"む"のはなし:難しいは楽しみへの片道切符
『難しいを楽しむ』
昨日見つけた新しいテーマです。
『楽しむ』ことはモノゴトに取り組む中で必要的な要素になってくるのではないかなと思っています。
昨日の行動の中で僕自身『楽しむ』が欠けていました。
これまでの経験で『難しい』と感じたことに対しては難しさだけが自分の中に残ることが多かった。
『楽しさ』が気がつけばどこかに消えていました。
難しい視点に執着してしまい、楽しい視点へと変えていくことに苦労していたんです。
苦労していたのではなく、できなかった。
いや、本音はやろうとしていなかったです。
昨日行動する中で『難しさ』だけが残っていた場面が何度かありました。
思うようなカタチにならず自然と感情が『難しい』の一択に。
楽しいという感情は無かった時間。
結果にこだわり過ぎたゆえに『なぜこの行動をとっているのか』という考えが薄れていました。
原点を見失っていたので当然『楽しむための過程』すら見えることを忘れています。
結果ももちろん大事です。
最終的には結果に結びつけて成果を出したいのが本音。
ただ、行動が作業になってしまった昨日は反省です。
結果に結びつけるために過程を楽しむ。
今の自分にとってまだまだ足りていないものだなと実感しました。
これまでは『難しい』と感じたら難しいままで終わっていましたが、今は変われる。
『楽しむ』ためには何を考えて感じるのか自分なりに答えを出せます。
それが正解か不正開かということはわかりません。
実践してみて違うと思えばまた修正していけばいい。
周りの方の意見も取り入れて自分なりの楽しみ方をカタチにしていきます。
『楽しむ』ことにはゴールが無いのではないでしょうか。
常に変わり続けるものであり、進化と後退を繰り返していくと思っています。
今日の楽しみ方、明日の楽しみ方があっていいはず。
方法は違えど『楽しむ』という軸は変わらないから。
僕がここで最も注意するべきことは『楽しむ』を『ラク』と捉えないこと。
よく言われるフレーズではありますが、これまで多くの確率でこの傾向がありました。
効率よく動くのでなく、本当にラクをしようとしているだけの状態です。
直球で表すと『さぼり』の状態になるときがありました。
『考えること』『感情を動かすこと』を一切しない状態。
『ラク』をしているとき、心地よい時間が過ごせます。
難しさから開放され、現実からも一旦逃げることができるからです。
ボーッと過ごせる時間は時には必要です。
ただ、何かに挑戦しているときに、『ラク』を終えようと思うと中々抜け出せない。
目の前に目を向けると『楽し見が抜け落ちた難しさ』だけ再び現れるためです。
僕自身、この状態になると再び『ラク』に戻ること選択するを経験しています。
『ラク』は幸せです。
でも僕の場合はその場から逃げても何も変化無かった。
むしろ、『難しさ』だけがずっと待ち続けている感覚でした。
今もラクにいきたいときはもちろんあります。
でも『楽しむ』ことを考える視点を持てたことが背中を押してくれます。
『難しいからラクに逃げる』じゃなくて『難しいからこそ過程を楽しめ』と。
実際はすんなり進むことはありませんが…。
意識的な領域から無意識の領域に持っていくことは時間がかかります。
まだまだこれからも『ラク』をしたい時はたくさん来るでしょう。
昨日も終盤戦はラクに逃げていた自分が居たなと実感。
気がつけていることは進歩。
『難しさからラクに逃げている』ことを身体で感じられたことは良いことかもしれません。
自分の取るべき行動が見えてくるから。
『難しいを楽しむ』ためにこれからは
、
● なぜこの行動をするのかはじめのきっかけを思い出す
● 行動した先にどんな自分待っているのかを考える
● 行動によって得られるものを考える
● 行動の中での出会いに感謝する
● 『知る』という幸せを味わう
● 空を見えげて、呼吸をし、胸を張る(自信を持つため)
といったことを意識してみます。
これはまだまだ一部ですが、少しづつ試して違えば修正します。
『楽しまなきゃ』という義務感はいずれ苦しみを生むことに繋がる可能性もあるので『自分のペースで楽しむ』。
『難しいを楽しめる』自分を追っていきます。
昨日の自分は全てありのままの自分なのでまず受け入れます。
どんな自分も素敵なので。
また今日からありのままの自分のスタートです。
自分が感じる難しさに自分の楽しみ方で向き合っていきましょう。
難しさを感じていることに感謝。
小学生のころ、何も考えずに無邪気に笑っていた時間。 そんな時間を成長した今こそ楽しみたい。 『楽しく笑って面白く』人生を歩むことが僕の目標です。 素敵な空間素敵な時間を共に過ごしたい。 ありのままの素直な自分を表現して、歩きます。