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"ち"のはなし:小さく儚い心なき巨人

タイトルを読んだだけでは一体何のことだろうかと思ったかもしれません。
このタイトルでいいのかなと僕自身も考えました。

ただ、今年はありのままの姿を表現すると決めています。
素直な自分になって考えたとき、書き出していた単語が今回のタイトルです。

『小さく儚い心なき巨人』

この言葉に投影されているのは2年前の僕の姿。
「小さく」と「巨人」は一見相反しているように捉えがちですが、自分にぴったりな言葉だと思っています。

僕の身長は180cmほど。
ただ、当時はその背丈に見合わないほど小さく見えました。何をしても縮こまっていたから。

自信なんて微塵もなく、自分の存在を否定する。
そんな時間の中で『小さく儚い心なき巨人』は生まれました。

きっかけは、『うつ病』と診断されたタイミングから。
社会人1年目、やる気とともに必要以上に自分を追い込み自滅。
ある日突然、身体がピクリとも動かなくなっていました。

周りに助けを求められる人はいない。逃げる方法がわからない。
光が遮断された先にまっていたのは、闇でした。
毎日もがき苦しんでいたことを鮮明に覚えています。

今もなお、当時の状況が時々夢にでてくるんですね。

その日から『なんで俺が?』と自分を更に攻め続ける日の連続。
会社を休職しても、何もやることやきることが見つけられず視界がモノクロに変わりました。
一瞬で。

気がつけば感情も失いました。
自分が今感じている感情がわからない・相手の感情もなんとも思わない、
自分がサイボーグのように生まれ変わったようです。
心ここに有らずでした。

どれだけの人に冷たくぶつかったことだろうか。
月に1度ほど会う友達の前では無理やり元気をだして、
苦しくなるたびに少し退出して紛らわす。
こんなことを繰り返していました。

人に会える元気はあったことは救いかもしれません。
ただ、周りの明るさが当時は恐怖でした。
でも誰かに会わないと自分が闇に飲まれそうで...
そんな葛藤と戦っていた自分が懐かしい。

たった1ヶ月の時間の流れがこれまでの自分がスッと消えていく。
今思うと、『儚い』とはこんな場面でも訪れるんだと気付かされます。

モノクロに染まった世界の中で、埋もれた自分を救うこともなく
流れる時間。
自分に対しての価値が『無価値』になった瞬間から生きている心地がしないものです。
地に足がついていない感覚が常にありました。

何度か真剣に『死』を考えたこともありましたが、今はこうして生きています。
様々な時間の流れや経験があり今に至りますが、生きててよかった。
今ならそう思います。

誰かに話す必要が無いことだけど、こうして自分の言葉で文章にしている。
しかも2年越しで言語化している。
なんでだろうか....と考えたときに真っ先に思いついたことは

『小さく儚い心なき巨人』を受け入れたいと思ったから。

僕自身が『小さく儚い心なき巨人』として過ごした時間は戻りません。
どれだけ時が流れても過去の事実として残ります。
墓場まで持っていく秘密にすることもできるけど、その選択を取らなかった。

さらけ出さないことで自分の中で残る『当時の無価値感』をそのままにしたくなかったから。
全てではなくても、1つの事実のなかの1つの事柄を受け入れるだけで、自分がまた一つ笑えているような気がします。

今でも時々、本当に時々ですが自分に希望が持てなくなるときがあります。
でも今は、なんでそう思うのか・どうすれば乗り越えられるかを考えられています。

過去を受け入れることができているからこそできているのかな?

モノクロだった世界もようやく色彩が戻ってきました。
本当に幸せなことです。
自分で生きていると感じる中で、周りの人たちに生かしていただいているという感謝も生まれました。

『小さく儚い心なき巨人』がいてくれてよかったな。

次はどんな自分が生まれるのか今はワクワクします。

小学生のころ、何も考えずに無邪気に笑っていた時間。 そんな時間を成長した今こそ楽しみたい。 『楽しく笑って面白く』人生を歩むことが僕の目標です。 素敵な空間素敵な時間を共に過ごしたい。 ありのままの素直な自分を表現して、歩きます。