REBOOST 命をかけて、あなたのために。
1|幼少期〜中学
世界中を太く強く羽ばたいてほしい。
そんな想いを込めて19歳の両親の元に生まれた。
もしかしたら望まない命だったかもしれない、
しかし両親は全力の愛情を注いで私を育ててくれた。
特に母親は、
「やれば何でもできるよ」
そう言って私を育てた。
しかし、歳を重ねる度に両親の仲は悪くなり、
家に帰るとお互いの雰囲気を察して行動するようになった。
それから人の表情の変化に敏感になり、雰囲気作りばかりしていた。
みんな仲良く、怒らないでって。
本当の私でいさせてくれた環境が学校、そして野球だった。
特に野球をしている時は、仲間とがむしゃらに目標に向かって練習する日々に何の迷いも無く熱中していた。
リーダーになりたがる私は、中学校で生徒会長、野球部キャプテン、修学旅行実行委員長などあらゆるイベントでトップを担った。
ただ、中学3年生の時に初めて「仲間外れ」の経験をした。
修学旅行の時に一緒に行動してくれる仲間が急に避け始めた。
仲間がいないことがこんなに辛いのか。
初めて学校で恐怖を感じた。
その頃、両親の喧嘩はエスカレートし、
遂には母親が私と妹を連れて家を出た。
小さな事だけど、
公園にいる家族のような平凡な愛を欲している自分に気づいた。
一方で野球は、「全国制覇!」というデカい目標を掲げて絶対に妥協しない練習を繰り返し、それについて来れない仲間には怒鳴り、殴り、、、、、同級生及び後輩から怖がられる存在だった。
チームとしては弱小と言われながらも優勝候補を破る番狂わせをし、県大会にも出場。個人としては、選抜チームにも選ばれ、そこでもキャプテンに任命され、東北大会優勝を経験をした。
その後、高校受験のシーズンになり、第一志望は市内で1番の進学校を目指し、塾にこもって勉強。25キロ太り、制服が着れなくなった。塾も毎日通っていたが、そこで心の支えになったのは塾で一緒に勉強する仲間だ。
目標を持つ仲間に囲まれると安心して自分らしく生きれる自分に気づいてきた。
中学受験は模擬試験の結果を見て第一志望校は断念。
野球環境を考えて第三志望の高校へ出願し合格した。
その時の点数は第一志望の合格基準を上回っていた。
挑戦せずにレベルを下げた自分を今でも悔やんでいる。
2|高校
高校でも野球一筋。
キャプテンを任せてもらい、創部発となるタイトルを獲得するなど仲間と一緒に掴んだ実績ではあるが、常に仲間の行動を監視し、チームの方向性に合っていない行動を取る仲間を信用していなかった。
それが明らかになったのが、
野球部同期の結婚式で言われた一言。
「初めて、阿部と話せた気がするわ」
仲間だと思って毎日練習していたショックを受けた。
本気で甲子園を目指していた仲間の話さえ聞いていなかったんだと。
本当に悔しく、今でも心の中に残ってる。
3|大学
志望校だった国立大学には不合格。
「中学校の教員になって子ども達の成長に関わりたい」と教育学部を目指し、第三志望の桜美林大学の体育教員免許が取得できる学部へ進学。野球は大学まで続ける意志を持っていたので周りの仲間に遅れて1番最後に入部をした。同級生が既にリーグ戦に出場している中、私はさっきグラウンドに入ったばかり、、、、初めて底辺にいる気がした。
野球部の中には甲子園に出場した選手、有名校の主力メンバーが揃って練習をしていて、地方の無名校から入部した私は自分の居場所を作るのに必死だったのを覚えている。もちろん、有名校の仲間達の輪には入れず、比較的遅めに入部した即戦力では無いメンバーと一緒にサブグラウンドで練習する日々からスタート。
野球部の中には、いろんなメンバーがいた。
有名校で甲子園に出て将来を期待されていた選手。同級生だが僕にとっては憧れの存在だ。だが、タバコ、酒、遊びで大学自体やめてしまった。そんな選手は1人だけではない、先輩、後輩含めたくさんいた。
「最高な未来を掴める可能性をもているのに、なんで?」
