"し"のはなし:自信
あなたにとっての『自信』はどんなイメージ・どんな言葉ですか?
最近、考え事をしている際にふと『自信』という言葉が頭の中に浮かびました。
『自信 = 自分を信じる』と書きますよね。
ただ、年齢を重ねていくごとに自分を信じることができなくなっているのではないだろうか.....
そう感じたことが僕の現在のリアルです。
少しだけ過去の話をさせてください。
僕自身、幼いころは根拠のない「自信家」でした。
「何をやってもうまくいくだろう」「失敗することなんてない」
多くの出来事に対して、「過剰といってもいいのでは?」という勢いで挑んでいたように思います。
今思い返すと純粋に怖いものがありませんでした。
ですが、そう簡単に物事は進まず.....
優劣という言葉を知ってからは、「比較」に苦しみ、上には上がいるという事実を知り、だんだんと自分の自信は小さくなっていきました。
追い打ちをかけてきたのは『失敗は許されないという環境に囲まれた』経験でした。
当時は環境を変える力もなくこれが当たり前と思っていたため、自信よりも慎重が先走り、自分を小さく小さく見せていたように思います。
そんな思春期をずっと過ごしていました。
今でこそ「比較」することをうまく活用できるようになってきたと思います。
過去の自分を一旦受け入れることもできるようになりました。
ただ、当時の思春期真っ只中の僕には苦しくて仕方がありませんでした。
昔と現実とのギャップに苦しんでいました。
密閉された空間で比較した・比較された相手が上から覗き込んで・攻め込んで、僕を空間から逃さないように見張っていると思うくらいに。
なんだか進撃の巨人みたいですね...笑
いつしか『自信』はあっても意味が無いと決めつけていました。
今でも過剰なほどの自信はありません。
でも、昔の自分を受け入れられてきたからこそ、幼い頃に本来の自分の基盤にあった「物事はなんとかなる」という自信は少し戻ってきています。
過去を振り返り受け入れ始めたのが直近3ヶ月の間です。
今回『自信』に関して考えて新しくたどり着いた視点があります。
これまでは自信とは『自分を信じること』一択と思い込んでいましたが、
『自分を信じてくれること』といった捉え方もできるなと。
『自分を信じること』が自分の内面から勝手に生まれるものであるならば、
『自分を信じてくれること』は人の思いを大事にしていく過程で生まれるものかもしれません。
この3ヶ月の間で改めて自分を信じてくれている人の存在がどれだけ大きいかということに気が付きました。
自信がなくなっていく中でかすかにでも、昔の自分の自信が心の底で踏ん張ってくれていたからこそ気づけたのかもしれません。
自分を信じてくださっている人のために今できることをやっていく。
その過程で生まれてくる『自信』を大切にしたいです。
視点の捉え方一つ・考え方一つで気持ちがスッと楽になる瞬間があります。
『自信』は一体なんだろうと考えた際に相手目線が生まれなければ体験できなかったことです。
これからも、自分の内面から出ている自信も大切にします。
それ以上に、『自分を信じてもらえる』という自信はもっと大切に扱っていきたいなと。
ちょっと大人になった気分です。
小学生のころ、何も考えずに無邪気に笑っていた時間。 そんな時間を成長した今こそ楽しみたい。 『楽しく笑って面白く』人生を歩むことが僕の目標です。 素敵な空間素敵な時間を共に過ごしたい。 ありのままの素直な自分を表現して、歩きます。