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ムジュラの仮面が何故特別なのか

初のゲーム記事投稿は、自分の愛して止まないゼルダシリーズから、特に贔屓にしているムジュラの仮面について色々と語ろうかと思います。
小学生の時に初めて時のオカリナをプレイしてからというもの、すっかりゼルダシリーズに陶酔してしまい、派生作品を除くと全シリーズを制覇した。
それでも、未だに自分の中でナンバーワン、いや少し別次元にいるのがムジュラの仮面なわけで。
確かにムジュラも根強いファンは多い。別にそこまでマイナー受けな作品ではないと思う。ただ良く引き合いに出される時オカではなく、なぜムジュラなのか。今回はムジュラの仮面の魅力を深く語りたいと思います。

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▲過去の作品の中でも唯一無二のシステム

ムジュラの仮面は、ゲーム時間内で三日間が経過すると、自動でゲームオーバーになってしまうシステム。
なので三日の間に、イベントやダンジョン攻略などを済ませ、時の歌で一日目に戻す(自動セーブ)、をひたすら繰り返すことになる。
もちろんセーブされるので、メタ的な発言をするとアイテムやストーリーの進捗などはそのままなのだけれど、あくまでリンクは一日目にタイムリープしてきていることになっているので、全ての人と初対面に戻ってしまう。
システムの一つだけに留まらない、プレイヤーの心にある種の切なさも呼び起こすことからも非常に画期的なアイデアである。
あと重要な要素はセーブされるけど、例えばダンジョンの攻略や、進めていたイベントはすべてリセットされる。なのでダンジョンで悩みまくっていると時間切れが来てしまう。まぁ経験上、よっぽど悩まない限り三日間を使い切ることはまずなかった気はするけど。
ただ、これもこの作品の難易度を引き上げている要因の一つ。

ムジュラ以外の作品ではこのシステムは見られない。基本的に壮大な世界を駆け抜けるような話が多いゼルダ作品の中で、ムジュラは限られた世界、時間の中を何度も行き来することになる。
ゲームを終える時は毎回セーブすると思うけど、その手段が「一日目に戻す」のみとなり、戻った時立っているのは、リンクが初めて訪れた時のクロックタウンの広場。タイムリープしてるからね。
そうやって、他の作品には無い「起点となる町」が存在する。
毎回、リンクはこの町から冒険を進めるのだ。
時オカがジョジョ3部だとしたら、ムジュラが4部みたいな感じ。
もちろんタルミナという世界を救う話ではあるんだけどね。

▲少ないけれど骨太なダンジョン

ムジュラで登場するダンジョンは、大きく分けて4つしかない。
たぶんこれはシリーズ最少。普通7か8くらいはあるからね。
ただ一つ一つが本当に作り込まれている。ゼルダはなんと言っても謎解きが一番のウリなので、2Dも3D作品も毎回ダンジョンは良く出来ているんだけど、ムジュラは特に常軌を逸してる。
まず最初のダンジョン(ウッドフォールの神殿)が普通にムズい。というか最初のダンジョンに行くまでがそもそも長い。これもシリーズ最長な気がする。
一つ一つ解説するとめちゃ長くなるので今回は割愛するけど、一つのダンジョンの密度が他のシリーズの二つ分くらいある。
4x2で8だ。結局密度はいつもと同じなのである。
ちなみに僕は4つ目のダンジョン(ロックビルの神殿)で、ゼルダシリーズで初めて攻略本を見た。
あの難しいと有名な、時のオカリナの水の神殿ですら自力で頑張った僕が、ロックビルだけは本当にギブアップした。あれ自力で解けた人いるのか。いたら教えて欲しい。

