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アニメージュとジブリ展 〜国内最後の展示は賢治の故郷岩手花巻、終点の記録をここに〜

『岩手で最後迎える展示を記録したい』


宮沢賢治の故郷、花巻でジブリの展示が開催される。
それも国内のフィナーレ。
高畑勲監督も宮崎駿監督も宮沢賢治のファンである
ことをインタビューで語られています。
岩手県人として、宮沢賢治ファンとして、
ジブリファンとして、今回の展示は幸せそのものです。
「貴重な展示を記録したい」
との思いで綴っていきます。

『開催概要』



「アニメージュとジブリ展」
 ※国内最後の展示
 会期:2024年7/20(土)〜9/23(月)
 場所:花巻市博物館
 住所:〒岩手県花巻市高松第26地割8番地1
 休館日:不定休
 開館時間:午前9:00〜18:00(17:30まで入館)

『音声ガイドに沿ってご紹介』

※ネタバレを含んでいます。

音声ガイドは声優の島本須美さんと
スタジオジブリの高橋望さん。
島本さんは「ナウシカ」などたくさんの
ジブリ作品で声優をされた方です。
ジブリの高橋さんはアニメージュ出身で、
今回展示の企画監修をされています。

1.ジブリとアニメージュについて

展示のご紹介、おふたりの自己紹介など

ネコバス
島本さんのサインが
いたるところにあるらしい!?

2.「アニメ」という言葉も珍しかった

  当時はまだ「テレビ漫画」と呼ばれていた時代.
  アニメファンは同人誌やファンクラブで
  好きな作品を盛り上げていた。

3.アニメージュ初代編集長「尾形英夫さん」

  アニメーション(英語)とイマージュ(フランス語)
  をかけわせて「アニメージュ」とネーミング!
  公私混同や思いつきの人など、尾形さんの
  仕事ぶりが紹介されている。 
  創刊の経緯は尾形さんの息子さんが
  「宇宙戦艦ヤマト」のファンだったから!?

4.鈴木さんのアニメージュのこだわり

  フランスの映画雑誌「カイエ・デュ・シネマ」
  これを手本としていた!!
  上から流れてくる情報だけではなく、
  アニメージュが情報を発掘し発信していた.
  アニメージュ→映画の流れをつくる。
  「作家主義」を貫く。

5.アニメージュ創刊号

  1978年7月号で創刊。
  宇宙戦艦ヤマトの全盛期。
  ここでアニメージュは
  「太陽の王子ホルスの大冒険」も特集していた。
  ここに高畑勲監督、宮崎駿監督、大塚康生さん
  が参加していたことが運命を動かしていく。

6.ガンダムについて

  富野由悠季さんを紹介。
  アニメージュがガンダムを後押しした。
  ガンダムアニメは予定よりも早く打ち切りに。
  その後にガンプラが大ヒット。
  富野さんと安彦良和さんの名コンビを紹介。
  その後に機動戦時ガンダムZへ。
  雑誌から映画の流れができた。
  ナウシカの前哨戦と言える。

7.アニメグランプリ

  アニメージュが主催。
  武道館で大々的に開催され、アニメの存在感が増す。
  第7回グランプリ「風の谷のナウシカ」。
  この受賞のトロフィーはジブリ武術館に潜んでる!?

1980年代アニメ亜宅の部屋を再現

8.「マクロ」新世代ロボットブーム

  魔法少女アニメもブーム。
  「魔法の戦士クリーミィマミ」
  「魔法のプリンセス ミンキーモモ」
  などが展示。
  20代女性の観客が、
  「昔の少女アニメの方がおもしろい」
  と話していたのが印象的だった。
  確かに絵が可愛く活き活きしていた。
  「自分の知らない作品が世界中にある」
  アニメファンがそう気づいた時期だった。

9.アニメージュ文庫

  小説や人物特集など多彩な内容を、アニメージュから発信。
  鈴木さん「アニメージュから作品を生みたい」、
      「ものをつくる土台となりたい」との思い。
  自主制作アニメをつくる人も現れる。
  その一人が「猫の恩返し」監督の森田宏幸さん。
  森田さんんが高校生の時に作成した
  「ガラス割わり少年」も紹介される。