僕が持っていない最高の輝きを持つ仲間が廃れていく姿が、本当に悔しくて、、、、野球の実力も無いのにしつこく説得した時もあった。
その時から、
「仲間や大切な人の本来の力を引き出したい」
あなたはそんなもんじゃないよって、
もっとできるよって背中を思いっきり押したくなる機会が増えた。
桜美林大学では、4年生でようやくレギュラーを掴み、創部初となる1部昇格に貢献できた。
4|ブライダル業界へ
その後、チームで人々の心動かす仕事がしたいとブライダル業界に就職。
1年目からキャプテンを務めさせて頂き、1つの結婚式を創り上げるために様々な業界の人たちと毎週末の結婚式を創り上げる事に必死になった。
また、8割が女性の職場で野球によって培われた猛獣のような攻撃的な性格が徐々に柔軟になり、結婚式を迎える新郎新婦の背景をチームでとにかく掘り下げ、心の底から感動してもらえるオリジナルな結婚式を目指した。
そんな中、2年目を迎えた時に病気を患っていた祖父母が他界。
同時に一通の手紙が私の元に届いた。
「1日、1日、大切にね」
その一言だけが書いてあった。
死を目前にした人の言葉はここまで心に響くのか、
私の心を突き抜き、無力感さえ感じてしまった。
「何もできなかった」
若い両親のもとで育った私は、
どこに行くにも祖父母が一緒だった。
その祖父母が残した言葉に背く生き方はしたくない。
そう決めて、ヒントを探しにとにかく本屋さんに通った。
「本当にやりたい事とは」
「1日1日、心から大切にできる生き方とは」
頼るのが本の中にいる登場人物しかいなかった。
むしろ、過酷な人生を歩んでいる主人公に私を照らし合わせた時、
自分はもっとやれる、やりたい事があると思い出してきた。
その中に、「海外に行ってみたい」という言葉が浮かんだ。
幼少期から自分の生まれた環境を理由に、周りの仲間が話す家族の話題が本当に羨ましく聞こえて、その中でも海外旅行に行った仲間は別の世界の人間に見えて、悔しさよりも虚しさが上回った。
「どうせ、俺には無理、俺にはお金が無い、環境が無い」
そんな言い訳にしていた事を思い出した。
行くなら、今しかない。
そんな思いで海外へ行く術を探していたら絶望。
全ての案件が、当時の自分には無理だったからだ。
英語力、費用、貯金など、、、、無理だ。
そんな風に思って探すのを辞めようとしていた時に、JICA海外協力隊募集という電車の中の広告を発見した。
「いつか世界を変える力になる」
シンプルに感動しやすい僕は、この言葉に胸を突き抜かれ、受験を決めた。
まさかの野球の経験が使え、貯金は不要、むしろお金が貯まる、そして英語力も英検3級で受験できるという仕組みでこの方法しか海外に行くことができないと思った。
5|中米ニカラグアへ移住
この経験が私の人生を変えたと思う。
初めての海外がニカラグア。
私はニカラグアでJICA海外協力隊として2年間、
子供たちに野球指導を通して青少年の育成に関わる事が決まった。
ニカラグアでは本当にかけがえのない経験をする。
その中でも1番心に残っているのが、
13歳の少女ミッチェルの存在。
「女の子だけど、野球やりたいの」
弟の引率で野球の練習に来ていた彼女だったが、自分も本当は野球をやりたかった。しかし、「野球は男子のスポーツ」という現地の見えないルールがあり、女子はソフトボールしかできなかった。
そんなミッチェル13歳の想いや可能性を何とか開花させたいと思い、現地で女子に野球指導を始めた。しかし、現実は上手くいかなかった。
「犯罪者!」
「娘を騙すな!」
「女が野球をやっても意味が無い!」
現地の人たちからそんな言葉を浴びせられ、しまいには瓶まで投げつけられた事もあった。そんな状況でも目の前の少女たちが持つ希望や可能性、そして夢を絶対に叶えさせてあげたいとあらゆる手段を使って継続した。
その結果、1人から始まったニカラグア女子野球は全国400名15チームにまで拡大し、1年後にはニカラグア初となる全国大会を開催することができた。
