なフル在宅勤務にも飽きが来ていましたし、もともと同僚も東京だけではなく、九州やインドに居てたので、「そもそもオンラインでしか繋がっていないなら、自分も東京に居る必要なくない?」と思い至りました。

そして当時、「ワーケーション」なる言葉が広く一般的に認識され始めた頃だった様にも記憶していて、自分もワーケーションライフを送ってみたいと考えたのも理由の1つでした。緊急事態宣言が幾度となく続き、1年間の自宅軟禁生活を経て、変わり映えのない日常に"変化"のマジックスパイスを振りかけてみようかと思ったのでした。

狂気とは即ち、同じことを繰り返し行い、違う結果を期待すること

アルベルト・アインシュタインかも

アインシュタインが言ったとかで、自己啓発的セミナーなんかでよく耳にする上記のような名言もありますが、パンデミックが収束した後のニューノーマルな世の中を見据え、従来の価値観や働き方とは異なる新しい世界を一足先に経験しておくのは無駄ではないように、当時の自分は考えたのでした。

当時の自分のこのノリと決断の早さは、今から思えば、抱きしめ褒めてあげたいくらいに、素晴らしい決断をしたと自画自賛しています 笑

こうして、2021年3月、件のサービスを利用し始めました。


多拠点ライフ、最初の拠点が吉野でした

実は、「ADDress」を契約して、最初に出掛けた土地が吉野の拠点でした。

ADDress拠点・吉野A邸。
ここが、移住に至る はじまりの場所…

吉野を選んだ決め手は、もちろん桜。
最初の行き先を決めるにあたっては、私自身が北海道出身で、学生時代も就職も東京だったことから、殆ど縁のなかった西日本に行ってみようということだけは、最初から心に決めていました。そんな中、ちょうど時期が2021年3月中旬だったもんで、「3月と言えばサクラじゃん?」という単純な理由から、桜で有名な吉野を選択することになったのでした。

(※註:実際のところ、桜の名勝地として名を馳せる吉野山の観桜期は、標高が高い故に毎年4月だったことを現地に行くまで知らず。…結果として満開の桜は拝めず、翌2022年の春までお預けとなったのでした。)

…ところで、ここまで、最初の地の選択を熱く語っているには、理由がありまして。今にして思えば、最初にこの吉野拠点を選んでいなかったら、ひょっとすると、今、移住にまでは至っていなかったかもしれないと思うから。
いや、たぶん、ホントにリアルで。タイミングと縁は非常に大事だと思います。

21年3月中旬。吉野山は1〜2分咲きでも、近所のお寺で桜を拝むことが出来ました

…ということで、少し長くなってしまったので、その辺りの理由も含めて、続きは「その2」をご覧ください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?