私物です。
もっと読みたくなりました。

10.アニメージュが見つけた作家

  「ルパン三世カリオストロの城」若手で作られた.
  島本さん:アフレコでは色のないカットもあった。
       デビュー1年目。
       赤毛のアンのオーディションで宮崎さんが
       島本さんを覚えていて、カリオストロの城
       でオーディション参加要請があった。
  カリオストロは興行的に振るわなかったが、
  テレビでぢヒットとなり、カリオストロのために
  ビデオデッキを買う人がいたほど。
  大塚康生さんの話。
  名アニメーター
  後進を育てるプロデューサー
  アーカイブをたくさん調べる人
  監督の宮崎さんを一番応援した人
  ※大塚さんの著書読んでほしい。
   高橋さんオススメ。

11.高畑勲

  アニメージュでは創刊号からホルスを特集し、注目していた。
  「じゃりン子チエ」の特集を組む。
  生活を丹念に描く高畑作品の完成形。
  宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」は自主アニメとして作成。
  宮澤家に送った高畑さんのサイン入り絵コンテも展示されている。

12.宮崎駿

  アニメージュで宮崎駿特集を組む。
  表紙は銀河鉄道999。
  SFが全盛期の大ブーム。
  アニメージュで宮崎駿を応援したい。
  時代の流行の後追いよりも、
  自分たちでおもしろいを発掘する。
  ▶︎その後、アニメージュでナウシカの連載が始まる。

13.風の谷のナウシカ連載

  1982年2月号で連載が始まる。
  ナウシカの展示は圧倒的!!
  観客の方も思わす声が出ていた!
  ナウシカの生原稿の1ページの展示されている。
  当時は漫画はペンで書くのが常識。
  しかし宮崎さんはペンだと製作が遅れるので、
  鉛筆で書きたいと要望。
  鈴木さんがここで鉛筆書きにOKを出す。
  まさに作家主義!

私物 漫画版「風の谷のナウシカ」
大判とワイド版
大判の読み応えがたまりません。

14.メイキングオブ「風の谷のナウシカ」

  ここがメイン。
  ぼくはそう感じた。
  映画音楽を聴きながら展示を見ていると、
  自然と涙が出そうになった。
  ちなみのこの絵看板は秋田県大館市の
  映画館「御成座」の作成。
  市内の介護職員がボランティアで手掛ける。
  同館で開演当初から暮らすマスコット
  うさぎの「てっぴー」がすべての看板に
  描かれているそうです。

15.次世代の才能「押井守」

  「天使のたまご」の紹介。
  OVA(オリジナルビデオアニメーション)
  として作製。
  ビデオは当時で¥12,800。
  ファンにはたまらないですよね。

16.映画「風の谷のナウシカ」

  風の谷の7人衆。
  当時のファンクラブ。
  新聞を作成したり、盛り上げていた。
  会員は1万人以上!?
  展示の会員証No.26602


17.ワンダーシップ号とスタジオジブリ誕生

  「ワンダーシップ号」
  1984年マクセルカセットテープCMで
  宮崎さんがデザインした飛行船。

  「ジブリ誕生」
  ジブリ作品第一号「天空の城ラピュタ」。
  ジオラマが展示されている。
  ちなみに、島本さんもラピュタの
  オーディションに参加。
  ラピュタボトルのCM声の出演となった。

18.となりのトトロ、火垂るの墓、魔女の宅急便

  魔女の宅急便の後から鈴木さんは
  「二足のわらじ」卒業。
  アニメージュからジブリへ移籍。
  魔女宅が興行的に成功し、ジブリへ本腰を入れる。

  「海がきこえる」はアニメージュ色が濃い。
  監督;望月智允さん;アニメージュ創刊当時からファン
  企画;三ツ木早苗さん;アニメージュ出身
  プロデューサー;高橋望さん;アニメージュ出身
  脚本;中村香さん(丹波圭子さん);アニメージュ出身