その後、2018年、2023年とニカラグア女子野球選手を日本に誘致し、日本の様々な野球チームとの交流を通してニカラグア女子野球の発展と日本の女子野球選手の世界へ挑戦する志を育てる企画を実施している。
このようなプロジェクトを実施するために、クラウドファンディング2回、企業協賛約100社と多大なるご支援を受けて実施する中で周りからの期待は膨らみ、「女子野球界を発展させてくれる人、阿部翔太」という仮面が出来上がった。
6|挫折
女子野球の阿部翔太となってから、色んな方々と出会う中で野球の発展に貢献している経営者の方に出会い、その人の会社に就職を決めた。何をやるのか考えもせず、この人とならと思って飛び込んだ結果、何も知らない保険営業。
自分の人生のビジョンも何も持たずに飛び込んだ世界は甘くなかった。保険という人生を変えるほどの大切な商品を大切な人に紹介している自分が違う自分のように感じて、「なんで保険やってるの?」そんな事を毎日もう1人の自分が自分に問いかけている気がして、、、最初は良かったものの、徐々に成績不振に陥り、終いには隣に座る事務のおばさんの質問に答えるのが本当に怖くてプレッシャーがかかると吃音の症状が現れるようになった。
阿部翔太が完全に壊れた瞬間だった。
それだけではない、心を崩すと体にも変化が現れ、体重が20キロ太り約100キロ体脂肪35%までのデブになった。そして、椎間板ヘルニアを発症し出社できなくなった。
何のために生きているのか、
何のために働いているのか、
阿部翔太が誰なのか全くわからなくなった。
追い討ちをかけるように信頼している人からの詐欺にもあった。
立ち上がりたくて、心理カウンセラーの元へ通い徐々に回復した。
カウンセラーと話す中で、一度環境を変えないと治らないから思い切って転職しましょうと提案があり、今の自分が本当の阿部翔太だと信じたくないし、このまま人生終わりたくないって次の道も決まっていない中で退職願いを出した。
デブ、吃音、無職になった時にふと思った事がある。
それは、ニカラグアでの2年間で見てきたニカラグアの人たちの笑顔。
貧しい環境で生活しているにも関わらず自分に誇りを持って毎日楽しく過ごしている人たち、そんな人たちに僕は自信を持たせてもらっていた。
そして、当時一緒に女子野球の普及をしていたダナが言っていた言葉を思い出した。彼女の周りでは、小さな頃から生活することができず出稼ぎに行くのが当たり前の地域だ。生まれた時から決まっている。だからこそ、言う。
”翔太は日本人として生まれたんだから何でもできるよ”
Tu puedes realizar todo lo que quieras ya que naciste en japón.
遥かに恵まれた環境に生まれたのに、
自分らしくいる事も、幸せを感じることもできていない。
仕事やりたくね〜
野球ダルいけどやるしかね〜
仕事はお金をもらうためだけ
そんな仲間の話を聞いているうちに、僕もその1人だと気付いた。
何をニカラグアで学び、進化したのか。
本当に悔しかった。
そこで出会ったのがAKIOブログ。
毎日めちゃくちゃ挑戦して楽しそう。
この姿だよ、俺が求めているのは。
部活をやっていた時と同じように仕事もやる。
チームで目標に向かって自分を試し続ける。
僕は画面にいる同世代のAKIOブログから復活のエネルギーをもらっていた。
そして、GOAL-Bの皆さんのように俺も阿部翔太本来の力を世の中のために使い切るんだと決心し、コーチングを申し込んだ。
7|第3章へ 決意
転職先を決めずに辞めた私。
ただ、心の中にずっとずっと秘めていた想い。
やりたいけど、やれない、私には無理、、、、、そんな一歩踏み出せない人のきっかけを創りたい。そんな人たちの起爆剤になりたい。そして、関わる人たちが自分の好きに、自由に生きる人たちでいっぱいにしたい。
「やればできる、あなたには可能性があるって」
