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「起こることは最善」は実用的だ

いつだって、起こることは最善。

証拠なんてないけれど、
それを信じて
生きたほうがお得だ。

実用的な考え方だと思う。


一件嫌だったり、
避けたかったりするような
出来事が起こったとして、

それが時を経て、
あれはすごく大切な
経験だったなあって
思うことがあったと思う。


だから、
「悪い出来事」が
ほんとうに悪いのかも、
分からないということ。

逆に言えば、
「いい出来事」が
ほんとうに良いのかも、
分からない。


全ては、
ある時点での
「解釈」にすぎないんだ。


人生の幸福度は、
その解釈によって、
大きく左右される。

◆人生の幸福度は、何によって決まるのか​

今日が良かったなあ、
って思って
幸せに浸ることも、

今日は全然ダメだったなあ、
って思って、
打ちひしがれることも、

どっちもただの
解釈にすぎない。


そして、
幸せというのは、
主観的なものであって、

人生のなかで、
どれだけ満たされた
感情で過ごせたのか

日々の感情の積み重ねが

そのまま人生の
満足度ということに
なるのではないか、と思っている。

◆幸せに繋がる「解釈」の使い方

解釈っていうのは、
何かが「正しい」ことに
なるのではなくて、

どこまでいっても、
主観的な選択である。


だとしたら、

自分の人生が、
豊かになるような、
幸せを感じられるような
解釈を選んだ方が、

実用的であり、
お得ではないか、と思う。


すべては最善だ。

そう思っていたら、
いつでも深いところには
安心感を持てるだろう。

そして、
嫌な出来事でも
目の前の出来事から
何かを学ぼうとか
活かそうとかするように
なるだろう。


常に最善とは限らない。

そう思っていたら、
最善ではない選択を
してしまったのではないかと、

後悔したり、
不安になってしまったり
するかもしれない。


それから、
「無駄な出来事」が
生まれることになるから、

それはただの
無駄でつまらないだけの
経験が生まれることになり、

受け取るべき学びを
受け取るのが
遅れるかもしれない。


そう考えれば、
全ては最善、っていうのは、
実用的な考え方であると、
自分は思う。

◆「すべては最善」の仕組み

ここまで、
すべては最善である、という
解釈の話をしてきたけれど、

仕組みを考えても、
結局すべては、
最善でしかないのだなあ、と
ぼくは考えている。


ちゃんと説明すると、
長くなるので、
今回は、端的に
箇条書きで並べておく。


*心の安定は、
 心の統合から生まれる。

*心の状態は、現象に現れる

 ゆえに
 心の分離も、現象に現れる。

*出来事はすべて、
 心の分離を統合する
 きっかけとして活用できる。

 → すべての出来事は、
   統合に向かっている、とも
   捉えられる。

*出来事を
 受け入れることは、
 自分の心を
 受け入れることである。
 
 それを通じて、
 心は統合されていく。

*心が統合されると、
 あらゆることを
 受け入れやすくなる。
 
 柳のような状態。
 
 安心して
 豊かに満たされた気持ちで、
 生きやすくなる。

◆あとがき

全ては最善である。

今回もまた、
不安を感じがちな
自分のために書いてみました。


いろんな人が
今日もいろんなところで
話しているんだろうな、という
話ではあるけれど、

自分は書くっていうことを通して、
整理して、落とし込むのが
向いているみたい。


今回の記事をかいて、
ちょっと確信度が
深まりました~。


このおすそ分け記事が、
ちょっとでも、
あなたの人生の何かに、
繋がったとしたら
幸いであります!

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