100日目。その2。あのとき気付けなかったものたちへ。
せっかくの100日目だから2つ書こう。
あんなダークサイド note だけじゃ暗くなっちゃうもんね。
京都に住んでいた。
生まれてから24年間。
夏は蒸し暑くて、冬は雪も降らないのに寒かった。
人が住むのに向いていない。
バスに乗れば、観光客の方が多く、地元民はバスを避けていた。
どこかの角を曲がれば絶対に寺があった。
もしくは神社。
坂が多くて、自転車通学には向いていなかった。
平地が本当になかったので、上りでしんどいか下りでスピードが出過ぎていた。
真ん中ってもんがなかった。
京都市の中央に行けば行くほど、京都弁が濃くなっていき、建物も昔のものが増えていった。
俗にいう、洛中。
僕が住んでいた地域は洛外だったので、普通の民家しかなかった。
大学が多くて、四条河原町では四六時中、どっかの学生がはしゃいでいた。
豚骨ラーメンの上手いお店があって、飲んだ帰りによく寄った。
喫茶店も素敵なところが多かった。
フランソア喫茶室によく行っていた。
制服が上品で見惚れていた。
鴨川では、カップルは川沿いに等間隔に並んでいた。
よくわからん学生が水遊びをしていた。
最悪、終電を逃しても歩いて帰れた。
それくらい狭い土地だった。
僕は実家だったので、みんなとは別方向に歩いて帰った。
狭い中になんでだよってくらい大学があったので、他大の学生に間違えられることもあった。
めんどくさかったので、そうです〇〇大です、と言って切り抜けていた。
大学のサークル棟は壁が剝がれかけていた。
あと、いつのかわからん写真があった。
僕たちの代で剥がした。
なぜか木のベンチがあった。
よくそこに座っていたけど、めちゃくちゃ幅が狭かった。
文学部棟は病院の匂いがした。
図書室の地下室は何だかイケナイ香りがした。
京都駅ビルは不相応なくらい近代的な形をしていた。
ガメラ3で壊された。
道に迷ったらとにかく京都タワーの方に向かった。
京都タワーより高い建物がなかった。
繁華街では歩道を優先的に広くし過ぎて、車道が犠牲になっていた。
だいたいみんなが思い浮かべる京都の町なんてほんの一部地域だった。
他はただの地方都市。
ビブレが北大路にあった。
なぜか記憶に残っている。
ミスドがあったっけ。
街には古書店も多かった。
謎の春画とか売っていた。
老舗の隣にチェーン店やいかつい服屋が並んでいた。
アンバランスな街だった。
そこがまた良かった。
街を歩くと3分の1が外国人観光客と修学旅行生、残り3分の1がその他だった。
その他には、学生と住民が入り混じる。
僕たちはその他だった。
24年間、そこに住んでいた。