私の母親がいつも私にかけていた言葉だ。
母親も自分に言い聞かせていたのかもしれない。
どんな環境、状況であっても可能性を信じて生きろって。
誰かのため、、、そんな想いが強かった。
しかし、1番伝えたかった相手は明らかに自分自身だった。
阿部翔太、お前はやれるって、お前らしく生きろって。
そんな漠然とした想いを持っていたら、有難いことに友人から国際協力の経験を活かした教育機関でのお仕事を紹介してもらった、、、、幸運でしかないと思う。しかも、将来的に移住を考えていた妻の実家がある青森県のポストに決定した。なんてラッキーなんだ、、、、。
自身の可能性を100%開花して生きる人生にしたい。
GOAL-Bのコーチ安慶名さんに伝えた言葉だ。
安慶名さんからは、
「阿部さんは、そんなもんじゃないですよ」
全てを受け入れ、未来の阿部翔太を今の阿部翔太以上に信じて声をかけてくれる安慶名さん。
「未来の阿部さんにとって当たり前の事なので今やって下さい」
人生で経験した事ないスピード感で進む現実。
阿部翔太の可能性を自分よりも信じるコーチ。
今までの意思決定の逆をいく感覚で進む毎日。
これが、、、、人生における最強の起爆剤だ、、、、、。
そして、自分の可能性を信じる存在の大切さを感じた。
私は弱い、本当に弱い、しかし誰かと一緒であれば強くなれる。
その誰かは、私の可能性を自分以上に信じてくれる人。
現実を作り始めた私。
◆2022年4月
青森県初女子硬式野球部創設
〜一歩踏み出す〜
◆2022年5月
女子野球世界未来会議実施
〜未来を自ら創り出す〜
・参加者総数 500名
◆2022年7月
青森県初女子野球交流会実施
〜挑戦を当たり前に〜
・世界大会MVP投手誘致
・企業協賛15社 40万円
◆2022年10月
ニカラグア女子野球ドキュメンタリー映像制作
〜環境に捉われず夢を持ち、チャレンジし続ける〜
・クラウドファンディング190万円
・企業協賛50万円 5社
◆2023年5月
ニカラグア女子野球選手日本短期野球留学実施
〜世界に触れ、自分の可能性に気づく〜
・企業協賛 65社 260万円
・延3000人との国際交流の実現
◆2024年1月
NPBチームニカラグア派遣
〜日本女子野球界から機会を創り出す〜
現実を創り続けている。
ただ、その中でも何か違う感覚も持つようになった。
俺のゴールは本当にここにあるのか?
日本国内からの期待、
ニカラグアからの期待、
青森県からの期待。
過去の経験から未来を想像しようと必死になっている自分。
心の底からエネルギーが湧いていない感覚、分かるだろうか。
口だけ、小手先で表現するには十分な熱量だが、阿部翔太を使い果たすエネルギー値ではない、確実に違う。
恐らく、学生時代から続けてきた野球で一度も妥協する事なく目標に向かっていた自分のエネルギー値を知っているから。
あの、目が血走り、恐怖さえ感じる程の表情になって突き進むゾーン。
だから周りの声や過去の経験に縋りたい自分の欲求を抑えて立ち止まった。簡単な事では無かった。仲間がいなくなるんじゃないかって恐怖もある。
ただ、俺は進化し続ける事を決断した。
出会った人たちが自身の可能性に震えて突き進む状態。
「最高の人生です!」
「自分史上、最高の1日です」
「最高の1日にしましょう!」
そんな言葉を出会った全ての人から聞こえる世の中を創りたい。
青森も、ニカラグアも全部。
そして、2023年9月14日。
私たちの第一子である維愛(たお)が産まれ、
これからの子供たちが迎える未来をより良い状態で繋ぎたい。
私の覚悟は異常値に達した。
例えるなら、ドロっドロのマグマ。
ゆっくりに見えるが異常な温度と噴火を助長する最強の起爆剤。
阿部翔太のREBOOST。
全ての人が未来に希望を持ち、
最高の1日を過ごす世界を創るための第3章がスタートした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?