19.まとめ アニメージュ創刊号から表紙展示

  あ客さん小さな子どもが「アーヤは?」
  と探していた。
  ジブリは世代を越えて愛されていると感じた。

  アニメージュ総括
  ・鈴木さん中心に作り上げた
  ・普通の編集者の枠を外れていた
  ・先を見ていた
   読者と作者とスタッフを繋いで、新しいものを生み出し続けた。
   そのビジョンを持っていた。
  ・鈴木さんと尾形さんは名コンビ
  ・アニメブーム▶︎アニメージュ誕生▶︎映画をつくるスタジオが必要▶︎
   スタジオジブリ誕生!その流れがあった。

物販コーナーも充実


『常設展にもフォトスポット』

忘れないで寄って下さい!

『スタンプラリーを写真で紹介』

イトーヨーカドーのサテライト展示
ヘラルボニーとジブリが一緒に展示!?感動です。


スタンプラリー完成!


『ジブリと宮沢賢治』

今回の展示が宮沢賢治の故郷花巻市で開催されました。
これは両者のファンにはたまらないですね。
ぼく自身は宮沢賢治はまだまだ勉強不足です。
これから作品に触れたいと思ってます。
詩「アメニモマケズ」が好きです。
鈴木さんが書かれたのは記憶に新しいですね。

宮沢賢治という人もジブリ作品い影響を
与えた偉大な方だと思います。

高畑さんは宮沢賢治作品
「セロ弾きのゴーシュ」を映画化されたり、
童話村にサインを書かれたりしています。
イーハトーブフェスティバルに今年も
鈴木さんがされますが、元々は高畑さんが
参加されていたとのことでした。

宮崎さんは宮沢賢治作品に
このようなコメント残されています。
「この人の作品はすべてたからものです。」

だから国内最後の展示が花巻で
ぼくは嬉しい気持ちになりました。

ぜひ、宮沢賢治記念館などの賢治ゆかりの場所にも
お立ち寄りください。

『編集後記』


「鈴木さんの仕事そのもの」

展示を見てそう感じました。
鈴木さんが何を手本に、何を考え、何を教わり、
そして、誰と出会い、ジブリを作り上げていったのか、
それが分かった気がする展示でした。

多くのファンはこう感じていると思うんです。
ジブリは「高畑勲」「宮崎駿」「鈴木敏夫」だと。
もちろん、多くのスタッフが関わり、関係者が関わり、
ファンが関わって、ジブリ作品が世代を越えて愛されています。
だけどやっぱり、この三人が運命の出会いから
ジブリがあるのだと思います。

【高畑さんがこんな言葉を残されています。
 宮崎さんの著書「出発点」。
 その最後に高畑さんが宮崎さんについて寄稿されてます。
 その一部を引用します。
 「現在スタジオジブリは、編集者として「風の谷のナウシカ」
 を世に出した鈴木敏夫という名プロデューサーによって
 切り盛りされている。彼は宮崎駿をしっかりと支え、
 宮さんとの「弁証法」をも引き受けている。
 彼がいなければ、今のジブリはなかった。
 宮崎駿を語るなら、本当は苦労を共にしている
 鈴木敏夫氏が最適なのである。
 宮さんとわたしが喧嘩もしないで
 友達であり続けられたについても、氏のおかげは大きい】

高畑さんにこうまで言わせる。
宮さんの弁償をも引き受ける。

やっぱりこの展示は、鈴木さんの仕事そのものです。

「追伸」
コラボメニュー花巻はまだ食べてません。
どれかは食べに行きたいです。
鈴木さん8月30日に展示会場にお越しになっていました。
もしかしたらサイン本あるかもですね!
いや、取材に行く日を間違えた…

花巻は文化の街。
宮沢賢治記念館、
新渡戸稲造記念館、
ルンビニー美術館。
本当にいい街。
大谷翔平の母校も花巻東。
花巻大好きです。

2021年には尾形さんの故郷
気仙沼で開催展示も行くことができました。
ダンボール製のオームです。
迫力がありました。


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