待ってるね
1月12日、高校時代の友達から連絡があった。
その友達とは2年ほど会っておらず、最後に会ってから連絡もしていなかった。彼は高校を卒業してから美容系の専門学校に通い、今は美容院でスタッフとして働いている。今回の連絡はカットモデルの依頼だった。美容系で働いている人は、友達にカットモデルを依頼することはあたり前のようにあるだろう。しかし彼は大阪、私は東京に現在住んでいる。なので、今回は断った。
ついでに”あれからの事”を話した。私が今、人生二度目の大学受験をしている。そしてまた帰るからその時は飲みにでも行こう、と送った。彼からの返信は、
「待ってるね」
それだけだった。なのに、涙が出た。
彼との高校時代で、鮮明な思い出はあまりない。だけど、クラス内ではいつも一緒に喋っていた。私は自分から喋ることはあまりしない。と言うよりできない。口下手だ。だが、彼もそうだった。なぜ、そんな二人が喋れていたのか、今では不思議に思う。
大学に入学して入ったサークルの先輩が、偶然彼と一緒のバイト先だった事があり、彼の現状を伝えてくれた。その時に、
「しょうたの事、高校で唯一の友達って言ってたよ」
そう教えてくれた。その時は高校の卒業式以来会ってもいないし、連絡も取っていなかった。
今回の件だってそうだ。いつも連絡を取っているわけでもなければ、会うわけでもなく、ましてや常に思っているわけでもない。だが、彼の中で私は存在していて、私の中で彼は存在している。
言わなくてもそんなの当たり前だろう。
その通りだ。
だが、どうだろう。それが本当に当たり前なのか。
特定の人とのコミュニケーションが簡単に叶ってしまう現代、常に大切な人と連絡できる環境になった。発展とともに、新しい常識も増えた。だが、それは目に見える範囲だけを大切だと捉えるようになってしまったという事になる。もっとあるはずだろ。現在でなくても、過去にいくつも。
そんな中で彼は私に教えてくれた。彼の中で私との時間がまだ流れている事を。
二年前と比べて、二人とも大きく変わったし、住む場所も違うようになってしまった。私としても絵を描ける毎日がくるなんて想像もしていなかった。過去から現在、教室での二人の会話はまだ続いている。
だが、気付いていなかった。自分の現在の”普通”が過去からしてみればどれだけ特別だったかを。
何気なく送られてきた今回の言葉、
「待ってるね」
、この言葉は私がどこかに向かっている事を改めて教えてくれた。
今の生活の喜びを教えてくれた。本当に単純な言葉だったが、今の私にとっては、暗くなった部屋の電球を交換してくれるような言葉だった。
その言葉に対して心のこもった返事はできていない。
彼がSNSを全く見ない人だからこそ、ここで伝えておこう。
「ありがとう」
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