▲全ての人を抱きしめたくなる作品

まずは上述した骨太なダンジョン、三日間システムがムジュラにおいて重要な要素なんだけど、それと同じくらいに、個々の住人が織りなす人間ドラマがこの作品を唯一無二たらしめている要素だと思う。
この作品では、住人はゲーム内の時間にそって、常にリアルタイムで行動している。
郵便配達員は決まった時間にポストに郵便物を回収しに行き、宿屋にはチェックイン時間ぴったりに予約客が来る。
「団員手帳」という各住人の特徴や行動パターンを記録できるアイテムがあって、僕らはそれに沿って、一人一人が何に悩んでいるのか、誰と誰がどういう人間関係なのかを知り、解決にむけて行動を起こすことができる。
一部を除いては、ゲームクリアにおいてやる必要は無い。あくまでやり込み要素である。
しかしこの要素無くして、この作品の本質を味わうことは出来ない。
手帳に記される20人はそれぞれ、しょうもない悩みから、色んな人を巻き込んだ、その人の人生に関わるような大きな話まで様々だ。
この作品の半分の容量を占めるんじゃないかと思わせられるそのボリューム感。そういった人たちを、最終的にそれぞれ幸せにしていく。
報酬としてたまに貰える「お面」は、その人たちの生き写しのよう。
そのイベントをこなしていく中で、自然に気持ちもストーリーに没入していく。
ドラマを自分の手で動かしている感じ。
気が付けば、一癖も二癖もあるキャラクター達を、いつの間にか愛してしまっているのだ。

▲ムジュラの仮面が教えてくれたこと

この作品は、所謂「ゼルダ史」の中では外伝的な立ち位置にあり、ガノンとリンクの因縁に関わる話ではない。というかガノンはおろか、ゼルダさえ本編には回想シーンでしか登場しない。
ムジュラの舞台であるタルミナは時オカのパラレルワールドで、登場人物も時オカと見た目は一緒で中身と名前が違うだけなため、キャラクター的な目新しさはない。
(これは時オカからの開発期間の短さも背景にあるのだけど)
他の作品は、毎度新しいキャラクターに更新されるため、これも異質だ。
世界観も不気味でとっつきにくい。正直最初にプレイするゼルダにはおススメしない。

では何故、ここまで僕の心はがっちり掴まれてしまったのか。
それは難解でやりごたえのあるダンジョンはもちろんなのだけど、どのゼルダよりスケール感は小さいのに、圧倒的にドラマチックな所なのかなと。
不思議なトンネルを抜けた先にたどり着くタルミナの世界、前作で遊んだ作品のキャラクターが違った形で登場している違和感、ガノンの因縁と何の関係もない「ムジュラの仮面」の存在。そんな不思議な世界で、とにかく癖の強い、だけどどこか憎めない(一部を除いて)住人達の織り成す群像劇に右往左往しながらタルミナの世界で3日間を過ごす。だけど時間が来て最初の日に戻る。戻ればすべての人は初対面に戻ってしまう。
タイムリープ物の主人公を自分の手で動かしながら、色濃く描かれるドラマに身を投じていく。
もちろんゲームの最終的な目的は、「ムジュラの仮面」を倒しタルミナを救うことなんだけど、それと同時にそれぞれの登場人物の人生も、少しだけ救ってあげる。
そうして積み上げたカタルシスが、エンディングシーンで溢れ出していく。
だけどこのタルミナという世界は、どういう世界線なのか、ゲーム内では何も語られない。あの何度も過ごした三日間は何だったのか。世界を救い終えたリンクは、確かに残る記憶と共に、タルミナを後にする。恐らく元の世界に戻って行ってしまう。
エンディングの最後に、スタルキッド(ムジュラの仮面に操られていた小鬼)が書いたであろう、リンクとスタルキッド、そしてタルミナに登場した妖精であるチャットとトレイルが切り株に描かれている。そして前作で登場した「サリアの歌」が流れる。これは、前作ではスタルキッドは迷いの森という場所に居たキャラクターであり、そこのBGMがサリアの歌なのだ。
もしかして今作のスタルキッドも、あそこにいた内の誰かなのかな。もしかしてリンクのことをずっと覚えていたのかも。そんな風に、最後の最後にタルミナと現実世界が少しだけリンクして終わる。

幸せのお面屋が最後に言うセリフ
「おやアナタ ずいぶんたくさんの人をしあわせにしてあげましたね。アナタの持っているお面にはしあわせがいっぱい詰まっている。これは実にいいしあわせだ。」
これがきっとこのゲームで伝えたかったことなのかなと思う。

魔王も、お姫様もいない。この作品で救いたかったのは、紛れもなく、何度も何度も三日間を共に過ごした、タルミナの住人達とその心なのだろう。

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