自分のモノサシを持つということ
9年前のいま頃、僕は新社会人1年目として、シグマクシスというコンサルティング会社に入社しました。
いまでこそ上場企業となって名前も売れてきた僕の出身会社ですが、当時はまだまだ「知る人ぞ知る会社」で、この会社で何かを学んでやると息まいたギラギラした20人の同期と机を並べたことを思い出します。
そんな新入社員初日の日、大量の課題図書とともにあるプレゼントを貰いました。
目盛りのないモノサシです。
シグマクシスでは、プロフェッショナルとして生きるための11の原則を叩き込まれました。
その中の、いちばん大切な「自分のモノサシをもちなさい」という1つの原則を伝えるために、会社が僕らにくれたプレゼント。
9年の月日が流れ、あの頃何も出来なかった僕も、いくらかの事が出来るようになりました。
会社を作り、自分の事業を興すことに挑戦しました。
そして、今日、僕は初めての社員をお迎えし、目盛りのないモノサシを渡します。
自分のモノサシをもつことは、
僕らの人生をきっと豊かにしてくれる
この「自分のモノサシをもちなさい」という言葉、その解釈の仕方を会社は教えてはくれませんでした。
答えのない問題解決の世界で闘うコンサルタントという仕事ですから、「どんな時も思考停止をしないで自分の頭で考えなさい」ということを言っている…という捉え方もできます。
チームで問題解決に取り組む仕事ですから、「ゴールとなる品質基準を明確にセットして仕事に挑みなさい」ということを言っている…とも捉えられます。
しかし、こうした仕事における行動原則から離れて、「自分のモノサシをもちなさい」という、この言葉は、人生の辛い局面で精神的に僕を支えてくれました。
今日は、自分のモノサシをもつことが、どうして豊かな人生のために大切なのか、うちの新入社員に向けて、僕の考えをお話ししたいと思います。
新入社員1年目、
初っ端から入院して居場所のなかった僕の昔話
ギラギラしたやる気に満ち溢れて入社した会社でしたが、新入社員研修を終えて、現場に配属されて早々に、僕は「突発性難聴」という病気で2週間の入院を余儀なくされます。
2週間の入院で投薬治療に励むもむなしく、聴こえない左耳が残りました。
「左耳の聴こえない自分」を受け入れることが出来なかった僕は、精神的にも塞ぎこんでしまい、以前のように明るく笑うことは出来なくなっていました。
2週間ぶりに出社した会社で、努めて明るく振舞いながらも、心の中ではポッカリ穴が空いた気持ちになっていました。
キズモノになった僕は、会社の中で、「やや扱いづらいヒト」となっていることにもすぐ気がつきました。
「あいつは終わった」
「あいつは大した人間にはならないよ」
研修を終えたばかりで何が出来るわけでもない僕が、厳しいコンサルティング業界でやっていけるのか、不安に襲われたことは言うまでもありません。
この時の僕を救ってくれたのが、「自分のモノサシをもちなさい」という言葉です。
僕はこのとき、「自分のモノサシをもちなさい」という言葉を「幸せの基準を”他人の評価”にしない」と解釈しました。
他人は僕より優れているかもしれないが、僕は自分自身のモノサシで、自分の能力を高めていくと誓ったんです。
勝ち負けの基準も、
自分のモノサシで考える
それから、5年ほどの月日が経ち、僕にもそれなりのことが出来るようになっていました。
一時は、コンサルティング業界を辞めて、もう努力なんかせずにソコソコに生きて行こうか…と考えて、転職先を探したこともありました。
しかし、僕はその道を選びませんでした。
シグマクシスを辞めて、次の転職先として選んだ会社は、同業他社の外資系コンサルティング会社でした。専門領域のコンサルティングに従事するため、前向きに転職先を選びました。
左耳の聴力を失ってどん底にいた時には、このような結末で会社を辞めることができるとは思っていませんでした。
あいつは「勝ち組」だ、「負け組」だと、他人は言います。
しかし、そんな言葉に耳を傾ける必要はありません。なぜなら…
勝ち負けは、その瞬間を評価しているに過ぎない言葉だからです。
株式のトレーディングがわかりやすいと思います。
ロウソクチャートというグラフで、分単位、時単位、日単位、月単位と、様々な単位で勝ち負けの白黒がつきます。
分単位で「負け」だとしても、日単位であれば「勝ち」かもしれない。
瞬間瞬間の勝ち負けに一喜一憂することに何の意味があるでしょうか。
人生は長いです。
時に雨が長く降る時期もあるでしょう。
その時、多くの場合、まわりの人はあなたの助けにはなりません。
むしろ、色々な言葉で、あなたの気持ちを迷わせてくるかもしれません。
そんな時に「自分のモノサシをもちなさい」という言葉を思い出してもらいたいと願います。
この言葉が息を吸うように身体に馴染んだ時、あなたは自分自身の人生に責任が取れるようになっている。
それが、プロフェッショナルの生き方であると、僕は考えています。
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